「ってのわぁ!」
座っていた私は机を膝で蹴り上げて、立ち上がりながら仰け反って避けるポーズをとりました。
鼓膜を劈く銃声。丸い円錐が亜音速で私の足元を抜けます。私の動きは弾丸より幾分遅かったので、足首には人形が受けた傷と同じような軽い擦り傷が出来上がっていました。
患部は青く粉雪よりも小さな埃っぽり粒が落ちていき、粒子は地面に落ちた途端、実体が薄くなって消えました。その傷からじわじわ熱が広がって頭へ抜けていきます。
教官は徐に私の上がった足に近づく、それはもう力の限り私の足を持ち上げて宙づりにします。
「包帯を巻いて数十分。この説明が終わるころには治っている」
「治ってるというか、私のこと持ち上げてるんですけど!」
「あぁ、この方が治療しやすい。病人と験は担いだ方がいいからな」
「か、揶揄わないでください。ほんと、頭に血が登ってきてくるちい」
「ここで一つ、戦闘機乗りになるのならタメになる話をしてやる。このまま脳内に血液が回り続けると、眼球内に血流が流れ込みすぎて視界が真っ赤に塗られる。注意しろ」
「は、はい。とにかく、下ろしていただけますか?」
「悪かったな。すぐに終わる」
そう言って、ダニーは私の足に薄く包帯を巻いて金属ピンで止めると、正常な立ち姿勢に向き戻して立たせます。
綺麗に足の傷口を覆い隠した包帯。昇っていた熱も引いて足の純粋な感覚だけが残りました。
「微傷から順に、軽傷、重症、戦闘不能と続く。軽傷は皮下への損傷。微傷よりも粒子の量が多い。この粒子は人間の血液と同じ扱いだ。大量に流出すると戦闘不能に陥る」
銃口をスライドさせて、私から人形へ直ると、今度は皮下の肉を絡めとる弾道で放って、傷の具合を見せてくれました。
「これが軽傷、処置は一緒だ。包帯を巻く。ただし、沼や海、泥水に浸かったらこいつを使え」
「うがい薬?」
茶色っぽく濁った液体が入ったプラスチック容器、匂いは鼻の通る強烈な薬品臭で、好みの分かれる匂いでした。
「簡潔に言うと消毒液だ。正式名称はポピドンヨード溶液。ピーポ君なんかとゲーム内では訳称される。ここからは巻き気味に行くぞ」
そう言って拳銃のトリガーを次々と引く。人形の腕の中心と腹を二発続けて貫通させると、解説が挟まりました。
「腕は重症、腹は戦闘不能に近い傷を負わせた。重症だがレベルが違う」
「はぁ……撃たれたことには変わりないと思うんですが」
「腕は骨が砕けているから、野戦病院まで送らないとこいつの腕は身体についたソーセージのままになる。後退する時間が長引くほど、野戦病院のベットへ磔になるから覚悟しておけ」
「イエッサー!」
「次に腹だが、こいつも放置したら大事に至る。幸い、致命傷に至る内蔵への直撃は避けたが数時間もすれば確実に息の根が止まる」
青々とした粒が身体から欠け落ちて、その量が時間に反比例して微々たる変化ですが、少なくなっています。
「骨の処置は基本的に固定だ。加えて止血帯で銃創の決壊を遮断、傷口にガーゼを詰めて、縫合。腹は止血帯が使えないからこれは省く」
「この青い粒、名前とかあるんですか?」
「破傷粒子、だが銃創や傷、負傷と言った方がいい。腹は止血をしたら縫合。やり方は目線に出るヒントボックスを参考にするといい」
教室の隅にあった赤十字のパッチが縫われたリュックサックを引き寄せてカバーを手前に開けると、ガニーが人形を倒してガーゼを抜き出して傷口に押し込みます。
純白の微細な網目に染み込んでいく破傷粒子、蒼白に染まり切るまでにそう時間はかかりませんでした。
「止血時間は大体3分。この時、処置中の奴は無防備になる。夢の国の青い宇宙人みたいに手が四本あればライフルを構えられるが、俺達には二本の剛腕だけだ。いいか、仲間を信じろ。包帯で固定して戦線復帰をしても問題ないが、負傷者の容態には注意しろ。見捨てれば楽だが、後が痛い」
戦場では仲間を見捨てない、というのがアメリカ軍の精神だと、映画なんかではよく耳にしていました。
見捨てたら、死んだ仲間以外から袋叩きに合うことは必至です。
「次に戦闘不能についてだ。頭、心臓、大量流失等々諸々で戦闘不能になった場合、その場で野戦病院にスポーンされる。死体は残るが、プレイヤー本体はそこで魔法の除細動器で処置され、しばらくベットから動けなくなるだろう」
追加、見捨てた仲間からも砲撃の雨が降り注ぐことが判明しました。仲間は宝です。決して見捨てないように。
それから私は、ダニーの言った魔法の除細動器なる単語を耳にします。なんでしょう。
「魔法の除細動器?」
「こいつだ」
赤い正方形のバックに『自動体外除細動器』の白い文字があしらわれたそれは見覚えのあるものが目の前に出されます。いつのまに。
「見ての通り除細動器だが、野戦病院でのみ、どんな傷も治す魔法の道具になる。時期に使うことになるだろうから、今は使わん」
「あははーバグの多そうな2010年代のFPSみたいですね」
「そのネタ知ってんだな。お前いくつだ?」
「れ、レディーに気安く年齢を聴くなんて失礼ですよ!」
危ない、思わずオンラインゲーム内で実年齢を喋ってしまうところだった。心臓がバクバクと高鳴り、深呼吸で落ち着けます。
「と、とにかく話を戻しましょう!」
「あ、あぁそうだな。次に戦闘不能。戦闘中は即死ともコールされる状態だ。見ていろ」
慌てて話を修正すると、今度はダニーが人形を起こしてその額に弾丸を発射します。
教室内にこだまする銃声、ガスが灯した閃光を追い越す弾は人形の額を貫いた。その場で倒れ込み、死体は一定時間経過すると青い結晶に弾けて空に消えていく。
「これが戦闘不能の状態だ。致命傷を受けた味方を放置すると時期にこうなる。よく覚えておくことだな」
「は、はい!」
私は恐怖を覚え、結晶のスクリーン越しにダニーを睨んだ。戦場から脱落した者はこうなって最寄りの野戦病院に送られるらしい。
死なないことこそが、生き残ることこそが戦場のルールであり、最強のステータスなのだと、私に語りかけているようです。
「負傷の話は終わる。では戦場に行こう」
「えーっと、ステータスはー」
「現実と一緒だ。数値化はされているが、プレイヤーには完全秘匿だ。だから、走れば走るほど体力は付き、鍛えれば鍛えるほど筋力はつく。さぁ行くぞ! お前を戦場が待っている!」
「な、なるほど」
ダニーは簡潔にわかりやすく説明して私をこの部屋から追い出します。
「お前は良い兵士になる。俺が保証しよう。時間も押しているからな。超特急を用意した」
「って、えーっと」
チュートリアルの時間はとっくに終わっていたようです。教室があった事務所は今まさに崩壊を始めていました。教官の熱が入ってここから出られないプレイヤーがいないようにと用意された私達側の救済なのでしょう。
再び包帯を巻いたときと同様に足から持ち上げて、教室の窓から私を放り投げました。地面はすでになく、正方形のブロックに分離し始めた世界から落下し、乖離していきました。
長く短いように感じた彼との時間は、現実世界だとほんの二時間弱です。これからどんな困難が待ち受けようとも、反吐が出そうな訓練を思い出したらへっちゃらな気がしていました。
私の戦場が、今まさに広がろうとしていました。
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