やっと落ち着いたのか、腰から手を下ろした裁さんはぽかんとした。
開かれた二重瞼の目が、夏の清涼飲料水のCMに起用されそうな、天真爛漫な顔立ちを引き立てる。たったそれだけの表情の変化で、彼女に圧倒されたのはその溢れる元気と、何度顔を合わせても息を呑む、優れた容姿の所為だと思い知らされた。
まずは、美術館で咄嗟に投げた視線が、彼女の顔を捉えられなかった理由である高身長。百六十五センチはあるだろうし、手足もすらりとして見栄えがいい。かと言って、近寄り難さや威圧感は無い。やや緩い胸元や、紺のセーターの裾から覗く短いスカートが、先生に注意を受けない程度にはお洒落をしたいという素直さと、クラスカースト最上層に属しているだろう快活さを覗かせる。……あくまで“患者”の症状に過ぎないものを褒めるのはどうかと思うが、手入れの行き届いた黒いロングヘア全体にかかる、不規則なボルドーのメッシュが、こうも似合う日本人がいるだろうか。
まるで別世界の人間だ。そう彼女を絶賛する八高の生徒は後を絶たないが、この佇まいを見るだけで、頷ける程の存在感を十分覚える。街を歩けば、雑誌の取材に声を掛けられても不思議じゃない。
まあ口を開けばこの通り、
「あー……。確か、ご自分の苗字が嫌いなんでしたっけ? 厨二病のガキが、ゲームや自作漫画の主人公に、喜んで付けそうな苗字みたいで恥ずかしいって」
かなりのサバサバ系なのだが。
「……いやあの、そんなにハッキリ覚えてるなら言わないで」
小さい頃から冷やかされてるので、実は結構なコンプレックスなのである。
然し裁さんは不思議そうに言う。
「でも、カッコよくないですか? 天喰って。全国的にも超珍しい苗字ですし。私、天喰先輩と出会って、生まれて初めて聞きましたもん」
「それを言うなら君も相当だよ」
漢字一文字で成立する苗字なんて、聞いた事無かった。まして裁って漢字が、人名に使われているイメージが無い。
……いや、以前にも聞いた事があるけれど、それも聞いた内に入らないようなレアケースだ。教科書で何度も豊臣秀吉を見ている内に、別に豊臣姓って珍しくないよなと、錯覚するようなものである。実際に豊臣姓の人と出会う機会なんて多くないのに、見聞きしている内に勝手な親近感と言うか、慣れを覚えてしまって。
裁さんは両手を後ろに回すと、私の顔を覗き込むように、上体を倒して笑う。
「いーいじゃないですか。似合ってますよ? 名前負けしてる訳でも無いんですし。天喰先輩って無気力クールって言うかダウナー系ですから、そういうカッコいい方面の方が様になりますって」
「人に麻薬用語を向けないで」
まして人を柱まで追い詰めた状態で。
裁さんはびっくりして、上体を起こすと手を振る。
「えっ!? いやいや、誉め言葉ですって! ダウナー女子って言いません!?」
私としては意味が分からなくて、眉を曲げた。
「……陰気は誉め言葉にならないでしょ」
陰キャ女って事じゃん。
君が同期だったら言葉の暴力で応じてたよ。
裁さんは即答する。
「ロックで言う所のオルタナです」
面食らって黙り込んだ。
何だその超分かりやすいたとえ。
「……成る程。ジャンルって事か。ダークヒーローとかダークファンタジーって、確かにカッコいいし」
裁さんは満足そうにまた上体を倒すと、私を覗き込んでにこっと笑った。
「そういう事です。だからカッコいい系の天喰先輩にピッタリです」
「分かった、分かったよ。それで、何で君はここにいるのさ」
恥ずかしくなって手を振り話を遮る私が面白いのか、裁さんは身体を起こして笑う。
「へへ。それを言うなら天喰先輩だって同じですが。ってまあ皆と同じ、今朝の騒ぎですよ」
私は、顔の火照りが一気に引くのを感じながら尋ねた。
「……もしかして、駅前で違法魔術使用者が捕まったって話?」
裁さんはぽかんとする。
「えっ? 他にも何かあったんですか? 学校からは連絡来てませんけれど……」
裁さんはそこまで言うと、ブレザーのポケットからスマホを出して確認する。
今度は私は分からなくなった。
「連絡? そんなのあったっけ?」
裁さんは顔を上げると、もうびっくりした様子で私を見る。
「んえっ? 学校に連絡先伝えてないんですか? その違法魔術使用者の一件で電車が止まったから、授業開始時間を遅らせるって学校から連絡来てましたよ? 交通状態や街の様子を見ながら、午後ぐらいから始める予定だって」
「そうなんだ?」
私もスマホを取り出すと、メッセージアプリや着信、メールボックスを確認する。
授業用にと学校で作ったアドレスに、学校からのメールが一件入っていた。開いてみると概ね裁さんの話通り、授業時間を遅らせると書いてある。
……普段から通知を切りがちだから、気付かなかったのか。スマホってそのままで使ってると、ブーブー煩いから。
「……本当だ。駅前での違法魔術使用者と、その件の少し前に起きた吸血鬼事件を踏まえて、授業時間を遅らさせますって書いてるね」
裁さんは目を丸くすると、思い出したように視線を上げる。
「ああ、ありましたねそんなのも」
「いやいやそんなのって」
危機感があるとは思えない反応の薄さに、ついツッコミを入れてしまった。
「怖くないの? 違法魔術使用者は捕まったけれど、吸血鬼の方は捕まったの?」
「どこに行ったかもまだ分からない吸血鬼より、捕まえられた違法魔術使用者ですよ。そ・れ・に! その違法魔術使用者、すぐに飛んで来た魔術師に捕まえられたそうですし!」
裁さんは声を弾ませると、操作したスマホを私へ見せる。
「いつも通りメディアへの対策はされてますから正体は分かりませんけれど、今度こそその魔術師は、一つ頭のケルベロスかもしれないって、ネットじゃ朝から盛り上がりっ放しなんです!」
裁さんが楽しそうに話すのを聞きながら、彼女が向けて来たスマホを見た。
画面に表示されていたのは、例のぶよぶよマンを捕まえようとする私の姿が、おばけの薬で化け物に変換されている写真。
私としては盗撮された写真を見せられているだけなので、どうしたって気分は上がらず、冷えた態度になってしまう。
「……ああ。そうだね」
裁さんは、ノリが悪い私を茶化すように笑った。
「もう、テンション低いですよ天喰先輩! 天喰先輩、この街出身なんですからよくご存じでしょう!? この街のどこかに潜んでて、出会えば何でも願いを叶えてくれる、一つ頭のケルベロス! 正体は本物の怪物とも、この街に住むある魔術師の渾名とも噂されてますけれど、天喰先輩としてはどうお考えですか!?」
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