スマホが鳴って、着信を知らせる。
男を掴んだまま右手で取り出すと、発信者名を見る。嘆息しながら通話ボタンを押して、耳に当てた。
「……もしも」
「悪い遅刻した! 今どこにいる!?」
食い気味で喋り出した少年の声に、苛立ちを覚えながら辺りを見る。
「どこって……。駅の三番出口の高架線だよ」
私の語尾に重なるように、電車が走って来る音が聞こえた。
まずい。そろそろここから下りないと。
電車の走行音に掻き消されたのか、少年は聞き返して来る。
「え!? 何て!? 三倍満!?」
「何でだよ! いやあの、今喋ってる暇が無い!」
とうとう電車が、その輪郭をはっきりさせながら近付いて来た。
おろおろしている私を他所に、少年はのんびりと笑う。
「いやいや酢豚にパイナップルはナシだろお前~!」
「何が聞こえてんだよお前は!」
「えぇ!? 何て!?」
「うるせえな!」
電車のライトに照らされ、視界が真っ白になった時だった。
背後から何かの束に掴まれ、男と共に宙へ攫われる。
驚きながら、正体を暴こうと振り向いた。
つるつるとした質感の黒と黄色の縦縞模様が、目に飛び込んだと思うと視界を覆い尽くす。
トラテープだ。
どこからか現れたトラテープの束が、一つの手のようになって、私と男を掴んでいる。
トラテープの束は引き戻されるように地上へ近付くと、男がアスファルトを剥がした辺りで解けた。糸のように、一本一本バラバラになって離れて行くトラテープ達は、私の正面に立つ少年の背後へ消えて行く。
その少年は大柄だった。
八束高校の制服を着て、リュックを背負っている。余りに大柄なものだから、右手で耳に当てているスマホや、左手で差しているビニール傘が、妙に小さく見えた。背丈は辺りの野次馬と比べても、頭一つ分は抜けている。線は柔道部のように太く、浅黒い肌に、モヒカンアップバングの黒髪が雄々しい。顔の作りがちょっと間抜けで、童話に出て来る熊のような印象も与えた。
少年は私と目が合うなり、私とお揃いのストラップが付いたスマホを握ったままで右手を挙げる。
「よっ」
その顔の、何とまあ能天気な。
私は呆れてしまって、怒る気にもなれず言葉を返した。
「……何してたんだよ」
生来高くも無いのに、更に低くなった私の声が、自分の喉と少年のスマホから二重に流れる。
私は自分のスマホに目を向けると、通話を切った。発信者名の鉄村武という文字が、電話機能を終了する間際目に残る。
そう、あの呑気な熊男こそが待ち合わせ相手の鉄村であり、さっきのトラテープを操っていた魔術師だ。
鉄村は私が電話を切った事に気付いて、スマホをしまいながら頭を掻く。
「いやー、ちょっと道が混んでてなあ……」
「この通りが朝から込むか」
「いやマジなんだって! ここじゃなくて、ここにに来るまでの間! SNS見てねえのか?」
「見てない。つかこれ。何とかしてくれ」
私は掴んだままだった男を、鉄村によく見せるように、肩辺りまで持ち上げた。
鉄村は太い眉を曲げて、困ったように嘆息する。
「はあ。朝から違法魔術使用者なぁ……。そいつもさっき、SNSで見たよ」
そう鉄村が言うと、男の辺りの地面から、トラテープが湧き出す。トラテープは男へ伸びると、あっと言う間に男をぐるぐる巻きにした。
便利な魔術である。好きな場所からトラテープを出しては、好きに相手を縛るなり捕まえるなり出来るんだから。
トラテープは、男が剥がして私が填め込んだアスファルトの周りからも湧き出すと、その身で填め込まれたアスファルトと道路を縫い合わせた。
縫い終わったトラテープが、きっちり道路を補強する様子を見ていた鉄村は、満足したように頷く。
「ま、応急処置としては十分だろ。怪獣にでも踏まれない限り問題無いぜ」
「出るかそんなもん」
「出るかもしれねえだろもしかしたらァ。ロマンの無え奴だなあ」
鉄村は心外そうに返して来ると、私達を取り囲んでいた野次馬へ目を向けた。
「おいお前ら、いつまでも撮ってんじゃねえ。俺達はパンダじゃねえんだぞ」
鉄村は嫌そうな顔になって、虫でも払うようにシッシと手を振る。
私は忘れていた野次馬への怒りが再燃して、辺りを睨みながら左肩を回した。
「そんなんで聞くかよ。見せしめに一匹殴ろうぜ」
鉄村は私へ横顔を向けると、辺りに聞こえないようボソッと言う。
「あいつらの視線が高架線に向いてたお陰で、電車に轢かれる前にお前の居所に気付けたからダメ」
「うっせえハゲ」
「だーれがハゲじゃハゲてねえだろうがどこもー」
鉄村は言いながら振り返って来ると身を屈め、私の顔に頭頂部を向けて来た。
鬱陶しいから押し退けようと左手を伸ばすと、鉄村は、差していた傘を私の左手に握らせてくる。幾ら私が細身だからって、大柄な鉄村も入る程の大きさは無い傘は、私だけをすっぽり覆ってしまった。
意味が分からなくて眉を曲げると、背筋を伸ばした鉄村は、ニヤリと笑う。
「行こうぜ。ここより面白えとこなんてどこでもある」
言うと鉄村は、私の肩に腕を回し歩き出した。
「は? おい……!」
筋肉で丸太のように膨れた腕に掴まった私は、引き摺られるように連れて行かれる。
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