私が逢いたい「あの人」の話は、笑われるかなと思ったけれど、カイさんも音弥さんも普通に聞いてくれた。
「でも、それって恋じゃなくて興味だよね?」
音弥さんに指摘された。
「仮にそういう感情だとすれば、人にではなく、声に恋したことになるな」
真面目な顔でカイさんにも指摘されてしまった。
「いいんですよ。恋じゃなくても。私にもそういう気持ちがあるってことです。ただ、駿太とは、やっぱり友達だなって」
一緒にいれば楽しかったけど、駿太に逢いたくてたまらないとか、思ったことはない気がする。
それに、私のどこを好きになったのかわからない。心がもやもやする。
「じゃぁ、なっちゃんにできることは何もないから、深入りしちゃだめだよ」
音弥さんが私をじっと見た。
それはさっきカイさんに言われた。
私はカイさんに視線を送る。
「俺もさっき言った」
「まぁ、重要なことだからね。あとは浄化された夢魔が彼の中で消えるのを待つだけだよ」
駿太の気持ちに気づかないふりをしたまま、接するなんてできるだろうか。
バンドが休止中で助かった。
突然。ドン。ダダダダダダ。外からすごい音が聞こえた。
「なんですか?」
「そろそろ午後8時。夢魔が少しずつ出てきてもおかしくない時間ではあるな」
カイさんが、リビングに行き、通信機を腕に装着した。
「夢魔ってこんなに毎日いろんなところで発生するんですか?」
研究所の人数で、どうやって対応しているのだろう。
「昨日、おっきい夢魔が出たから、集まってきてるんだと思うよ。負の感情は負の感情を呼ぶからね。それにここは夢魔が集まりやすい場所になってるから」
音弥さんも立ち上がって準備を始める。
トリコさんも柚月さんもいない。
だけど、なんだろう少し安心感がある。
「那津、今いる夢魔は大したことないが、ドアや窓は開けるな。音弥はトリコさんを呼んで」
「ってことは、お掃除ね」
「お掃除?」
ここに来て初めて聞く単語である。
「夢魔は夢主の負の感情が強いと悪夢から生まれるって話したよね?浄化して夢主に還してあげるって。でも、唯一、浄化せずに退治する夢魔がいる。それが黒い夢魔だ」
音弥さんが、窓の外を指差した。
何もない。黒い夢魔なんて見えない。
「音弥、俺が先に行って集める」
カイさんは例のスティックをベルトに装着して、私が見ていた窓とは別の窓から出ていった。
音弥さんが通信機でトリコさんに連絡をとる。
ピー。
「黒い夢魔が大量発生した。トリコさん、すぐに」
「もう来てるわよ。任せなさい」
通信機から声が聞こえるか聞こえないかのうちに、窓の前にスティックに乗ったトリコさんが現れた。
「なっちゃん、あの黒い夢魔が──」
みんなに見えている夢魔が私には見えないらしい。昨日まで見えていたのに。
「音弥さん、私には見えないです。黒い夢魔」
困惑気味で、答えた。
「あ!そうか。なっちゃんが普通に夢魔が見えてたから、見えるものだと思いこんでたよ。まあ本来、普通の夢魔だって最初から特殊なメガネなしで見えることはないんだけど、あの夢魔は友達から発生したから、感性が繋がってて見えたのかも」
ということは、そのメガネがあれば私でも黒い夢魔が見えるのか。
「確か、ここに」
音弥さんが、赤いソファーの後ろにあるチェストの引き出しを開けた。そして、見た目が普通の黒縁メガネを渡された。
素直にはめてみる。
「音弥さん、まるで牧場の羊みたいに黒いふわふわが大量にいますけど」
「そう。それが黒い夢魔。慣れれば、メガネ無しでも見えるよ」
「普通の夢魔と違うんですか?」
「そうそう。さっきの話の続きね。こいつらは悪夢から出てきて、夢主から離れている間に、夢主との繋がりが途絶えて帰れなくなった負の感情の塊。要は、夢主が負の感情を残して死んじゃった奴らばかりだ。これは浄化しても還れないから、トリコさんに一掃してもらうんだよ」
どんな理由があったにしても、これだけ大量の負の感情があるということは、多くの人がこの世に恨みとか未練があったということだ。
外に目を向けると、トリコさんが、スティックをすごい勢いで黒い夢魔に刺していく。刺された夢魔は月の光と同じ色を放ちながら弾けて消えていく。
「トリコさんがやっているのも、浄化に似てるんだよ。負の感情をこの世に留めておかないように、解放してるんだから。それに、こいつらはこのままにしておくと、他の夢魔に取り込まれてしまうからね」
他の夢魔が大きくなるために、黒い夢魔を食べるということらしい。
みんな、辛いことを抱えながら生きているんだ。だからこんなにも多くの夢魔が生まれてしまう。他人にとってはちっぽけなことでも、本人にしてみれば、生きるか死ぬかみたいな悩みだってあるはず。
誰にでも夢魔を生み出してしまう可能性があるのだ。
「なんか、夢魔って切ないですね」
「だから鎮魂歌があるんだよ。なっちゃんも見たでしょ?昨日、柚月が最後に歌ったのがそれ」
「最後のだけ?」
「そう。他の歌は気休め。多少の動きを止めたり、癒やしたりの効果はあるけど、鎮魂歌は特別だから」
そうだったんだ。ただ歌を歌えばいいってわけじゃないのか。
カイさんに叱られたことが脳裏をよぎった。本当に何も知らない素人が歌なんか歌おうとして……恥ずかしい。
「大丈夫。なっちゃんも歌えるようになるよ。さ、そろそろ手伝いに行かないとトリコさんにキレられるから行くわ。なっちゃんは、ここで待ってて」
「はい」
戦力になれない私はまた部屋に取り残された。
ちょっとした疎外感で胸が痛い。
私は、動き続けるトリコさんから目が離せなくなっていた。ちゃんと、一体ずつ、丁寧に刺している。トリコさんが、掃除と言われた作業に見える行動の一つ一つを、心を込めてやっているように見えた。
ここにいる人はみんな、心を寄せすぎないギリギリのラインで、夢魔と向き合っているんじゃないだろうか。そう思った瞬間、優しい気持ちが広がっていくのを感じた。
あぁ、結局、夢魔は研究所のみんなの愛で浄化されているんだ。なんて、ぼんやりと考えているうちに、黒い夢魔は全ていなくなっていた。
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