重力に逆らうことに無謀さを覚えたのは、多分私が最初じゃないでしょう。ライト兄弟が飛行機を飛ばして実用化させるまで、きっと鳥のように空高く舞い上がるのは人間の行く領域ではないと割り切っていたからなのかも知れない。
けれど、この世界の彼は平然としながら草創期の幾倍の速さで飛び上がります。
空母のカタパルトで引かれ、投げ出された私達の機体は乗数的に加速していきました。
「ぬぅぅぅぅ!」
言語にならない嗚咽がまず初めに出ます。体感したことのない横方向の重力が身体を締め上げます。
「ベビーカー1、正常に発艦」
「キャリアーよりベビーカー1へ。グッドラック、しっかり戻って来いよ」
「ラジャー、キャリアー」
コールサインのベビーカー。私がまだ生まれたてだからそう呼称されているようですが、返答の声もうまく出せませんでした。
機内は前席、後席の複座配置になっていて、前後は機内の無線で繋がってはいるのですが、聞こえるのは前席の平静とした呼吸音だけ。訓練飛行とは言え、腑抜けた緊張感の無さが伝わってきます。
「ベビーカー1から2へ。大丈夫かい?」
「ふぅぅ、うっ、はぁ」
初めての戦闘機、飛び立って数分の呼び掛けも応答できません。
声帯を震わそうとしても、変にこの呼吸ペースを乱せば息が詰まります。
「ベビーカー1よりキャリアー。着艦訓練の中止を具申します」
「どうした?」
「後席のベビーが、息荒げて大変なことになってる。最寄りの訓練飛行場に向かう。機体はベビーを降ろした後に還すよ」
「了解した。管制塔にはこちらに通達しておく」
「助かる」
一言も発することのないまま、私はファルコンの無線の聞き手へ回ることしかできませんでした。
その後、数十分の機動飛行をした戦闘機は最寄りの『アンバレル訓練飛行場』へ羽を降ろすことになりました。ただ、ここでは別の部隊が訓練しているということなので、もしかしたら砲弾がどこかへ跳ね返って飛んでくるかもしれない、らしいです。
命がいくつあっても足りないと言った言葉がありますが、ここでは死なないので墜落しても撃墜されても、併設された野戦病院に送られるのは変わりないので実質チャラです。
初飛行の感想は、最悪の連続でした。言ったと思いますが、この戦闘機は数十分『機動飛行』をした、すなわち音速間際で無茶苦茶な旋回を繰り返した、ということになります。
私の顔は引きつっていました。彼は勿論笑っています。笑いながら操縦桿を傾けて機体を揺さぶっていました。
慣れてきて声が出せるようになった頃、前席の操縦手の悪戯心を誰かが擽って実行させたのでした。右に左に下に上に、全方向に機首を回そうとするたび体が曲がるたびに体重の数倍、重力が働きました。
目も回るわ、息も苦しくなるわで、機体が定位で巡航しても常に状態異常を喰らったような視野になっていました。燃料も少なくなって彼が操縦桿で飛行場に向かってくれたときは、鬼教師の数時間にわたる長ったらしい説教を聞き終わった達成感が過ぎったものです。
飛行場を目視で捉えると、機体が減速を始めます。上空では人影も街並みも大差ないほど縮小していましたが、高度に反比例してその大きさを取り戻していきます。これほど地上に立っていることにありがたみを覚えたのは初めてでした。涙が出そう。
「ベビーカー1より2へ。気分はどう?」
「ベビーカー2、最悪だよ。ジェットコースターが安い玩具に思えたよ」
「それは何より。で、空軍はどう?」
「何を言うかと思ったら、こんな無茶苦茶な飛び方して戦えなんて、私には向かないよ」
「残念」
トラウマも生まれかけた大気の薄い上空の世界に、夢や希望は影も形もなくなっていました。
これが終わったらこのゲームからは降りよう。誘ってくれた裕翔には悪いけど。
「管制塔よりベビーカー1、着陸滑走路は26Lを使用せよ」
「ベビーカー1、了解」
「貴機の左舷、戦車隊が射撃演習を行っている。距離1000、背中向きに射撃してはいるが、留意せよ」
「了解です。ベビーカー1、アプローチ」
管制塔からランウェイの指定と左にいる戦車隊に留意せよ、と指示を受けて正面に伸びる滑走路へ機首を5度程上げて進入しました。
私に出来ることはないように思えましたが、眼は行かせると思い、留意するべき左1000メートルの戦車に視線を傾けます。
四両が横一列に砂漠の上で並んで、一斉に車体に載った回転砲塔の先から眩い光を放って、砲弾を撃ち出します。騒音は風防の中にまで希薄ですが届いていました。
像の如く図体から発車された弾は、肉眼で見ることは叶いません。しかし確実に四つのターゲットに風穴を開けて、吹き飛ばしたのを先のターゲットで捉えました。
数秒後にまた一発、別のターゲットへ偏向して射撃、終わるとキャタピラで時速数十キロまで加速して移動し、また射撃。
獰猛なそのシルエットにいつの間にか魅入られていました。着陸の衝撃に備え忘れて、盛大にヘルメットを射出座席の硬いヘッドレストにぶつけます。
「いででー」
思わず声が出ていました。反応はなく、機体は滑走路を乗用車並みにまで速度を落として走っていました。
「ようこそアンバレルへ、ベビーカー」
管制官の声を聞いて、足のつく浅瀬へ辿り着いたことへ気がつきました。
そして、私は前席のファルコンに言います。
「私、戦車乗りになる」
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