「ぬぅぉぉぉぉ!」
女性とも男性とも取れない中性声の咆哮が、店のど真ん中から飛び立って、薄い茶掛かった二本の黒いツインテールを左右にはたく場違いな、いえ迷いに迷って叫ぶ少女が居ました。
目元には丸眼鏡がぽつんと乗っかり、右目の下はほくろの跡が特徴的な一見地味そうな美少女。そう、私こと『三浦 モカ』です。
そんな助けを求めているような絶叫を発端に、蓋が閉まった密閉空間の中で思い思いに商品を取っていた人々が視線を絞ります。
なんだ、なんだ、と聞こえてきそうな表情で、棚の隅から控え目に覗く男所帯。こんなに見つめられるのは初めてですが、大壇で教鞭を振るったような緊張に襲われます。
私は左右を一瞥しながら、軽く会釈をしてゲームのパッケージを見つめます。別にお金がなく買えなくて、想像でプレイしているわけではありませんし、ひもじい思いをしているわけでもありません。買ってもどうせすぐやらなくなるのでは? という疑念と会話を合わせてもらっていることに引け目を感じていて、それを少しでも拭おうと善処したいという前向きな向上心が入り乱れているだけなのです。
すべては、数時間前のやり取りが起点、でした。
2048年。某日。
2026年に勃発した第三次世界大戦は2040年に民主主義陣営の勝利で終結しました。
二分された世界は戦勝国が統一。大国間の緊張は消滅し、懸念されていた核戦争の可能性は完全に消滅した、というのが私の住む世界の歴史です。2031年生まれなので、大きな戦争があったというのは記憶にありますが、日本は平和だったのでテストの暗記問題の一文、くらいにしか考えたことがありません。
緋色の太陽が差し込む私立高校の図書室。委員の仕事で残っていた私は、無造作に返却された本の数々をジャンルごとに分けて、積み上げる作業をしていました。
まったく昨今のシステムというのは若者に堕落を齎しています。図書室の紙の本なんて、とっくの10年前くらいに廃れて、電子書籍に完全移行したと思っていたのですが、それは私の中の世界だけだったようでまだまだこの製本された小説なり図鑑を借りる文化が大衆には健在でした。
この学校もその一端を取り入れているみたいなのですが、借りた本を返却ボックスへ無造作にぶち込むというシステムは、委員の負担を考慮して是正していただきたい。
不満の染み込む剥れた表情で本を積み重ねていた私は、小休止を入れるため、プラスチックのブックボックスから手を引きました。
そして溜息交じりに文句を吐きました。
「本当、みんなタダ読みが好きね。電子で買えば、こんな積まれずに済むんだけ」
突然、物騒な言動が出ましたが、私は至って正常です。著者にお金を投げなさいなんて、第三者が言えたことじゃないですが、少しでも苦しい出版業界を潤すのは、どの時代も本にお金を掛ける読者です。
私はジャンル別に本を選別しながら、積まれていく本の山を一瞥しました。
ほとんどの図書館や公立学校の図書室では本を人工知能が表紙の画像を解析してジャンル、タイトル、保管場所を読み取り、運搬用の小型ロボットで元の場所に戻される、完全な自動化が行われています。おかげさまで図書館司書の仕事は激減しました。
他所はそんな現代にそぐわっている設備にも関わらず、この学校は未だに本の裏に張られた学校独自のバーコードとスキャナー、ノートパソコンを用いた在庫管理システムで、人の手が不可欠な旧型のシステムでした。
不貞腐れながら積まれた本の一棟を持ち上げて、その本が置かれている棚の定位置へと運びだそうと腰を下ろしていました。
けれど彼女の挙動がいったん止まります。図書室と廊下とを繋ぐ横引の扉が開いて、端整な顔に気さくな笑顔を咲かせた男子が入室して、それに目線が引かれてしまったからです。
「やっぱりここに居た。いつもお疲れ様、モカ」
「ちょっと裕翔。もう仕事始めてるんだけど遅刻じゃない?」
「立て込んでてね」
「ゲーム系ニュース記事を読んでいるところのどこが立て込みよ」
「あははー。うん、ニュース記事だからね。一応」
「言い訳になってないよ」
別に彼が特別カッコいいから、というわけではありません。先に断っておくべきでした。
さらりと落ちた耳上くらいのショートカットの彼は、何を隠そう私と同じクラスの図書委員『舘裕翔』その人。穏やかな口調でどこでも打ち解けそうな愛想を持つ少年です。
そして私が唯一、クラスの中で話の合う男子。気がつけばお互い下の名前で呼び合う同士になっていました。付き合っているとか、恋情を抱いているわけではありませんが、男女に芽生える友情はかなり深いと解釈しています。
遅刻気味に来た彼は、時事ネタを仕入れていて遅れたと言い、正当化を図りますが私には筒抜けになっていました。ゲーム関連のニュースを教室で一人寂しく漁っていただけで、眼を細めて語らない彼の背後から詳細を付け加えて、認めさせます。
彼は苦笑いで誤魔化して、積み上がった本の一部を手に取りました。
「毎日、量がこんなにあると、億劫になるよ」
「その億劫になることを、初っ端からやらされてるのは私なんだけどね。君が遅れてくるから」
「ごめんって。終わったら雑誌買ってきたから読もうよ。今日発売だったから」
「なら、死ぬ気で手伝ってよ。選別は終わったから、あと本棚に戻すだけだし」
「イエス、マム」
聞きなれない返事をした裕翔へ、溜息が出そうになりましたが、堪えて仕事を続けました。
山が切り開かれていく光景を傍目に、私達は夕暮れの図書室で一つの青春を作り出していました。
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