枝垂健二の朝は早くない。
アラームがけたたましく鳴り響けば真っ白な頭で止め、そして再び眠りにつく、勿論その時の事は記憶になく、起きるのは30分〜1時間後となる。
それがいつもの休日だ。
だがこの日は違っていた、アラームを無意識で止めて二度寝する所までは同じだが、その15分後に再び端末が鳴り響くのだった。
アラームではなく、着信。誰かが電話を掛けてきたようだ。
「うっ……」
電話となれば二度寝するわけにはいかない、思考能力がミドリムシ以下の脳味噌を引き摺って通話に出る。
「うーい」
言語能力はゾウリムシ以下のようだ。
「健二ぃー、起きなよー。朝練遅刻するよー」
文字だけだと世話焼きの女の子が掛けてきたように思えるが、男である。友人の上原宇佐美だ。
宇佐美の声を聞きながら、昨日の夜にモーニングコールを頼んでいたという事を野良猫レベルにまで引き上げられた思考能力で思い出した。
そしてここまでくれば覚醒するのも早く、10秒足らずで自分の状況を思い出して跳ね起きた。
「やべぇ!! サンキュー宇佐美! あとでな!」
「うん、遅刻しないでねー」
プツと通話を切ったあと、大急ぎでクローゼットを開けて中で丸まってるTシャツとスキニーを広げる。皺々になったそれを着て部屋を出、洗面所で髭を剃ってリビングに入った。丁度母親が朝食を並べてる所だ。
時計を見るとまだ少し余裕があってホッとした。
「なんだ、まだ大丈夫だな」
「そんな事言ってると遅刻するわよ。今日から朝練なんでしよ? 初日くらい早く行きなさい」
「うっせぇな、わかってるよ」
健二は母による有難いお小言を右耳から左耳へと放流した。
母の方もそれはわかっているのでそれ以上は続けず、ふと思いついた事を健二に言ってみる。
「そういえば宇佐美君と武尊君も一緒なのよね?」
「ん、ああ」
朝食の目玉焼きを一気にかっくらいながら答えた。母はその行儀の悪い息子の姿を見ると、呆れて「はぁ〜」と溜息を一つ吐いた。
すると不意に頭を指で抑えてフラフラとテーブルに寄りかかった。
心配した健二が箸を止めて母の様子を伺う。
「おい大丈夫かよ、風邪か?」
その言葉でハッとした母は、さっきまでのしんどそうな表情から打って変わって、いつも通りのお喋りで小言の多いお母さんへとなった。
「だーいじょうぶ大丈夫、そうそう宇佐美君と武尊君にも久しぶりに会ってみたいわあ、ねぇ今度ウチにご飯食べに誘いなさいよ、今晩でもいいわよ」
「はぁ? なんでそんな恥ずかしいこと」
「何が恥ずかしいのよ!」
「いやそりゃ……ああもう! わかった誘ってみるわ! 返事は期待すんなよ」
「はいはい……ところで朝練はいいの?」
「やっべ!」
のんびりしすぎた。大急ぎで朝食を胃の中に流し込んだら、端末がポケットにある事を確認して外へ出た。
走ってバス停へと向かうものの、運悪く目の前でバスが出発してしまい、致し方なく諦めて次のバスを待つことにした。
「というわけなんだよ」
男子更衣室にて、宇佐美と健二と武尊のトリオはジャージに着替えながら健二母の誘いを受けていた。
「なるほど今晩ですかぁ」
「せやなぁ、久しぶりにオバサンのご飯食べたいし行こか」
「うん、僕も行くよ」
「あいよ、じゃあ母さん……ババアに伝えとくわ」
トントン拍子に決まった事をメッセージアプリで母親に告げて、着替えを終わらせたらロッカールームを三人一緒に出て整備棟に向かった。
今日からコーチによる本格的な訓練が始まり、そして双子の機体も参加するのだ。男の子として自然とウキウキしてしまうのはSAGAである。
「双子の機体どんなだと思う? もう来てるんだろ?」
「確か昨夜来たらしいよ。涼一君の方はなんか真っ黒でトゲトゲしてそう」
「あぁ、厨二ぽいデザインやなぁ。ワイもそれに一票や」
「じゃあ妹の方は? あのクールな感じから察するに俺は量産型の没個性的なやつとみたね」
「せやな、なんか機能美とか追い求めてそうやし」
「どうだろう、結構ノリのいいところあるし」
「なんや結構仲良さそうやん」
「だって同じクラスだし」
「ふ〜ん」
そこで会話が途切れ、しばし三人は無言で整備棟まで歩を進めていく。宇佐美の歩く速度に合わせているのでゆっくりだ。
少しして、武尊と健二はなにかに気付いたように顔を強ばらせた。
「おい待て今聞き捨てならない事聞いたぞ」
「ほんまやん、てかあのクラス宇佐美だけやん、二人っきりて事やん」
「そ、そうだね」
「ふざけんなよ、あんな可愛い子と二人っきりとかふざけてんのか!? 俺達を馬鹿にしてんのか? ふざけてんのか?」
「え? なんで僕怒られてるの?」
「おい宇佐美、お前あの子とどこまでいったんだ?」
「えっと、学校からここまで」
「そんなボケいらへんねん」
武尊が宇佐美の頭を利き腕でホールドしてガッチリ逃げられないようにして、それから万力のようにギリギリと頭を締めていく。俗にいうヘッドロックである。
「いたいいたい!」
「でー? 実際彼女とはどこまで仲良くなったんだ? んー? 言ってみろよ宇ー佐ー美ーくーん」
健二がヘッドロックを極められて視線が下がってる宇佐美に合わせてしゃがみ、その頬をペチペチと叩きながらチンピラさながらに問い詰める。
「あのー、その。名前で呼び合うくらい……ですかね」
「ほほおー、武尊ちゃん聞きましたぁ? 名前ですってぇー」
「あらやだー、会ってその日のうちに名前なんてー」
「「リア充死ね!!!」」
「い゙だい゙ぁぁぁぁ!! シャレにならないから! 武尊がやると死ぬから!」
より強く締め上げるヘッドロックにて苦悶の声を上げる宇佐美、様々な格闘技をやっている武尊がやると充分凶器となりえるので恐ろしい。
「何やってるんですか?」
それは天の救い、少女の声と共にヘッドロックの締めが緩まって一時的に痛みから解放された。普段は信じない神様も今回ばかりは信じようかと宇佐美が思い、視線を声の方へ向ける。
少女は宇佐美からでも見える位置にまで移動すると、彼の目線に合わせるように前かがみになって若干上目遣いでみやった。
話題になっていた桧山澄雨である。
「なんでヘッドロック極められてるんです?」
「そのー」
「いやぁまさか桧山ちゃんがくるとはねぇ」
「ちょうどええやん」
「はあ……それと澄雨でいいですよ先輩方、同じ名字が三人もいるのでややこしいので」
「ほな澄雨ちゃん、ちょっとええか?」
「なんですか?」
「いやさあ、宇佐美の事をどう思ってんのか聞かせてほしいなあて、ほら同じクラスなんだろ? これからずっと二人きりなんだろ? うらやまけしからん」
「どう思ってるのか……ふむ」
普通の女の子なら、特に水篠心愛あたりなら間違いなく慌てふためくところだが、澄雨は長考でもするかのように腕を組んだ。それを見守る宇佐美は極められた腕の中から必死で穏便にすます言葉を述べるよう視線を送る。
ふいに澄雨と目が合い、まるで宇佐美の意志を感じとったのかといいたいほど力強く頷いた。その姿に頼もしさをおぼえ一縷の希望を得た宇佐美だが、それも束の間、光り輝く希望の瞳にそれは映った。
薄らと不気味に微笑む澄雨の姿である。
忘れていたがクールで淡白に見える澄雨は、小悪魔な側面を持っている。
「あっ……」
とてつもなく嫌な予感を感じた宇佐美の背中を冷たいものが這っていく。
「えっとぉ、宇佐美先輩は私にとって……その恥ずかしい、だってあんなにも凄くて激しいもの初めてなんだもの」
「何もしてないからあああ!! デマカセやめてええええ!!」
「さあ宇佐美くーん、こっち来ようかあ」
「ほらほらこっちやでぇ」
「いぃやぁだあああーーいたいいたいたいたい!」
再び頭部を締め付けられて痛む宇佐美を引き摺って二人の男は整備棟裏へと移動していく。
これから宇佐美に何をされるのかは誰もわからない。そんな三人を見送った澄雨は僅かに微笑んで。
「たーのし」
と呟いた。
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