怪物を追っているうちに、自分がどこをとおったのか分からなくなりました。しかも、追っていたはずなのに、追われているような感覚に変わります。
怪物の黒い影が右へ左へと移動しています。僕は翻弄されるままに、短剣を右、左と向けます。明らかに向かい合っています。向こうが接近しています。大きな身体なのに、足音はしません。しかし、低く吐き出される重い呼吸が空気を震わせています。
「来るならこい!」
僕は柄にもないことを叫んでしまいました。恐怖がそうさせたのです。じりじりと時間が過ぎることのほうが耐えられません。
「ガアアアアアア」
怪物が飛びかかってきました。と思った僕は両手に握っていた短剣をむやみに振りました。けれど、感触がありません。そのまま後ろに倒れました。僕は息を飲んで身を強ばらせます。
すぐ脇を大きな影と風がとおり過ぎました。
僕は恐る恐る青い洞窟で目をしばたき、後方を振り返ります。黒い影が今しがた僕のとおった道を引き返していきます。
「ま、まずい。あっちにはローザ様が」
遅かったのです。僕が到着したときには岩場で頭から血を流して倒れているローザ様が目に入りました。怪物の剛腕で殴り飛ばされたのでしょうか。怪物は拳を握りなおしています。その爪も十分に凶器で、握った拳を自身の爪でえぐっているようですが。
今度こそ、しくじるわけにはいきません!
怪物の背後から脇腹に短剣を突き刺しました。噴き出る血と、怪物の慟哭。手元が狂いそうになりますが、まだ放しません。
短剣を柄まで差し込んで引き抜きます。血は、やっぱり無理です。唇を噛んで目をつぶります。
もう一度突き立てます。背骨に当たったのか、上手く刺さりません。
ですが、何度も刺す、抜く、を繰り返しているうちに肉にめり込み、内臓に当たる柔らかい感触や、誤って自分の指を切った痛みと恐怖で混乱してきます。怪物の悲鳴も絶望が滲んできます。
顔を何度もぶたれた気もしますし、脳天がぐらぐらと揺れました。怪物の爪が僕の胸を裂き、とうとう僕は膝をつきます。怪物も後方に転倒しました。
た、倒しましたよ! ローザ様。僕は怪物を仕留めました。恐ろしくて、怪物の生死を確認することができません。自分の傷口を確かめることも。
「ローザ様」
怪物の吐く息が小さくなって消え入るのを聞きながら、ローザ様に寄りすがります。
「どうか、目を開けて下さい」
金髪の長い髪から血のついた白いお顔をすくい取るように、首の後ろから持ち上げます。あまり動かすのは危険ですが、傷口を確かめないと。
額より少し上を切っているようです。動悸がします。
このころになると血を見てもあまり動じなくなったと思いたいのですが、今の動悸は、もしかすると少し違うかもしれません。
目を閉じたローザ様の顔はとてもこの世のものとは思えない美しさです。このお方に僕は、今まで仕えていたのかという思いがこみ上げてきて心は天に昇りました。
「僕は、ローザ様なしでは生きていけません。今こうして舞い降りて下さった。僕のためでなくとも、僕は嬉しく思いました」
意識を失っていても、必ず届くと思います。この淡い桃色の唇に触れてみたい……重ねてみたいのです。
「ニンゲン……」
心臓をわしづかみにされるような低い声に、背中がびくんと跳ねました。ローザ様の後頭部を落とさないよう、ゆっくり下ろします。
「人ニ堕チタ、女神ヲ、再ビ、天ニ、戻したくは、ないか?」
血まみれの怪物。背後からとはいえ、僕にめった刺しにされた怪物の腹は腸がこぼれ落ちています。僕は吐き気をこらえ、背けそうになる顔を怪物に向けます。醜悪な顔と黄色い目が僕を睨みました。ここで怖気づくわけにはいきません。
「ど、どういうことです」
「ハハハ、コレで終ワルと思ったノか? 扉は繋がったママダ。誰も救われない」
ときどき、流暢に話してきます。
確かに。鍵の怪物の息の根を止めたところで、異界とは繋がったままのはずです。
「復讐の女神ローザを、元の女神に戻してやらなくていいのか?」
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