僕を呼びつけた神父とともに大聖堂を出ます。大聖堂に入ったときには感じなかったじめっとした空気が、今は不吉な未来を思い描かせました。
「ジュスト様、走って下さい」
うながされるままに走りました。しかし、雨上がりの泥道に血の跡が続いているのを見てしまいました。うわあ、失神しそうです。吐き気もします。足が右に寄ったり、左に寄ったりします。
自分の足を自分で踏みます。血。血ですよ? 人の血? これはもう既に誰かが亡くなっているのかもしれない量ですよ。
僕は逃げ腰になるのを必死にこらえて、足を動かし続けました。血が苦手な僕のことをよく知る神父は、いつもなら僕の肩を支えてくれるのですが、僕よりも青ざめています。や、やめて下さいよ。これ以上どんな恐ろしいことが待ち受けているというのです?
深い木々の葉の影が太陽の淡い光でさえ遮っています。もうすぐ正午も近いというのに、これから先に続く獣道は夕闇のような薄暗さですね。
自警団でも、松明をかざすべきだと言うでしょう。僕らは丸腰で森に入ることになります。平和ないつもの森が、今日ばかりは口を開けて僕らを手招きしているように思えます。
「ジュスト様。ぬかるみに足跡が」
くっきりと人の足跡がついています。走っているのか、足跡の歩幅の開きが大きいですね。
「これは。一つは明らかに女性のヒールの形です。歩幅がほかの足跡と比べて小さいことからも間違いないでしょうね。おそらく聖女リア様。何かの間違いであってほしいのですが」
僕のお願いごとを、神父はうつむいて肯定してしまいます。そんな、聖女リア様。どうかご無事でいて下さい。聖女だから心配だと思うのではありません。僕はリア様が赤子のときに命名させてもらいました。
リア様がのちに聖女であるという兆候が表れたときは、初恋相手と同じ名前をつけたことを後悔したものです。だから、リア様を失うわけにはいかないのです。
木々が深くなり、森の深層部へと近づきます。昼を過ぎましたか。
「ジュスト様いました!」
神父が木立の影で絹をさらしている人影を指差しました。木を背もたれにして、力ない腕が投げ出されています。
「リア様!」
聖女リア様の長い銀髪に血が滲んでいます。青い瞳は木々の隙間から空を探しています。
聖女リア様の首に、歯型がくっきりと残っています。リア様が苦し気に息を吐くたびに、鮮血が首から噴き出します。え、無理かもしれません。いや、いやああ。血、血いいいいい!
「ジュストお兄ちゃん。わ、私、こ、怖い」
「あまり話さないで下さい」
幼い聖女リア様でなかったら側頭していたかもしれません。僕は血が、血が、血があああ。苦手なんですよ。でも、お守りせねば。聖女リア様が今、死にかけているのですよ?
僕は自身の黒のローブを破きました。これで、リア様の首を覆います。血が怖くて見ることができないのではなくて、止血のつもりですよ。
嘘です。ごめんなさい。血が怖いです。
ですが、この血の量は、おそらく致死量に達してしまいます。お守りせねば。お守りせねば。人生ではじめてです。これほどの血を目をそらさずに見てしまったのは。
リア様のすぐそばに、農夫三人が同じく倒れています。彼らがぴくりとも動いていないことで、死を悟りました。背筋に冷や汗が伝います。
木々のさざめきが、人の死を嘲笑っているかのようです。
僕はおそるおそる、彼らの首に手を触れて脈がないことを確かめました。見開かれた目は空虚です。三人とも首に大きな穴が空いています。
まだ血が噴き出ているのを僕は顔をそむけるようにして見ました。見てしまいました。怖いです。僕も死にそうです。ですが、血を見ただけで死ぬわけにはいきません。
「リア様をお連れしてから、また遺体の回収に戻らなければなりませんね」
僕がリア様を抱えると、神父が物おじした様子で言います。
「い、遺体の回収は諦めましょう。まだ、近くに奴がいるかもしれません」
ほんとうに野犬なのでしょうか。傷口が大きすぎます。熊ぐらいはありそうです。ああ、どす黒い血が。生唾を飲み込んで、吐き気をぐっとこらえる。
「ぐあああああ」
僕の真後ろで後輩の神父の声が跳ね上がりました。突然のことでふり返ります。神父の胴に灰色の獣が食らいついています。
狼のような前かがみの姿勢。全身を覆う剛毛。ですが、体格は熊ほどもあります。肉の引きちぎれる魚が跳ねるときのような音と、骨があっけなく折れる音。
神父の吐息が大きく吐き出されます。胴体が上下に裂けました。
神父の大腸が大きなミミズのごとく飛び出るのを見てしまいます。
だめですだめです。怖い怖い怖い。一瞬、意識が飛びかけました。
だけれど、リア様が僕の腕を握り返してくれたので我に返ります。怪物の唸り声が、次の獲物は僕たちであることを告げています。
僕は聖女を守らなければいけません。足を動かすことだけを考えます。走ります。リア様が僕の首に手を回します。
「ジュストお兄ちゃん、後ろ!」
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