鉄村は、私が不機嫌になって噛み付いている理由を分かっているだろうに、おどけた調子を崩さない。
「軽く食うだけだって。お前も朝から動き回ったから、小腹空いただろ?」
「いいよ。朝はあんまり入らないし」
「なァーに言ってんだまた痩せちまうぞ? 元々細っこいくせに」
鉄村はスマホを操作しながら、片手で私の腕を掴むと持ち上げる。
鉄村の腕と、プリントでも拾うように軽々しく持ち上げられた私の腕は、厚みが大木と小枝ぐらい懸け離れていた。鉄村が大柄で、私が華奢なのだと一目で分かる。
鉄村は私の腕を離すと、言い聞かせるように続けた。
「いいか? 人間は身体が資本だぞ? ただでさえお前は、一回調子を崩すと面倒だ。阿部さんにも言われてるだろうが、よく寝てよく食べないと……」
「身が持たないだろ。分かってるさ。何だって皆して同じ事言う」
「お前が出来てねえからだろ~? ほれ、何か食いたいの言ってみ? 食べ切れない分は俺が食うからさ」
言うと鉄村は身を屈ませて、目線の高さを私に合わせると、ずいっとスマホの画面を私の鼻先へ近付ける。距離感がおかしいのかこの馬鹿。
近過ぎる画面上のフードメニューには、さっきまで鉄村が見ていたのだろう、かつ丼やらカレーやらが表示されていて、見るだけで満腹になる。……つくづく理解し難いが、何で男子って、朝からこんな重たいものを平気で食べられるんだ。
画面の刺すような光に顔を顰めながら、口を開く。
「……要らない。お前が食べたいなら、待ってるよ」
鉄村は、大袈裟に目を丸くした。
「何でだよ? 美術館の開館時間までまだあるぜ?」
「気を遣わなくていいよ」
「ああ? 遣ってねえよ」
「じゃあ、ワックス買ってカツカツになってる奴が、何でわざわざこのタイミングで食べるんだよ。お腹空いてるなら学校で食べる弁当、家から持って来てるだろ」
鉄村の顔が、やってしまったと言わんばかりのアホ面で固まる。
私は呆れて座り直すと、テレビを観ながら続けた。
「……魔術師の役目は、魔法使いや違法魔術使用者から、人々を守る事。だから、私の今日の働きについては文句は無い。でも、人が殺傷されたニュースを見る度に感傷的になるのは、魔術師として適格じゃない。そう言いたいんだろ。自分の管理外の死者にまで心を痛めるような奴が、魔術師なんかやったら気が触れるって。別にテレビの向こうで亡くなった人達は、私の所為じゃない事ぐらい分かってるさ。一番対応すべきは私じゃなくて、事が起きたその土地の魔術師だし、違法魔術っていう前例で既に学んでるのに、人の仕事を取るもんじゃない。……百点満点の回答だろ。この通り分かってるけれど、気になるだけさ」
反論の必要が無い言葉を並べられた鉄村は、それでも何か言いたそうな、歯痒い顔になる。
そりゃあそうだろう。一方的にやられるのは誰だって面白くないし、言おうとしていた事を先回りして言われるのは、見透かされているようで気色悪い。
鉄村の表情の変化を横目で盗み見ていた私は、跳ねるように鉄村へ身を乗り出す。
驚いて仰け反る鉄村の右腿に左手を着いて、驚くその顔を見上げるように覗き込んだ。
空気が固まる。
テレビから流れる格安スマホのCMが、威勢よく部屋に鳴り渡った。
どうしたらいいのか分からないのだろう。鉄村は呼吸も止まって、瞬きもせず、じっと私を見下ろしている。
部屋の空気が張り詰めていく中、私は、にかっと笑った。
「髪、やってやるよ。お前もおばけの薬で見えないだろ?」
ローテーブルにほったらかされていたクリームタイプのハードワックスを、掴み取っていた右手から覗かせてみせる。
鉄村はどこか気が抜けたように、やっと瞬きしながら頷いた。
「お、おお……」
その後は、今日の時間割や文化祭についての話で時間を潰すが、途中でお互いがやっているソシャゲでイベントが開催中なのに気付き、暫くプレイに没頭してしまう。
結局、市立美術館の開館時間である、午前九時半ぴったりに到着するようにと決めていた出発時間を、三十分はオーバーして部屋を出た。
まあ、通学・通勤ラッシュも治まったこの時間なら、ゆっくり街を歩けるだろう。そう思いながらネカフェ前の通りに出るが、ラッシュ時以上の混雑が広がっていた。
何本かある駅前の通りの中でも、毎日行列が出来るような流行りの店が並ぶ、飲食街以上に人間で溢れている。辺りにはパトカーのサイレンが鳴り響き、事故現場のような物々しささえ漂っていた。
何が起きているのかさっぱり分からなくて、ネカフェ前で立ち尽くしていると、隣の鉄村が耳打ちする。
「……あの違法魔術使用者の一件で、線路に異常が見つかったんじゃねえか? お前、高架線であいつを捕まえたんだろ?」
こんなに納得いかない合点があるだろうか。
うんざりしながら、人の波でひっくり返る通りを眺めて口を開く。
「……あァ、成る程」
結局こうなるのかよ。あれだけ我慢して、配慮して、角が立たないように努めたってのに。
なんて口にしたって仕方が無いので、足早に市立美術館へ歩き出す。
「行こうぜ」
愚痴は嫌いだ。言うのも聞くのも、耐えられない。
自分が満足する為だけに、人に暗い言葉を平気で聞かせるような奴となんか関わりたくない。
鉄村は、慌てて声を上げなら付いて来た。
「あっ、おい! 待てよ!」
ぶよぶよマンが剥がしたアスファルトの辺りには、警察か消防が置いたのだろう、トラバーが掛けられたカラーコーンが設置されているのが、駅へ背を向ける間際の視界に映った。
あの破壊されたアスファルトも、あと数時間もすれば、情報番組に取り上げられるのだろう。芸能人には、素人と何ら変わらない無価値なコメントを投げ付けられ、専門家からは小言を浴び、その番組の視聴者には、分かったような顔で好き勝手SNSに書き込まれる。そう思うと、おばけの薬は本当に大発明だし、テレビもSNSも見たくなくなる。
何でお父さんは、こんな人達を守ろうなんて思えたんだろう。
善人以外は死ねだの、助けないだのなんて思わないけれど、自分が日々命懸けで守っている人々が、こうも下らないと遣る瀬無い気分になって仕方無い。
考え込んで歩いていると、駅から徒歩六分の市立美術館なんて、あっという間に着いていた。
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