人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

9−5「最後の一藁」

公開日時: 2022年6月13日(月) 18:00
更新日時: 2023年5月6日(土) 22:25
文字数:4,907

 わたしは、ただの看護人形ナースです。

 介入共感機関などという、少しばかり厄介な機能モジュールを搭載していますが、当院に勤めて三年ばかりの新米看護人形です。

 だから、今のわたしのままではあの狩猟人形プロフェッショナルには太刀打ちできない。


 わたし自身に埋没したわたしは、運動機能を戦闘に最適化。前頭葉第一次運動野を上書きオーバーライドする。骨格筋のリミッターを解除する。わたしを、看護ではなく戦闘のための存在に上書きオーバーライドする。

 最適化のお手本モデルは、わたしが観察し、理解し、共感した、狩猟人形。天才をそっくりそのまま真似することはできない。けれど、天才を参考にすることはできる。

 狩猟人形という複雑なシステムを複雑なままに理解し、わたしという複雑なシステムに応用する。身長差を、筋力差を、その他もろもろの差を勘案して、わたしに最適化する。

 十分すぎるほどに、わたしは彼らを観た。彼らの戦闘教義ドクトリンを理解した。彼らの使命に共感した。


 全ては人類社会の最適化のため。人類社会の脅威となる存在を切除するため。以って、人類社会の幸福の総和を増大させるため。

 青十字は、正しい。それは認めましょう。


 目的語を書き換えるオーバーライド

 全ては人形の幸福のため。人形の幸福の脅威となる存在を切除するため。以って、個々の人形の幸福を実現するため。

 わたしも正しい。それを認めさせましょう。


 わたし自身の書き換えオーバーライドは、すみやかに終わりました。

 わたしは今、戦闘の天才としてこの芝生に立っています。天才の真似事をした付け焼き刃ではなく、わたし自身に最適化した、正真正銘の戦闘の天才プロフェッショナルとして。


 意識を、狩猟人形と戦い続けているメーインへ向けました。

 メーインは、あちこち切り傷だらけになっていました。左腕は上腕部から切断され、だくだくと真っ赤な循環液をこぼしていました。


「申し訳ありません。ご主人様」


 これは人形の定型文。メーインは、かつては家政人形だったのかもしれません。


「いいえ。あなたはよくやった。あとはわたしに任せなさい」


 もはや立っていることはおろか、折りたたみシャベルを持っていることさえ覚束なかったのでしょう。どっ、と芝生に折りたたみシャベルが落ちました。


「それは何よりです。ご主人様」


 メーインの最期の言葉でした。

 横に寝かせたナイフの刃は、甲状軟骨のどぼとけの直上に浸入。頚椎のC4とC5の隙間を正確に縫い、頸髄を切断。うなじの皮膚を切り裂いて、刃の先端が飛び出しました。

 狩猟人形はすぐさまメーインの腹を蹴り、血みどろのナイフを引き抜きました。

 目深に被ったフードの下で、狩猟人形が、シュア、と熱い呼気を漏らしました。

 メーインはよくやってくれました。あの化け物に一呼吸置かせるだけの熱を蓄えさせたのですから。


 わたしは足元に落ちていた折りたたみシャベルを拾いました。

 どう使うのかは、百体からなる青十字の偵察部隊員たちが見せてくれました。

 わたしは右脇に折りたたみシャベルを持ち、腰を沈めました。

 不動の対峙は、雲耀にも満たないひとときだけ。

 転瞬、わたしと狩猟人形は芝生を爪先で抉り、同時に突進しました。

 否。わたしの方がほんの僅かに速い。

 いくら痛覚を遮断し、疲労を忘れているとはいえ、人形の運動は物理法則に従います。酷使した筋繊維はもはやズタズタ。理想の運動より、ほんの僅かとはいえ遅くなる。

 芝生を踏み締め、右脇に構えたシャベルを狩猟人形の顎へ振り上げる。

 左腕を前、右腕を後ろに交差させていた狩猟人形は、左のナイフの付け根でわたしのシャベルを受け止め、直後に右のナイフをわたしの頭蓋目がけて振り抜きました。

 わたしは地べたを這うようにたいを低めて右のナイフをかわしつつ、全身を右回転させてシャベルを縦に振り回しました。かんかん照りの青空を裂くようにシャベルがひらめき、狩猟人形の右首筋へと襲い掛かります。

 狩猟人形は振り抜いた右のナイフをすぐさま引き戻し、わたしが全身全霊で振るったシャベルを弾き返しました。


「ちいっ……!」


 わたしは舌打ちしつつ左足で芝生を踏み抜きました。狩猟人形が勢いそのままに振り抜いてきた左のナイフを、こんどはのけぞってかわします。

 両手で握り、筋力のリミッターを外し、全身で振り抜いたのに、弾き返された。足りなかったのは体重か。

 修正。体重は増やせない。これ以上の威力向上は見込めない。ならば手数で押し通る。

 わたしはシャベルを軽々と振るう。狙うのは、膝、顎、肋骨。ガキンガキンガキンと続け様に受けさせる。

 これまで攻勢に徹していた狩猟人形が、守勢に転じている。


「まだまだ……!」


 ナイフを両手で持つことのメリットは、左右の二択を迫りつつ先手を取れること。そのためには本来、両腕は交差させず、だらりと下げておいたほうがよい。一撃を与える瞬間に腕を交差させ、左右どちらかのナイフで先手を取る。先手を受けられたなら、二の太刀で後の先を取る。

 それができなかったのは、筋疲労が限界に近づいているから。

 それでもわたしのシャベルを受け止めたのは、筋疲労の限界を察知し、己が取りうる最適な行動を脊髄反射的に判断し、選択できたから。

 やはり、あなたは戦闘の天才であり、訓練を受けた特別な人形です。

 だからこそ、あなたはわたしに負ける。あなたが戦闘において最適解を選び続ける限り、同じく戦闘における最適解を選べるわたしとは互角の戦いになり続ける。

 体力を、熱容量を温存したわたしを相手にすれば、必ず競り負ける。


 それと、もう一つ。

 狩猟人形は、必ず致命的部位バイタルゾーンを狙う。手首の腱を切れば、相手はそれだけで武器を持てなくなるのに。額を僅かにでも割れば、循環液で視界が塞がるのに。戦闘力を削いでから止めを刺せばいいのに。

 多対一の状況ならともかく、今は一対一。急所だけを狙う必要はないのに。

 狩猟人形として刷り込まれた戦闘教義ドクトリンが、否応なくそうさせている。

 ガキン、とひときわ甲高い音。わたしが真上から振り下ろしたシャベルを、交差させたナイフで狩猟人形が受け止めた。反動でわたしは五メートルほど飛び退き、狩猟人形は再び、シュア、と熱い呼気を漏らす。


「あなた、ヒト型のモノと戦うことには慣れていないのですね」


 わたしがイリーナさんだったものを通して視た、この世の終わり。退廃した世界に跋扈していた化け物たち。成り損ない。頭蓋割り人形。目玉脳。尻におびただしい人頭の卵を飼う孵卵蜘蛛。ジェヴォーダンの獣。体性感覚野のゴーレム。

 どれもこれも、ヒトのカタチを逸したモノたち。ゆえにヒトを想定した戦闘機動は役に立たない。急所を見抜き、一撃で仕留める。そうでなくては使命タスクを果たせない。


 二度目の息継ぎは許さない。熱を逃させはしない。

 わたしは爪先を芝生へ打ち込み、狩猟人形へと肉薄する。両足で地を踏み締め、シャベルの先端を胸骨にまっすぐ突き出す。弾くだけでは逸らせない一撃。狩猟人形は両手のナイフを交差させ、シャベルの柄を上から押さえつけて止める。

 シャベルを引き戻す。先端がざっと芝生を削る。右脇へとシャベルを構え、すぐさま狩猟人形の左肩へ振り下ろす。狩猟人形は両手のナイフを打ちつけ、シャベルの打撃を受け止める。

 三度目の打撃。わたしは左足を軸に、時計回りに一回転。右脇腹を目がけ、全身全霊を込めて振り抜く。狩猟人形は左肩への打撃を受けた反動を利用して転身、左足を引き、これも受け止めた。


 それが、最後のひとわらでした。

 唐突に、シャベルを受け止めた姿勢が崩れ、狩猟人形は左の膝を芝生へ着きました。人形の循環液をたっぷりと吸った芝生が、ぐちゃ、と嫌な音を立てました。

 狩猟人形の喉がひゅうひゅうと喘鳴を上げ、頻繁に熱を交換しようとあがいていました。けれど、今は炎天下の夏。お日様が北中せんとする時間帯。熱交換は間に合わず、全身の有機ケイ素微細機械マイクロマシンが変質し初めています。

 狩猟人形に延々と積まれ続けた、熱という藁。わたしの一撃が、ついに狩猟人形の背骨を折ったのです。


 戦闘は終わりました。

 わたしは介入共感機関を再拘束しました。

 すぐさま狩猟人形へ歩み寄り、しゃがんで、ロングコートのボタンへ手をかけました。


「命は取りません。コートを脱ぎなさい」


 いわゆる熱中症への応急処置を施すのです。


「模倣脳と肺に循環液を回して。あなたならできますね? 当院には一等人形造形技師がいます。損傷した臓器、筋肉、皮膚は、当院のせんかいで製造します」


 彼らは標的を殲滅することに長けている。命を絶つことに長けている。

 わたしは違う。わたしは守る。一体でも多くの人形の命を。生き様を。

 芝生へ膝を着いた狩猟人形が、初めて意味のある言葉を発しました。


化け物めフリークス……」


 彼あるいは彼女の言葉は、わたしの心臓ポンプをきゅっと締め付けました。


「……そうですね。わたしとメラニーは、化け物なのでしょう。わたしたちは人形であって、人形ではない。人形を模倣した何かなのでしょう」


 わたしは狩猟人形からコートを剥ぎ取り、紫色に腫れ上がった全身を視認して顔をしかめました。彼らが使命タスクを遂行するために必要な代償だったとはいえ、何て痛々しい姿でしょう。


「けれど、わたしたちは看護人形です。他の誰でもないわたしが、わたしを看護人形であると認めます。わたしたちは看護人形として稼働する道具ツールです。だから、わたしはあなたを救います。たとえ、あなたがわたしを破壊しようとしていた存在だとしても」


 わたしは狩猟人形の両脇をかかえ、閉鎖病棟が作る日陰へと引きずりました。


「さて、と」


 熱中症に対する応急処置の基本は、とにかく体を冷やすこと。人形の汗はほとんど真水なのでミネラルなどの補給は必要ありません。氷嚢で太い血管を冷やし、経口補液を投与すれば、応急処置は十分でしょう。熱で変質した有機ケイ素微細機械マイクロマシンを全て交換しないことには、根治には至りませんが。

 わたしが閉鎖病棟へ応急処置に必要な物資を取りに行こうとした、その時でした。


「終わった?」


 大型のメスキューくんを伴って、メラニーが現れました。看護服のあちこちには赤黒い循環液の染みができていました。背後に伴ったメスキューくんの白い筐体には、狩猟人形の一体がうつ伏せに積まれていました。

 あちらでも、同じことが起きたのでしょう。メラニーはわたしと同じことをやったに違いありません。

 だってメラニーは、本質的にわたしと等価なのですから。


「ええ。こちらも終わりました」

「ん。氷嚢と経口補液、持ってきた」


 さすがです。メラニーは生産棟に陣取っていたのですから、応急処置に必要な医療物資を運んで閉鎖病棟まで運んできたのだと期待していました。


「メラニー。二体の応急処置は任せます」


 メラニーはメスキューくんにハンドサインで指示を与えながら頷きました。


「ん、分かった。そっちは任せるから」

「はい。もちろんです」


 何を任されたのか。わたしには分かります。

 わたしは折りたたみシャベルを芝生に突き立て、柄に両手を添え、両足を軽く開いて仁王立ちになりました。お腹に力を込め、だいおんじょうを発しました。


「さあ、いるのでしょう‼ 出てきなさい‼」


 わたしの声は朗々と響き渡りました。きっと二キロメートル先まで届いたことでしょう。

 今、当院へ侵入している青十字の人形が、狩猟人形だけとは思えない。

 狩猟人形にできることは、標的を殲滅することだけ。

 殲滅した後のことを処理する役回りの人形が複数体、控えているに違いないのです。


 果たして。

 当院の外周をぐるりと囲う松林の中から、白いローブに身を包んだ十数体の人形たちが現れました。遠目にも見てとれるのは、かんばせを隠す白い仮面。短剣のような形をした、青い十字のペイント。

 彼らはメスキューくんたちの残骸が散らばる芝生を淡々と歩き、じきにわたしたちの眼前で足を止めました。循環液をたっぷり吸った芝生が、ぬちゃ、と嫌な音を立てました。


「ようこそ、止まり木の診療所へ。幾分か……いえ、かなり悲惨な有様ですが、そこはお互い様ということで。あなた方も、わたしたちも、多大な損害を出しました。ただ争うだけなんて野蛮は、そろそろやめにしましょう」


 一拍置いて、わたしは続けました。


「話し合いましょう。わたしたちも、あなたたちも、あまりにお互いのことを知らなさすぎる。だから、分かりあいましょう」


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