音楽室へと続く長い廊下を歩いていると、扉の前にJJがちょこんと座っているのが見えた。 こちらの存在に気が付いたのか、首だけをくるりと回して「にゃー」と鳴いている。
「JJどうしたのこんなところで!」
クララは小走りでJJに近づき持ち上げようとした。しかし、するりと逃げられる。JJはそのままスタスタと寮に続く廊下を歩いていった。
「もう! なんなのよ!」
――せっかくJJを撫でられると思ったのに……って先生いるし!
「それよりも、ロバートソンさん。中に入らなくていいの?」
ブーン先生が神妙な面持ちで言う。
先生の後ろに隠れている二人もこくこくと頷いている。
絶対にJJは怒られると思っていたのに意外だった。
――しかし、なぜゆえに私だけ?
「わかりました。とりあえず、中を覗いてみます」
いささか納得がいかなかったが、ここで口論しても仕方がない。
クララは物音をたてないように、ゆっくりと入口の扉に近づいた。そっと教室の中を覗き込む。しかし、お化けの姿はどこにも見当たらない。いつの間にか、他の三人もクララの後ろにピッタリと張り付き中を覗いている。
「あっ! あそこ!」
モイラが教室の隅を指し、小さな声で言った。そこには、先ほど三人を襲ってきたお化けが蹲るようにして座っている。
ただ――何やら様子がおかしい。
「クララ、ちょっとやっつけてきてよ」
クララの耳元でモイラが言った。
「えっ! って、さっきも言ったけど、無理だから!」
先ほど同様の無茶な要望に驚き、扉にぶつかってガタンと音をたててしまった。その音で気が付いたのか、お化けは立ち上がると、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「こっちに来た!」
シェリーが叫んだのを合図に一目散に逃げるモイラ。そして、その後に続くシェリー。
「えっ! ちょっと、二人とも、早っ!」
振り向き声をかけるも、逃げようとして出遅れるクララ。
すると、頭の中にまたあの声が響いた。
『お願いだから、怖がらないで!』
ピタッと足を止める。
クララはお化けの方に目を向けると、お化けはこちらを静観していた。
「いやいやいや。怖がるなって無理でしょ! どこの世界に、追っかけてくる骸骨のお化けを怖くないと思える人がいるかっての!」
思わずツッコむクララ。
『……ごめんなさい。この姿がいけないのですね。わかりました。ちょっと待っててください』
お化けは後ろを向くと、モゾモゾと何かをしはじめた。
――あれ? なんで肩から髪の毛生えてるの? 後頭部は骸骨のままなのに……
すると、お化けはキラキラと光りはじめ霧状になった。
「ロバートソンさん、ちょっといいかしら。一体、何が起こっているの?」
いつの間にか床にペタンとしゃがみ込み、クララの足にしがみついていたブーン先生。カタカタと小刻みに震えている。モイラとシェリーと一緒に逃げなかったあたり、きっと腰が抜けて動けないのだろう。
「私もよくわからないんです」
「えっと、なんなのかしら、あのもやもやした黒い影は…… 」
「もやもやした黒い影?」
「ええ。あなたたち三人が言っていたお化けがアレだということはなんとなくわかるんだけど、どこをどう見ても私には髑髏に見えないわ」
「……そう、ですか」
まさか、子供に見えて大人に見えないということがあるのだろうか。難しい顔をして考え込んでいると、霧状になっていたお化けがクララに向けて言った。
『この姿なら大丈夫ですか?』
お化けは次第に人の形を作りはじめた。
そこには長い金色の髪をキラキラとなびかせ、透き通る白い肌にガラス細工のような青い瞳が添えられ、まるでお人形さんみたいに可愛らしい女の子が現れた。
ぼろぼろだったピンク色のドレスは、すっかりと綺麗になっていて、先程まで見えていた骸骨のお化けの姿はどこにもない。
「えっ! ちょっと待って。なにこれ! えっ、天使?」
クララは躊躇なく音楽室に入ると、先ほどまで骸骨だったはずの女の子に近づき、まじまじとその顔を見つめた。
『えっと……そんなに近くで見られると、さすがに恥ずかしいのですが…… 』
女の子は顔を紅くして照れている。そんな姿が愛らしい。
クララはガシッと肩を掴むと、そのままガバッと抱きしめた。
『ひょえっ!』
女の子は突然のことに驚き変な声を出した。
それもまた、愛らしい。
クララは抱きしめていた手を緩め、再び肩に戻すと、女の子の顔を見ながら笑顔で話しかけた。
「私の名前はクララ。クララ・ロバートソン。あなたの名前、聞いてもいい?」
驚き固まっていた女の子は、ぱぁっと花が咲いたように笑顔になった。
『私の名前はリジー・デイビッドソン!』
「よろしくね、リジー」
『よろしくお願いします、クララさん』
「かしこまらなくていいよ。クララ―― いや、ちょっと待って。そうね、クララお姉様がいいかも!」
鼻息荒くリジーを見つめるクララ。
呆気にとられ、いささか困った顔をするリジー。
『は、はい。よろしく、クララ』
――ああ、尊い。
すると、扉のとことにいたブーン先生がクララに向かって声を投げた。
「ロバートソンさん! 一人で盛り上がってるところ悪いけど、お化けの目的はなんなのか聞いてあげて!」
クララは先生の方を振り返り、ウインクをしながらグッと親指を立てた。
――さてと……
リジーの方に向き直ると、再度顔をまじまじと見る。
「はぅ」と言って頬を赤くしながら照れている。
しかし、リジーはなぜ途中で姿を変えることができたのだろうか。
クララは不思議に思い聞いてみた。
「リジー、なんで最初からこの姿じゃなかったの? 姿を変えられるなら、今の方が話を聞いてもらえる確率は高かったと思うんだけど」
そうクララに言われ、『うーん』と唸りながら考え込むリジー。
何かわかったのか、ぽんと手を打ち、神妙な面持ちで口を開いた。
『確かに…… 』
「知らんかったかい!」
ついついツッコむクララ。
慌ててリジーが弁明をしていた。
『い、いや、実は私、人前に姿を現すのが初めてで、自分がどんな姿で見られてるのかわかんなくて…… 』
「え? わからないって鏡見れば一発でしょ!」
『……私、鏡に写らないの』
「あっ…… 」
気まずい沈黙が流れる。
「い、いやーそっか。なんかごめんね。そんなつもりじゃ、あはは…… 」
クララの乾いた笑い声が音楽室に響いた。
「と、ところで、私を追いかけてた理由ってなに?」
気まずさを誤魔化すようにクララが言うと、リジーはこくんと頷き言った。
『私、この歳で、八歳で死んでしまったんだけど、実は心残りがあって……誰かにそれを伝えなきゃって思っていたらクララのピアノの音が聞こえてきたの』
「うんうん、それで」
『最初は遠くから様子だけ見てたんだけど、授業が終わってから毎日毎日練習に来てて凄いなぁって思ってたら―― 』
「いやー、そんなことないけど」
頭を掻きながら照れるクララ。
『なんか、この子でいいやって』
「最後雑! ちょっと待って! それって誰でも良かったやつじゃん‼︎」
ツッコむクララを見て、ふふふとおかしそうにリジーは笑った。
『そう。誰でもよかったの』
リジーは小声でそう言うと、ふうと息を吐き窓の外を見つめていた。
どこか儚げな横顔が、小さな女の子にしては大人びて見える。
しかし、なんとなく納得がいかない。
「怖い思いをして運が悪かったと捉えるか、こんな可愛い天使と知り合えて運が良かったと捉えるかってことね」
ため息まじりに言葉を漏らし、腑に落ちていないクララにリジーは慌てて言った。
『驚かせてしまったことは悪いと思ってる。本当に、ごめんなさい…… 』
しゅんと項垂れるリジー。
こんなに反省しているのだから、許してあげてもいいのだろう。
そんなリジーを見てクララは微笑むと、彼女の背中に腕を回してぎゅっと強く抱きしめた。
「わかった。そのことはもう気にしてないから」
サラサラの金髪を優しく撫でる。
『うん。ありがとう』
クララは背中に回していた腕を解き、リジーに聞いた。
「そういえば、さっき言ってた心残りってなんなの?」
すっかり話の本筋を話していないことに気がついたリジーは『そうでした』とはにかみながら言葉を続けた。
『まず、私のお父様、アルバート・デイビッドソンがここにこのお屋敷を建てたの』
「ん? ちょっと待って。ここ作った人ってブリンクリー会長じゃなかたっけ?」
クララは驚いた。
つい先日、レベッカからこの学校の創立者の話を聞いたばかりだったからだ。
不思議そうに首を傾げるリジー。
そして、なにか思い出したのか、ぽんと手を打った。
『詳しくはわからないけど、多分それ、私が死んでから後のことだと思う』
「えっ! リジー死んじゃうの⁉︎」
リジーの肩に掴みかかるクララ。
リジーは驚きキョトンとしている。
「あっ! そっか。リジーは死んじゃってたんだっけ」
思い出すように言ったクララの言葉がツボに入ったのか、リジーは破顔した。面白そうに笑うリジーを見て、クララも一緒になって大笑いする。
『本当にクララは面白い人ね。こんなに笑ったのは生まれて初めてかも』
「リジーは、死んでるけどね」
『ふふふ、そうね。さて、話に戻るけど、お父様が建てたこの屋敷に私たち家族は三人で住んでいたの。周りにはもちろんメイドや執事たちも何人かいて、何不自由なく暮らしていたわ。でもある日、お父様が当時流行っていた病にかかってしまい、そのまま帰らぬ人となってしまったの。しかも、その病気は伝染病だったのか、瞬く間に屋敷中の人間に写り、バタバタとみんな倒れていって、そしてとうとうお母様にもその病気が……一人娘だった私は、その時にお母様からデイビッドソン家の遺産を受け継いだの。本当は執事たちに任せて、私が大きくなっ たら相続できるようにすればよかったのだけど、当時は家族以外は誰も信用できなかったから…… 』
クララは歴史の教科書に伝染病が流行っていたことが書かれていたのを思い出した。
約百年ほど前、アメリカ独立戦争が終わり、世間がまだ混乱の時代。その伝染病は、瞬く間にアメリカ全土に広まった。なんでも、最初は風邪のように微熱が続き、次に味覚がなくなって、微熱が次第に高熱になると、肺の方に影響が出始め、最後は呼吸困難になって死に至るという。
『でも、その時すでに私も同じ病気にかかっていて…… 』
寂しそうに俯きながらリジーは言った。
「じゃあ、リジーの死因はその伝染病?」
『ううん、私は免疫力が高かったのか、思ったより重症化しなくて、何日か大人しく寝てたら治ったわ』
リジーはにこりと微笑みながら言った。
「なんかすごいね、リジー…… 」
『たまたまよ』
たまたまで病気が治るのなら、多くの人がたまたまで治ってほしいと思うだろう。
それはさておき……
「えっと、じゃあなんでリジーは死んじゃった?」
『実は私――殺されたの』
「えっ‼︎」
クララは驚きのあまり後退った。
『私を殺した犯人の狙いは、デイビッドソン家の遺産を奪うこと』
「遺産目当てで、こんな天使を殺したってこと? ふぬぬぬ……誰だかわからんが許せん!」
拳を握りしめ唇を噛むクララ。
そんなクララを見て、リジーは微笑みながら言った。
『クララ、ありがとう。私も命を狙われてるのは薄々気が付いていたけど、お屋敷に信用できる人がほとんどいなかったから、そのことを誰かに相談もできなくて……それで、お母様から受け継いだ遺産をこの建物の裏にある古い切り株の下にこっそり埋めたの。それをクララにあげるわ』
「なるほど――って、えっ?」
クララは顎に手を当て考え込んだ。が、すぐに開いた口が塞がらなくなり、口をぱくぱくさせた。
「ちょ、ちょっと待って! リジーの家が大変だったのはなんとなくわかったけど、遺産を私にくれるってどういうこと?」
キョトンとしたリジーは小首を傾げ不思議そうに言った。
『そのままの意味だけど? 切り株の下から掘り起こしてもらって、それをクララにあげる』
「いやいやいや。あげるって簡単に言うけれど、遺産よ、遺産! なんでデイビッドソン家と全然関係ない私なの?」
ぶんぶんと顔の前で手を振りたじろぐクララ。
リジーは小首を傾げ可愛らしく考え込む仕草をしながら言った。
『えーと、理由が必要なら――私がクララと友達になりたいから……じゃダメ?』
そして、少し潤んだ瞳をクララに向ける。
――これは反則だ。
クララははぁと大きく息を吐いた。
「そんな目で見られたら断れないよね。わかった。リジーの願い、叶えてあげる」
クララがそう言うと、リジーはぱぁっと笑顔になった。そして、先程とは逆にがばっとクララを抱きしめる。
『ありがとう、クララ!』
「うん。これからよろしくね、リジー」
クララはぽんぽんとリジーの肩を叩いた。
「あの―― 」
リジーとクララの感動的なシーンに水をさすように、音楽室の入口からブーン先生の声が聞こえた。
「ロバートソンさん。一体どうなったのかしら?」
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