一つ頭のケルベロス

棟方(むなかた)
棟方(むなかた)

菫コ縺ッ縺雁燕縺梧ー励↓蜈・繧峨↑縺??

公開日時: 2021年9月1日(水) 20:02
更新日時: 2021年9月21日(火) 23:35
文字数:2,309

 正面方向から、数台のパトカーのサイレンが聞こえて来た。すぐに姿を現した三台のパトカーは、歩道に入った私達や野次馬を通り過ぎ、ぐるぐる巻きにされた男の側に停車する。中から警官が出て来ると、あっと言う間に男をパトカーに乗せ、無線機でどこかに連絡を始めた。


 あの手際のよさから見るに、鉄村が呼んだんだろう。犯人を捕まえるのはその危険性から魔術師の役目だが、違法魔術も犯罪だ。後始末と言った他の部分は、警察の仕事にも入って来る。鉄村が路地裏に入ったので、様子を窺えるのはそこまでとなった。


「遅刻の理由は二つだ」


 鉄村は雨をしのごうと、空いた手でひさしを作りながら切り出す。


「一つは、さっき誰かが吸血鬼に襲われたそうで、その現場保存のための交通規制にかったんだよ。魔術師だからって理由で警察の方にも、何か知りませんかって話聞かれるし」


 今更濡れたって変わらないから鉄村を傘に入れようと、腕を伸ばして爪先立つまさきだちを繰り返していた私は聞き返した。


「朝から吸血鬼?」


「この所ずっと雨が降ってて、太陽が見えないだろ? 最近時間帯を問わず増えてんだってさ。こういう吸血鬼とかの、夜に現われがちな怪物による被害」


 私はうんざりしながら返す。


「……あいつら、怪物と魔法使いを混同するなって何遍なんべん言えば分かるんだ。吸血鬼退治は魔術師の専門じゃない」


「まー、やろうと思えば魔術師でも退治出来るからじゃねえの? 違法魔術使用者を見つけて捕まえるのは魔術師の仕事だけれど、そいつを裁くのは法律だし、裁判が始まる間のそいつの面倒は、警察が見てくれるし。向こうの仕事を増やしてる身からすれば、そう断るのは酷に映るぜ」


「怪物退治は狩人の仕事だ。あいつらまで仕事を失くしたら、今度は何が出て来るか分からないぞ」


「そいつもそうだ。ほら、こいつが二つ目だよ」


 言うと鉄村は、急に路地の真ん中で立ち止まった。私も言われたままに足を止めるが、何か変わったものは見えない。


 図体のデカい鉄村とビルの壁に挟まれて、今にも潰されそうな気分になって肩をすくめながら、もう一度辺りを見る。でもやっぱり、ただの路地裏だ。


「……どれだよ」


 分からなくて鉄村を見上げると、意味の分からない、腹立つにやけ面を浮かべている。


「なぁんだ分からねえのか? これだよ」


 鉄村がニヤニヤと顎で足元を示すので、怪訝けげんに思いながらも視線を下ろした。


 私の黒いロ―ファーと、鉄村の履き慣らした赤いスニーカーの鼻先で、官製葉書はがきの横幅ぐらいもあるコガネムシが這っている。


「ひぃっ!?」


 私は驚いて飛び上がると、傘を落としそうになりながら鉄村の背中に回った。


 鉄村はこらえていたものを噴き出すように、豪快に笑う。


「だっはっは! お前本当に虫苦手だよなあ!」


「うるさい早くそれ何とかしろ! てか何でそんなでっかいんだそいつ!」


 鉄村の背にしがみついたまま、顔を覗かせてコガネムシを見た。……ああ気持ち悪い。……けど、動いていない? 大粒の雨を受けているのに足一本動かさない所か、身体の色が違う。あの不気味な光沢も無い、アスファルトと同じ灰色だ。


「これ彫刻なんだよ」


 鉄村はひさしを作ったまま、私が飛び上がった際に振り払った方の腕で、コガネムシを指す。


「御影石で彫られてんだってさ。台座ごと一繋ぎで彫られてあって、地面を掘って台座ごとめ込んでるらしい」


 鉄村は熊みたいな身体を屈ませると、コガネムシの足元に、太い人差し指を向けた。私はその動きだけで、悲鳴が出そうになる。


 だが鉄村は気にしていないようで、そのまま地面を、すーっと真横になぞってみせた。確かにコガネムシは全く動かないし、鉄村がなぞった位置を境目にするように、地面の色が微妙に違っている事に気付く。


 その様子を、鉄村を傘に入れながら覗いていた私は、僅かに安心しながら声を漏らした。


「……本当だ」


 鉄村は背中越しに振り返って来ると、歯を見せてくしゃっと笑う。


「本物のコガネムシだと思ったろ? 有り得ない大きさしてんのに」


 確かに、こんなに大きいコガネムシいやしないのに、本物に見えて驚いてしまった。ただ虫が嫌いだから、同じ形をしたものを見て驚いたんじゃなくて、本当にその大きさをした生きてるコガネムシが、目の前に現れたんだと思って。この正体が石だなんて、まだ少し信じられない。


 まだ全身に立った鳥肌が治まらなくて、傘を持つ左手をさすりながら尋ねる。


「……でも、何でこんなものが?」


「文字化け作家だよ。お前も帯刀おびなたに、このストラップ貰ったろ?」


 鉄村は言うと、ズボンの尻ポケットからスマホを出して掲げて見せた。私がスマホに付けているものと全く同じ、ステアレザーのストラップが揺れている。


 このストラップは、私と鉄村の共通の友人である、帯刀おびなたからのプレゼントだ。文字化け作家とはこのストラップの作者である、正体不明の人気造形作家を指す渾名である。渾名の由来は、自身のSNSのアカウント名と、活動拠点としているオンラインアートギャラリーでの登録名の、「菫コ縺ッ縺雁燕縺梧ー励↓蜈・繧峨↑縺??」だ。文字通り文字化けしていて、渾名でも付けないと呼びようが無い。


 この作家は、自分のホームページを持たず、出展もしないが、登録しているオンラインアートギャラリーでは常に売り上げ上位を独占しており、アート好きな人々の間では、数年前から話題になっていたらしい。特にここ最近は、数千円から購入出来る安価な作品も発表するようになった事で、流行りにさとい学生の間でも人気者だ。作品発表のみで、自身の素性について一切言及しないミステリアスなSNSでの投稿も、注目を浴びたきっかけらしい。かくいくら調べても、何も分からないそうなのだ。作品が素晴らしい事以外。

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