一つ頭のケルベロス

棟方(むなかた)
棟方(むなかた)

4

私には無いもの。

公開日時: 2021年11月1日(月) 06:00
文字数:2,295

「あっ! いたいた!」


 物臭ものぐさな私の返事を遮るように、入口の方から鉄村の声が響く。


 助かったと内心ほっとしながら、さいさんの肩越しに鉄村を探した。大柄な身体はすぐに見つかって、困って眉をハの字に曲げた鉄村は、近付きながら口を開く。


「勝手にうろつくんじゃねえよ。どこ行ったのか分かんなかったじゃねえか……。んん?」


 鉄村は、振り返っていた裁さんと目が合うと、不思議そうにぽかんとした。


 裁さんも不思議そうに鉄村を見上げていたが、我に返るようにハッとすると、鉄村へ向き直る。


「すみません鉄村先輩! 勝手に天喰あまじき先輩を連れ出してしまって!」


「あれ。そうだったのか?」


 鉄村は良心が痛んだのか、うなじをぽりぽりといて目を丸くした。


 裁さんはスマホをしまいながら、慌てた様子で言葉を継ぐ。


「はい! まさか美術館で天喰先輩と会えるなんて夢にも思わず、つい連れ出してしまいました……! なので、天喰先輩を責めないで下さい! 私が有無を言わさずにやった事なので!」


「そ、そうか? ならいいけど……。へへ。悪いなァ、まさか裁ちゃんがいるとは思わなくってよ」


 このアホ、明らかにデレデレしている。


 そりゃあ、八高やつこうの生徒なら誰でも知ってる美少女が相手なんだから、当たり前だけれど。


 何だよ。ネカフェじゃ私には、効きもしない軽口叩いてたくせに。


「どうした?」


 視線に気付いた鉄村が、私に声を掛ける。


「別に」


 咄嗟とっさに目を逸らしながら答えた。


「何だよ? じっとこっち睨んでたじゃねえか」


「睨んでない」


 ギュッと目をつむりながら返す。


「いや睨んでたって」


 しつけえので、目を開けながら話題を変えた。


「手ぶらだけれど、荷物とあのキモい彫刻はどこやったんだ」


「あっ! そうだった!」


 鉄村は目をまんまるくして思い出すと、美術館の入り口を指して言う。


「あの彫刻、今から本物かどうか調べてくれるってよ! 警察がもう別の彫刻も運んで来てるから、そいつらと合わせて一緒に見てくれるってさ」


 り取りを見ていた裁さんは、私達に尋ねた。


「彫刻って何ですか?」


 うーんすぐにメディアに取り上げられそうな話題ではあるから、話してもいいとは思うけれど……。


「あー……。えっと……」


 私が言葉を探していると、代わるように鉄村が答えた。


「今朝、街で変な彫刻が見つかったってSNSで流れてただろ? あれを見つけたから、届けに来たんだ」


「えっ!? それってあの、文字化け作家の作品かもしれないって噂になってるあれですか!?」


 酷く驚きながら、めちゃくちゃ食い付く裁さん。


 ただでさえ人の気を引く話題なのに、美術部員の彼女にそんな話をしたもんだから、


「見たいです! どこにありますか!?」


 と、大興奮で詰め寄られる。


 鉄村は圧倒されながらも、


「え? ええっと、今は取り敢えず受付に置いて来てるけど……」


 と答えるので、


「拝見しますッ!!」


 裁さんは、全力で館内へ駆け出してしまった。


 陸上部に転身してもやっていけるんじゃないかと思わせる、それは爆発的なスタートダッシュを決めて走り去っていく彼女を、そのまま美術館に突進させてはいけないと、私と鉄村は慌てて追う。


 しかし裁さん、冷静さを失っている訳では無かった。入館した瞬間にはピタリと爆走をやめ、それは静かに玄関を抜けると思ったら、自動ドアのガイドレールに躓き、つんのめるようにド派手に転倒した。


 裁さんを追いかけていた私と鉄村は、当然その瞬間を目撃し、凍り付いたように動けなくなる。


 ……何でスピードを落としてから転ぶ? 雨で滑ったのか?


 腕を前方へ伸ばし切って倒れたその姿は、どうポジティブに捉えようとも、滑稽かつ哀れ。失笑する前に何とか顔を背けなければと焦りが顔を覗かせるが、いやいくら面白いからって、転んだ女性を前に笑っている場合かと我に返り、裁さんが素っ転んでから一秒後には、彼女を抱き起そうと小走りで駆け出した。


 だが裁さんは、情けなど要らぬと言うように、己の足でしっかりと立ち上がる。


 怪我が無くて安心したが、それはもう、何事も無かったような顔をしていた。いや、雨で濡れた床に伏したのだから、身体の正面は雨水で若干湿気しけってるけれど。でも転んではいません。転んだから何なんです? と、むしろ周囲に喧嘩を売るような威圧感を纏い、悠然と受付へ歩き出す。


 勿論受付も一部始終は目撃しており、外れるんじゃないかってぐらい顎をあんぐり開け、裁さんを見ていた。美術館なんて、静かな所に勤めているからだろうか。騒々しさに慣れていない様子が、そのオーバーなリアクションに現れている。奇しくもこの場で一番失礼な態度を取っているのは、来館者を迎える上で、最も冷静でいなければならない彼らだった。


 当然裁さんにも受付のリアクションは見えており、何か声を掛けるかと思いきや、無視してカウンターに放置されていたコガネムシを鑑賞し出す。多分受付のリアクションが、流石にウザかったんだろう。


 しかし声を掛けてやらねば、彼女の心が辛いだろうに。


 裁さんの圧にやられて立ち止まっていた私は、後ろからそろそろと歩いて来た鉄村と肩を並べると、様子を窺いながら裁さんに近付く。


 彼女のコガネムシを眺める姿に、私は息を呑んだ。


 それは夢中なのだ。


 転んだ羞恥心を誤魔化ごまかす演技では無く、転んだ事そのものを、もう忘れているんじゃないかって思うぐらい。


 芸術なんて難しい事分からない私でも、その情熱がひしひしと伝わって来る。同時に、欲しかった玩具おもちゃでも買って貰った子供みたいな、無邪気さも滲ませて。


 小学生の頃、帯刀おびなたが、親に買って貰った自転車を自慢しに来た時も同じ顔をしていた。その日の内に走行中ドブに突っ込んで、前カゴを潰してたけれど。


 ……あいつ今、何してんだろ。

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