上原宇佐美は退院した。
受付けを済ませ、お世話になった医師や看護師に挨拶してから病院を出る。清潔感ありすぎて逆にそわそわする空気から解放され、雑菌まみれの心地よい風を肌に感じてようやく自分が外に出たのだと実感する。
その際思いっきり伸びをしながら言いたかった言葉を紡ぐ。
「久しぶりのシャバの空気だあああ」
ザバーーーー。
残念ながらシャバの空気はバケツをひっくり返したような雨のせいで湿気にまみれていた。
「いやぁ、天気さんにはほんと空気よんでほしい」
無理な話である。
この後は、姉の雲雀が車で迎えに来てくれる事になっている。本来なら外で待っているところだが、雨が地面に弾かれて飛沫となってとんでくるため、出てきたばかりの病院へ戻ることにした。口惜しや。
「ん、姉さんからメッセージ」
ふと震えた端末の画面には『姉』の文字が、続く文章に『あと10分ぐらいで着く、それとお買い物頼まれたから後でスーパー行くね』と書いてあった。
そして文末に『この雨なら音も聞こえないし目立たないよね、カーセックスしよ』とあった。
宇佐美は『一人でドラゴンカーセックスしてなよ』と返した。
しばらくして『どうやって!?』と返ってきた。
そんなもの知る筈が無い。
同時刻、九重家にて。
IHで暖められた鍋がグツグツと煮立つ。祭は鍋蓋をとって中を確認し、軽く混ぜてからおたまでかき混ぜる。IHを切り、蓋をしてそのまま放置、1時間経てばまた再加熱するつもりだ。
「さて、晩ご飯用の煮物はこれでいいわね。汁物はどうしようかしら……て、お味噌切らしてたわ、あとで買いに行かなきゃ」
「あ、ねぇ〜祭ちゃーん」
「なによ奏」
祭が端末のメモアプリでお買い物リストを作っていたところ、同居人の奏が台所へ入ってきた。
今の彼女の姿は男の人にとっては非常に刺激が強い、下はパンツ1枚、上はTシャツの上から男物のジャージを羽織ってるのみ、しかもおそらくノーブラ。歩く度にゆさゆさと胸が揺れている。
「今日って宇佐美君の退院日だよねぇ、退院祝いとかって持ってった方がいいかなぁ」
「ふむぅ、そうね後で買いに行きましょうか」
「うんー、じゃあ私もう一眠りしてくるねー」
と奏は眠たげな眼を擦りながら台所を出ていく……寸前にジャージの襟を掴まれて体勢を崩して尻餅をついてしまった。
「いたた、痛いよ祭ちゃーん」
「なに寝ようとしてんのよ、あんたも一緒に買い物行くのよ」
「うえ゛ぇ゛ぇ゛……この雨の中?」
「えぇ、私一人に全て押し付けさせはしないわ」
「ぐっ、読まれてたかぁ」
祭と奏がスーパーに着いた時には、雨足が更にキツくなってしまい、スカートの端がぐっしょりと湿ってしまっていた。
祭は白のネイビースカートの端を絞ってから中へと入る。皺になってしまうが水滴垂らしながら歩くよりはマシなので致し方ない。
「濡れちゃったねぇ」
「そうね、洗濯がめんどうだわ」
奏は傘を傘入れに立ててから、デニムガウチョパンツの裾をハンカチで拭う、足元はオープントゥのサンダルなので気にしない。
「今日は何買うの?」
「とりあえずお味噌ね、合わせと赤味噌の両方買うわ。それと退院祝い用に作るお菓子の材料」
「手作りお菓子! 祭ちゃんキャラに反して女子力高いよね」
「どういう意味よ!」
そして野菜コーナーから順に生鮮を周り、グロッサリーコーナーで日用品をいくつかカゴに入れてから、日配コーナーで味噌や砂糖等を入れていく。
時折奏が勝手にスナック菓子やら乾物やらを入れてくるが、その都度返却した。そろそろ会計でもと思った時、ある人物と出会う。
「あ、ウサミンのお姉さん」
「あら奏ちゃん、久しぶり」
上原宇佐美の姉、上原雲雀だった。
白ニットにアウターはブルーカーディガン、ボトムはこっくりグリーンのワイドパンツと寒色系で大人っぽくまとまっており、流石大学生だと祭は関心した。
「祭ちゃんも久しぶり、宇佐美が入院した時以来ね」
「えぇ、その説は申し訳ございませんでした」
ガバッと祭は雲雀へ向けて頭を下げる。雲雀の方はやや困惑しながら頭を上げるよう促す。
「気にしないで、大丈夫だから」
「でも……」
「待って祭ちゃん」
優しく諭す雲雀、祭はそれでも気が済まないらしく更に謝罪を重ねようとしたが、その肩を奏が掴んで制止させた。
「あの、宇佐美君がラフトボールを続ける事に反対しないんですか?」
それは祭としても気になっていたところ、宇佐美本人は続けたいと言っていたが、家族が反対すれば諦めるのも仕方のないことだと思っている。
雲雀はそんな祭達の心境に気付いているのかどうかは分からない、しかし彼女は安心させるように、柔らかく、笑顔で口を開く。
「正直言うとね。私は反対したいの」
「……っ!」
祭は心臓を何か黒いものが握りしめたような感覚に陥る。
それは顔にも現れたようで、苦虫を噛み潰したように渋い表情を浮かべていた。
「でもね、反対しないよ」
「えっ、なんで?」
その時の祭の表情はとても間抜けなものだったに違いない。それぐらいアップテンポの激しい展開だったのだ。
「宇佐美が楽しそうだからよ、あの子事故で右足不随になってからずっと暗かったの。何をしても無気力で、心から笑った事なんてなかったわ。
でもそれがここ4ヶ月はホントに楽しそうでね。祭ちゃん達とラフトボールできるのが嬉しいみたい。それに最近笑う事が多くなったのよ、心から。
あんな笑顔見てたらお姉ちゃん反対できないよ」
「でも、またあんなことが起きたら」
「起きるの?」
「……あっ、起こさせません! 絶対に!」
「じゃあ信じるわ、宇佐美とあなた達を」
「ありがとうございます。フフ、やっぱり姉弟ですね、宇佐美君も似たような事言ってました」
「そりゃあ、姉弟というエロティシズム溢れる絆で結ばれているか……ぶひゃっ」
突然恍惚な表情を浮かべて語り出す雲雀の顔を何かが打ち叩いた。
よくよく見ればそれは杖の持ち手だった。そしてその持ち主は雲雀の弟であり、まさに話の渦中にあった宇佐美そのものである。
「くだらないこと言ってないで、会計終わらせて帰るよ。あっ、九重さんに七倉さんこんちゃー」
「あ、えと、こんにちは宇佐美君」
「こんにちは」
「僕の姉が迷惑かけたね、良ければ姉の車で送って行こうか?」
どういうわけかトントン拍子に話が進んでいく。そして雲雀の方は未だ宇佐美の杖に押さえつけられながら恍惚としている。何故か気持ち良さそうな顔なので見ていると気持ち悪い。
「どする? 祭ちゃん」
「せっかくだからお言葉に甘えようかしら」
降り注ぐ雨は、まだやみそうにない。
更に数週間後
宇佐美と瑠衣が一騎打ちを行う日となった。フィールドでは、訪れた星林大学のメンバーと九重チームがそわそわとしている。
そんな彼等とは無関係な別の場所にて、美浜市の駅に1人の男が降り立った。長身で筋骨が逞しくガッチリしている。
ここへ来るのは約4ヶ月ぶりだ。
「やはり、関西は少し暑いな」
改札を抜けてバス停に向かう。その途中で女の子が1人で待っているのを見かける。その女の子はこちらへと気付くと、ツインテールを揺らしながらトテトテと近づいて手前で止まった。
「久しぶりだな、枦々」
「ひっさしぶりでありやすねぇ、従姉妹の顔を覚えていて何よりですぜ」
「正月に会った時と全く変わっていなかったからな」
「むむ、あっしが成長してないとでも?」
「その通りだろ?」
男はニヤリと微笑んだ。
その反応が気に食わなかったのか、枦々は「ムキー」と猿のような雄叫びを上げて男へ殴り掛かる。
だが男は枦々の頭を片手であっさり抑えた。
「で、お前がわざわざ迎えに来たという事は何処か連れて行きたい所があるのだろう?」
「お? さっすが従兄弟殿、話が早い。いやなに、ちょっとウサミンにサプライズを仕掛けようと思いやしてね。
長旅の疲れなんざガン無視して付き合って貰いやすぜ」
「いいだろう」
男はぶっきらぼうに答えながら、頭の中ではウサミンという単語に引っ掛かりを覚えていた。
(ウサミン……上原宇佐美、まさかな)
男の名前は上那枦夢、日本最強のチームである熊谷グラムフェザーに所属し、また日本最強のランニングバックと謳われるラフトボーラーである。
かつ、上原宇佐美がラフトボールを始めるキッカケとなった選手であり、彼の目標だ。
そんな上那枦夢の存在は、今回の一騎打ちにちょっとしたスパイスを添える事になる。
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