「あっ! いたいた!」
物臭な私の返事を遮るように、入口の方から鉄村の声が響く。
助かったと内心ほっとしながら、裁さんの肩越しに鉄村を探した。大柄な身体はすぐに見つかって、困って眉をハの字に曲げた鉄村は、近付きながら口を開く。
「勝手にうろつくんじゃねえよ。どこ行ったのか分かんなかったじゃねえか……。んん?」
鉄村は、振り返っていた裁さんと目が合うと、不思議そうにぽかんとした。
裁さんも不思議そうに鉄村を見上げていたが、我に返るようにハッとすると、鉄村へ向き直る。
「すみません鉄村先輩! 勝手に天喰先輩を連れ出してしまって!」
「あれ。そうだったのか?」
鉄村は良心が痛んだのか、項をぽりぽりと掻いて目を丸くした。
裁さんはスマホをしまいながら、慌てた様子で言葉を継ぐ。
「はい! まさか美術館で天喰先輩と会えるなんて夢にも思わず、つい連れ出してしまいました……! なので、天喰先輩を責めないで下さい! 私が有無を言わさずにやった事なので!」
「そ、そうか? ならいいけど……。へへ。悪いなァ、まさか裁ちゃんがいるとは思わなくってよ」
このアホ、明らかにデレデレしている。
そりゃあ、八高の生徒なら誰でも知ってる美少女が相手なんだから、当たり前だけれど。
何だよ。ネカフェじゃ私には、効きもしない軽口叩いてたくせに。
「どうした?」
視線に気付いた鉄村が、私に声を掛ける。
「別に」
咄嗟に目を逸らしながら答えた。
「何だよ? じっとこっち睨んでたじゃねえか」
「睨んでない」
ギュッと目を瞑りながら返す。
「いや睨んでたって」
しつけえので、目を開けながら話題を変えた。
「手ぶらだけれど、荷物とあのキモい彫刻はどこやったんだ」
「あっ! そうだった!」
鉄村は目をまんまるくして思い出すと、美術館の入り口を指して言う。
「あの彫刻、今から本物かどうか調べてくれるってよ! 警察がもう別の彫刻も運んで来てるから、そいつらと合わせて一緒に見てくれるってさ」
遣り取りを見ていた裁さんは、私達に尋ねた。
「彫刻って何ですか?」
うーんすぐにメディアに取り上げられそうな話題ではあるから、話してもいいとは思うけれど……。
「あー……。えっと……」
私が言葉を探していると、代わるように鉄村が答えた。
「今朝、街で変な彫刻が見つかったってSNSで流れてただろ? あれを見つけたから、届けに来たんだ」
「えっ!? それってあの、文字化け作家の作品かもしれないって噂になってるあれですか!?」
酷く驚きながら、めちゃくちゃ食い付く裁さん。
ただでさえ人の気を引く話題なのに、美術部員の彼女にそんな話をしたもんだから、
「見たいです! どこにありますか!?」
と、大興奮で詰め寄られる。
鉄村は圧倒されながらも、
「え? ええっと、今は取り敢えず受付に置いて来てるけど……」
と答えるので、
「拝見しますッ!!」
裁さんは、全力で館内へ駆け出してしまった。
陸上部に転身してもやっていけるんじゃないかと思わせる、それは爆発的なスタートダッシュを決めて走り去っていく彼女を、そのまま美術館に突進させてはいけないと、私と鉄村は慌てて追う。
然し裁さん、冷静さを失っている訳では無かった。入館した瞬間にはピタリと爆走をやめ、それは静かに玄関を抜けると思ったら、自動ドアのガイドレールに躓き、つんのめるようにド派手に転倒した。
裁さんを追いかけていた私と鉄村は、当然その瞬間を目撃し、凍り付いたように動けなくなる。
……何でスピードを落としてから転ぶ? 雨で滑ったのか?
腕を前方へ伸ばし切って倒れたその姿は、どうポジティブに捉えようとも、滑稽かつ哀れ。失笑する前に何とか顔を背けなければと焦りが顔を覗かせるが、いや幾ら面白いからって、転んだ女性を前に笑っている場合かと我に返り、裁さんが素っ転んでから一秒後には、彼女を抱き起そうと小走りで駆け出した。
だが裁さんは、情けなど要らぬと言うように、己の足でしっかりと立ち上がる。
怪我が無くて安心したが、それはもう、何事も無かったような顔をしていた。いや、雨で濡れた床に伏したのだから、身体の正面は雨水で若干湿気ってるけれど。でも転んではいません。転んだから何なんです? と、寧ろ周囲に喧嘩を売るような威圧感を纏い、悠然と受付へ歩き出す。
勿論受付も一部始終は目撃しており、外れるんじゃないかってぐらい顎をあんぐり開け、裁さんを見ていた。美術館なんて、静かな所に勤めているからだろうか。騒々しさに慣れていない様子が、そのオーバーなリアクションに現れている。奇しくもこの場で一番失礼な態度を取っているのは、来館者を迎える上で、最も冷静でいなければならない彼らだった。
当然裁さんにも受付のリアクションは見えており、何か声を掛けるかと思いきや、無視してカウンターに放置されていたコガネムシを鑑賞し出す。多分受付のリアクションが、流石にウザかったんだろう。
然し声を掛けてやらねば、彼女の心が辛いだろうに。
裁さんの圧にやられて立ち止まっていた私は、後ろからそろそろと歩いて来た鉄村と肩を並べると、様子を窺いながら裁さんに近付く。
彼女のコガネムシを眺める姿に、私は息を呑んだ。
それは夢中なのだ。
転んだ羞恥心を誤魔化す演技では無く、転んだ事そのものを、もう忘れているんじゃないかって思うぐらい。
芸術なんて難しい事分からない私でも、その情熱がひしひしと伝わって来る。同時に、欲しかった玩具でも買って貰った子供みたいな、無邪気さも滲ませて。
小学生の頃、帯刀が、親に買って貰った自転車を自慢しに来た時も同じ顔をしていた。その日の内に走行中ドブに突っ込んで、前カゴを潰してたけれど。
……あいつ今、何してんだろ。
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