月夜の歌は世界を救う

あめくもり
あめくもり

31.きっかけ

公開日時: 2022年3月16日(水) 01:59
更新日時: 2022年4月19日(火) 00:36
文字数:2,421

「那津、大丈夫?」


 キィっと小さな音を立てて、研究所のキッチンの奥にある裏口のドアが開いた。


「柚月さん!どうしたんですか?」


「しー。静かに。みんな、黒い夢魔と戦ってるのよね」


「そうですけど」


「あいつら、集めてきたの、私なの。ちょっとごめん。想像以上の数でもう、疲れた〜」


 柚月さんはキッチンを抜けて、リビングの赤いソファーに倒れこんだ。

 その時、ふわりと黒い綿毛のようなものが舞った。


「柚月さん、あれって、まさか」


 大きさは極小だけど、黒い夢魔だろうか。

 

 倒れこんだ柚月さんは返事をしない。

 ゆすっても、反応がない。


「柚月さん?柚月さん!」 


 どうしよう。息はしてるけど、急病?他のみんなは外にいるし、どうしたら……。


 柚月さんの左腕に巻かれた通信機が目に入った。たぶん、これは通信が切れている。操作はよくわからないけど、通信状態が維持されていれば、柚月さんと私の声に誰かが気づくはずだから。

 このまま、三人が戻ってくるまで待っていようか。でも、待っていたら状況が悪化するかもしれない。柚月さんの命に関わることだったらまずい。

 窓の外を見つめた。

 私はここに来てもまだ受け身で、誰かになにかをしてもらうまで動けていない。ずっと部屋の中から戦うみんなを見ているだけ。それで疎外感を感じている場合じゃない。

 私にはなにができるか考えなきゃ。でも、勝手なことをするわけにはいかない。こんなときに限って予備の通信機を借りていないし。連絡さえ取れれば……。

 そういえば、二階は発明家さんたちの作業場所だって言ってた。もし、誰かいれば通信できるかもしれない。


「待っててください」


 柚月さんに声をかけてから、廊下に出た。階段を駆け上がると、ドアが少しだけ開いていた。

 ノックする。


「あの、誰かいますか?」


「なんの用?」


 中から、出てきたのは発明家の弟子だった。

 私は急いで状況を説明した。


「名前、なつだっけ?私は凛。気持ち悪いから敬語はやめて」


 お互いに名前は覚えていたけれど、話すのは初めてだった。

 私が返事をすると、凛はポケットから小型の通信機を取り出して、カチャカチャとスイッチを押した。


「これは私の。私はめったに使わないけど。みんなの予備と同じで簡単な機能しかないから、使い方はわかるでしょ?カイと連絡とりな。私は柚を見に行く」


「ありがとう」


 私は発信音を鳴らして、現状を話しながら、凛を追って一階のリビングに戻った。


「今、凛さんが柚月さんを見てくれてます」


 凛をさん付けで呼んでしまった。急に呼び捨ては難しい。


「那津、よく聞け。黒い夢魔でもそこまで小さいものなら那津の歌で大人しくさせることは可能だ。すぐに音弥が向かうから、夢魔が動かないように歌ってくれ。優しい歌の方が効果があるはずだ。頼む」


 カイさんから指示が飛んできた。頼まれたことが嬉しかった。

 ソファーの横にしゃがんで、柚月さんの状態を確認していた凛が立ち上がった。


「呼吸はしてるし、脈もある……あれはそもそも実体がない光だから体内に入って悪影響が出たとは考えづらいし……」


 腕を組んでブツブツと呟いている。


「カイさんから歌うように言われたら、私、今から歌うね」


 もしも夢魔の悪影響なら、私の歌で柚月さんも救えるかもしれない。


「なつ、童謡とか歌える?」


「童謡?」


「そう。なつの歌を聴いたことないからわかんないけど、まだ見習いなんでしょ?それなら、わかりやすい曲がいい。音程も外さないし、誰でも知ってる曲なら夢魔に届きやすい。こいつら、まだちっちゃいし」


「わかった」


 凛の言うことは一理ある。童謡はいつの時代にもお年寄りから小さな子供まで知っていて、歌い継がれている。だったら夢魔にも届くはず。


 思いつく限りの童謡を歌っていく。童謡をこんなに真剣に歌ったことはないから、歌詞がうろ覚えの箇所もあったけど、気持ちを込めて。


 凛がソファーに倒れた柚月さんの背中をさする。


「なっちゃん、よくやったね」


 音弥さんが、玄関から飛んできた。手には月の光を蓄えたスティックが握られている。


「ふたりともソファーの方に避けて」


 音弥さんは部屋に飛んでいる綿毛サイズの夢魔に向けて、スティックを円を描くように回した。


 月の光で完全に動きの止まった夢魔を音弥さんはスティックで、トントンと触れていく。小さい夢魔は、線香花火が散るように、小さく弾けて消えていく。


 黒い夢魔には鎮魂歌は、歌われない。夢主の元に戻ることができないからだ。だとしたら、綿毛のような夢魔たちが最後に聴いたのは、私の童謡ということになる。

 最後に聴いてもらえた歌が童謡でよかったのかもしれない。


「柚っ、大丈夫?」


 凛が柚月さんに声をかけるが、まだ返事はない。


「凛、ちょっとどいて」


 音弥さんが、柚月さんの首の後ろに手を回した。


「脱水症状かもしれない。汗をかいてる。唇が乾燥していて、皮膚が少しあかい」


「……ん……おと……や?……ごめん、あ……たまいたいから……ちょっと……ねたい」


 柚月さんが反応した。

 凛がキッチンからスポーツ飲料を持ってきた。


「これしかないから、これを柚に飲ませよう」


 音弥さんが支えて、柚月さんの体を少しだけ起こす。

 凛が柚月さんにゆっくりと飲ませると、柚月さんはまた横になった。


「凛となっちゃん、ありがとう。とりあえず柚月はゆっくり寝てれば治るだろうから、もう大丈夫」


 凛と顔を見合わせた。


「じゃ、俺は外の状況見てくるから、柚月のこと見ててね。なんかあったら連絡して」


 音弥さんは玄関から外へ出ていった。窓の外を見ると、部屋から漏れる光の中には黒い夢魔は見えない。全て退治が終わったのかもしれない。


「凛、さっきはありがとう」


「ど、どういたしまして」


 凛が照れたように、目を逸らした。


「凛はずっとここで働いてるの?」


 同じ歳だと聞いたときから気になっていた。


「一年くらい前にここに来た。カイに誘われて」


 ということは、やはり高校には通っていないのか。でも、余計な詮索は嫌われそうだったので聞かないことにした。







 


 


 




 






 



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