ドンドンドンと扉を叩く大きな音で起こされた。
クララはベッドから起き上がると、欠伸をしながらゆっくりと入口に向かった。
朝は苦手なクララ。頭もぼーっとしている。
扉を開けると、血相を変えた寮母さんが目の前に立っていた。
「あぁ、ロバートソンさん。急いでお家に帰りなさい。今、入口にお迎えが来ています」
「おはようございます。えっと、迎え? パ……お父様がいらしてるのですか?」
「いえ、女性なので、お家で雇われてる方かと」
「んー……わかりました。直ぐに準備します」
寮母さんにお辞儀をしてパタンと扉を閉めると、もそもそと寝巻きを脱いで、帰る用に準備をしていた洋服に袖を通した。
寮の玄関に下りると、入口で召使いのエイダがそわそわと落ち着かない様子で待っていた。
こちらに気が付くと、慌てた様子で近づいてくる。
「お嬢様、大変です! 旦那様が!」
「エイダ、おはよう。どうしたのこんな朝から」
「早く屋敷にお戻りになってください。詳しいことはそちらでお話します」
混乱しているのか、いまいち要領を得ない。一体、家で何があったのだろうか。
「わかったわ。直ぐに帰りましょう」
クララはそう言って、寮を後にした。
家に着くと、他の召使いたちもバタバタと忙しそうにしていた。
「お嬢様、こちらです。荷物は私が預かっておきます」
エイダはクララから荷物を受け取り、促すように父親の寝室に案内した。
扉を開けて中に入ると、白い服に身を包んだ人が数人、難しい顔をしながらベッドを見下ろしていた。
クララも皆が注目している場所を見る。すると、そこには頭に包帯を巻いた父親が横たわっていた。
「パパ!」
慌てて父親の元に駆け寄るクララ。
「パパ! ねぇ、パパ!」
「先ほどお眠りになったところです」
白衣を着た男性が、クララを宥めるように優しい声音で言った。
「ねぇ、一体何があったの? パパはどうして怪我をしているの?」
クララがそう聞くと、皆、おしだまったように沈黙している。
「お嬢様。詳しいことは食堂でお話しいたします」
声のした方を振り向く。
エイダが部屋の入口で静かに佇んでいた。
「エイダ、これは一体どう言うこと? なんでパパは…… 」
エイダは無言で首を横に振った。これ以上はここで話せないと言うことだろうか。
「……わかったわ。準備したら食堂に行きます」
「お嬢様。お荷物はお部屋の入口にお運びしてあります」
「エイダ。ありがとう」
ペコリと頭を下げるエイダを横目に父親の部屋から出ると、大きくため息をついて自室に向かった。
クララは食堂に入り、いつもの自分の椅子に深く腰をかけた。
エイダが給湯室からティーセットをワゴンに乗せて運んでくる。
テーブルに肘をついてその様子をなんとなく眺めていると、クララのお気に入りのティーカッ プに紅茶が注がれ、ことりと目の前に置かれた。
優しい香りがふわりと部屋中に広がる。
「お嬢様、どうぞ召し上がりください」
エイダはそう言い、お皿に乗ったチョコレートクッキーを差し出した。
「ありがとう」
それを一枚手に取り一口齧る。
チョコレートの甘味と、少し焦げたクッキーの苦味が口の中で混ざり合う。
普段のエイダならクッキーを焦がすなどということはしないはずだ。
――それだけ動揺してるのか……
紅茶を一口啜り、ゴクリとクッキーを流し込む。ふうと一息入れ、クララはゆっくりと言った。
「ところでエイダ。お父様は一体どうしたの?」
紅茶の影響だろうか。なぜか気持ちは落ち着いている。
先程の父親の部屋での狼狽が嘘のようだ。
「はい。昨日の夜の出来事でございます。夜中に外で物音がすると言って旦那様が一階に下りてこられました。危ないので私たちが見て参りますと申し上げたのですが、すぐ済むからと言って、お一人で外に出て行かれました。ですが、なかなかお戻りになられないので心配して屋敷の外を探しに行ったところ……誰かに襲われたのか、裏庭で血まみれになって倒れていました。すぐにお医者様をお呼びして一命は取り留めましたが、旦那様の身に一体何が起こったのか、詳しいことは私たちも存じ上げません…… 」
何もできなかったことが悔しかったのか、唇を噛んで申し訳なさそうに項垂れるエイダ。
「わかった。お父様が起きてから詳しいことは聞いてみるわ」
しかし、本当に一体何があったのだろう。
なぜ、父親が襲われなければならないのか。
弁護士という職業柄、恨みを買っていないとは言い切れないが、それでも父親は正しい事をしてきたはずだ。
「それから、本日お披露目するはずだったお嬢様のガラス瓶が……その、どうやら、盗まれてしまったようで…… 」
エイダの発言に、驚きのあまりガタンと椅子から立ち上がった。
紅茶が揺れて、ソーサーに溢れる。
「な、なんで。どういうこと?」
「おそらくですが、旦那様を襲った犯人が持ち去ったかと…… 」
「じゃあ、お父様を襲った犯人はリジーの遺産目当てってこと?」
「はい。ただ、あくまで可能性ですが」
クララは頭を抱えた。
「ああー、リジーに怒られる。どうしよう…… 」
昨日の音楽室で嬉しそうにしていた彼女の顔が脳裏に浮かんだ。
にこりと笑っている顔が、だんだんと歪んでいくのが手にとるようにわかる。
「差し出がましいようですが、リジー様に誠心誠意謝罪すれば許してもらえないのでしょうか?」
「うーん。エイダは知らないと思うけど、リジーって結構根に持つんだよね…… 」
唸っているクララを心配そうに見守るエイダ。そして何か閃いたのか、ポンと手を打つとクララに言った。
「わかりました。私もお嬢様と一緒に謝ります!」
そんな突拍子もない提案に、クララは一瞬呆気に取られた。
「えっと……エイダは大人だから、多分リジーのこと見えないよ」
「そう、なんですね……それは失礼いたしました」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、エイダはペコリと軽くお辞儀をした。
クララはそんなエイダが可笑しくて、ついつい声を出して笑ってしまった。
「エイダって面白いこと言うのね。でも、ありがとう。リジーには私からちゃんと謝っておくわ。きっと、わかって……わ、わかってくれるよね?」
「大丈夫だと思いますよ。なにしろ、お嬢様のお友達ですから」
にこりとと笑顔で励ますエイダ。
「うん、そうだね。ありがとう」
クララは椅子に座り直すと、すこし冷めた紅茶を一口啜った。
それから数日が過ぎた。
父親が目を覚まし、襲われた時の事情を聞いてみると、物音がしたので裏庭に出たところを三人組に襲われたと言う。
一人はナイフを頭に突きつけ、もう一人は喉元を締め上げ、最後の一人は顔に『ビストル』を突きつけてきた。『ビストル』とは最近発見された古代の武器で、掌サイズの『ワゴム』という伸縮する細長い輪っか状のものを使う。まず、利き手の人差し指の爪の間に『ワゴム』を引っ掛け、手の甲側から掌にグルリと一周させる。この時、注意しなければならないのが、親指をピンと立てないと『ワゴム』がするりと抜け落ちてしまうということ。
そして、掌側にまわした『ワゴム』の端を飛ばないように小指で抑えると、古代の武器『ビストル』の完成だ。
使い方は、小指から『ワゴム』を離すだけ。それにより、その『ワゴム』が元の形に戻ろうと弾性力を生み、人差し指から前方に発射されて相手にダメージを与えるという、とてつもなく恐ろしく、殺傷能力に長けた武器と言える。
しかし、犯人はそんなものをどうやって手に入れたのだろうか。相当なバックボーンがなければ入手するどころか、拝むことすらままならない。
クララはたまたま家に置いてあった科学雑誌を目にしていて知っていたが、普通の人ならその存在すら知らないだろう。
そしてその三人は父親を脅しガラス瓶の在処を聞きだすと、それを持ち去って逃走した。
幸いにも『ビストル』を使われることはなく、ナイフで頭を軽く傷つけられ、喉元を締められて気を失っただけで済んだ。
ただ、気がかりなのが、父親を脅したときに「ガラス瓶を返せ」と犯人が言ったそうだ。
元々、ガラス瓶の持ち主はリジーである。リジー本人から直接貰い受けたのに「返せ」とは……
色々とわかったことを含め、リジーにはしっかりと報告しないといけない。
彼女が肩を落として寂しそうな表情をするのが目に見えて、クララは少し悲しくなった。
――でもその後、めっちゃくちゃ怒られるんだろうなぁ……
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