ネカフェに入ると、図体のデカい鉄村が窮屈しないよう四人用の部屋を借りて、併設されたシャワーを浴びた。
コンビニで買った下着と厚手の白T、作業着用品店で買った、カーキ色のストレッチパンツに着替えると、洗濯乾燥機に突っ込んでおいた服を回収しに行く。
そのままトイレに直行して、このとんでもなくダサい格好から、制服姿に戻るとしよう。仕事着とは、その職に就く人が着るからこそ映えるものであって、学生に過ぎない私が作業着を着ても、服に着られているだけで似合いはしない。
ジャージを着た若い女性と、残業明けでくたびれたスーツ姿の中年男性と、灰色の作業着を着た、頭がマグカップになっている年齢不明の男性と擦れ違いながら廊下を行くと、化粧室に入って、トイレの鍵を掛ける。
特徴の無いブラウスに濃紺のブレザーと、チェック柄の入ったダークグレーの、長さを変えていない膝丈のプリーツスカート。私にはこの、八束高校の制服が丁度いいのだ。魔術師という身分上、今朝のような大立ち回りも日常なので下着が見えないよう、防寒用の百十デニールの黒タイツの上から、黒のホットパンツを穿けば完璧である。指定されていない服を勝手に着るのは校則違反だが知らん。これはどう考えても止むを得ない事情だ。
女子もズボンを穿いていい校則を作れと何度も言っているのだが、流石教育の現場は頭が固い。まあ全国を見れば、口に出すのも寒気を覚えるような異常な校則とはまだまだ転がっているので、まだ私の場合は軽度な被害者だと、納得させておく。
いつも着けているドッグタグネックレスを隠すように、ブラウスに袖を通すと、一番上までボタンを留めた。最後に赤いリボンタイをきっちり結んで、荷物を纏めるとトイレを出る。
既にドライヤーは借りたので髪は乾かしてあるのだが、おばけの薬を飲んでいるので、鏡に映るのは例の化け物姿なのだ。身だしなみが一人では出来ないのが、非常に気になるしもどかしい。早足で借りた部屋に向かうと、カードキーでドアを開けて、一番に言う。
「何か変じゃないか?」
ドアの隣のテレビには、電源が入っていた。テレビの正面にはローテーブルが置かれ、その向こうにある四人掛けのソファには、テレビを観ている鉄村が座っている。
鉄村は、私に気付くとぽかんとして、テレビから顔を上げて言った。
「何が?」
「格好だよ。髪とか」
間抜け面でこちらを見ていた鉄村は、腕を組むと難しい顔になり、私を凝視する。
「……うーん……? 別に? 髪はいつもの、青のインナーカラーが入った黒のショートだろ?」
私はやや不機嫌になって、低くなった声で訂正する。
「ショートボブな」
インナーカラーも正しくは鉄紺だから、全て不正解なのである。正解を目にして答えておきながら。
鉄村は、反則技でも使われたような顔になった。
「男は女子の髪型なんか分かんねえよ。春にその長さまでバッサリ切って、そこからずっと伸ばしてないのは分かるけどさ」
「二十センチは切ったのに分からなかったら目か頭の病気だろうが」
「それぐらいしか分かんないって言ったの! 誰だよちっちゃいボブって」
「私が小人になったとでも思ったのか名前の通りショートとボブの中間の髪型って意味だよ!」
馬鹿野郎が!
怒鳴る私に鉄村は、降参するように両手を挙げた。
「分かった、分かったよ。今度妹にでも聞いとくよ」
どうせこの会話が終わった瞬間に、ショートボブという髪型の存在から忘れるだろ。
溜め息を堪えようと、つい目を伏せながら尋ねた。
「……そうかい。で、どうなんだよ結局」
返事がしないので目を開けると、どうしてか、本気で困惑の表情を浮かべている鉄村。
「え……? 何が……?」
「だから変な所無いかって訊いたんだよ! おばけの薬で鏡に映らないから、一人で身だしなみ出来ないだろ!?」
「あー成る程そういう事なァ。はいはいハイハイ」
鉄村は、やっと意味が分かったらしく膝を叩くと、腕を組み直しながら右の人差し指を私に向けた。
「何も変じゃねえさ。美人だよ」
珍しく気障な態度に、私は片眉が上がる。
「……へえ?」
試すような私の返事に、鉄村は退屈そうに唇を尖らせた。
「ちぇっ。言われ慣れてる奴はやっぱり違うな」
「本気で言われたなら流石に照れるよ」
つい微笑んで返すと、部屋に置いていたリュックに荷物をしまう。ソファに回ると、鉄村の左隣に座った。背凭れにゆったりと身を預けながら膝を緩め、左足首の上に右足首を乗せると、腹の上で両手を組む。
ローテーブルには、鉄村がコンビニで買ったままほったらかしている、クリームタイプのハードワックスが置いてあった。こいつもおばけの薬の所為で、自分でセット出来ないんだろう。
正面のテレビへ、視線を上げながら口を開いた。
「さっきの腹立つチラシの件、親御さんに連絡したのか」
テレビ視聴を再開していた鉄村は、テレビに気を取られながら答える。
「あー……。お前がシャワー浴びてる間に、電話しといたよ」
「お前も浴びろよ? 折角来たのに」
鉄村は、目を伏せてフッと笑うと、肩を竦める。
「残念だがお前みたいに、ぱっと服を買えるようなお小遣いは支給されてなくてな。急なワックスだけでカツカツだぜ」
「人を金持ちみたいに。ただの政府で言う所の、軍人恩給だよ。使わないで貯まっていくのを見ると、まだ本人が生きてる錯覚をしちまって……」
眠くなってきてしまって、欠伸をしながら答えた。
そんな気の抜け切った私の言葉に鉄村は、思いを巡らせているような一瞥を向ける。
多大な功績を残した魔術師には、国の魔術師を管理する魔術協会という組織から、恩給制度が適用されるのだ。最期まで世の為に働き抜いた魔術師の家族に、毎月結構な額が振り込まれる。
私の父は、この街を襲った魔法使いとたった一人で戦い、たった一人の犠牲者も出さずに見事退けるも、自身の命は落としてしまった魔術師だ。この恩給は、私が十四の頃から始まって、多少散財しても使い切れない額に膨れ上がっている。まだ底の見えないこの大金は、父がいかに優秀な魔術師であったかという証であり、余り知らない内に死んだ父の人となりを想像する、数少ない手掛かりなのだ。当時の戦いは鉄村の父も知っており、高校入学時に同じクラスになって知り合った鉄村自身も、私が話す前から彼の父により、私の父について伝え聞いていた。
だから色々と、考えるんだろう。お節介な事である。
何も私は、お前は恨んじゃいないのに。
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