午後、雨はさらに酷くなった。
道が川のようになり始め、市内の学校は急遽生徒達を帰宅させることにした。
いつもよりはやい時間なのに、外は夜のようだ。
昇降口に立ち、華子は降り止まない雨を見詰めた。
「……本当に、これ……」
普通の雨ではない――
「雨、酷いよな」
「へ?」
唐突に背後から話しかけられ、華子は振り向いた。
そこには、同じクラスの吾妻霖之助が立っていた。
彼は、成績優秀、スポーツ万能、顔も良い、クラスを纏め、性格も良いらしいまるで絵に描いたようなイケメン君だ。女子生徒は毎朝みんなどうにか彼に挨拶してもらおうと躍起になっている。が、人見知りでなかなかクラスにすら馴染めない華子は、それらを遠目に見ているだけだった。
でも、やはり華子も女の子だ。霖之助がイケメンなのは分かるし、憧れてもいた。どんな時でもクラスの中心にいる彼が、羨ましく、眩しかった。話してみたいとも思っていた。
そんな霖之助が、自分に話しかけている。
頭の中が真っ白になった。
「あっ、えっと、……う、うん、そうだね」
しどろもどろに答えると、霖之助は困ったように笑った。それはぎこちなく、どこか恥ずかしそうでもあった。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「えっ、いやっ……あの……」
否定したいが、驚き過ぎて言葉が出てこない。
憧れている存在が目の前にいると、自分の惨めさが際立つ気がした。俯いた華子に、霖之助は不思議そうに眺めた。
その後、また暗い空に目を移した。
「しばらく部活もできないな」
心から残念そうに言った霖之助に、どうにか会話を続けたいと華子は口を開く。
「そ、そっか……え、と、吾妻君は、サッカー部、だっけ?」
「ああ」
「今日は、……一人なの?」
いつもは周りに誰かいる霖之助だが、そういえば今誰もいないことに気付いた。
「俺、いつも一人で帰ってるよ」
「そうなの? 教室では友達と一緒だから、誰かと帰ってるのかと……」
さっきまで友達と帰る生徒達で昇降口は溢れていたが、今は少なくなっている。みんな、早く帰れることが嬉しいのか、学校を出るのが速かったようだ。きっと、自宅待機をきちんと守る生徒は殆どいない。友達と駅前のファーストフード店やゲームセンターなどに行くのだろう。後で注意されることよりも、今の楽しみの方が勝る年頃だ。
霖之助がまた苦笑した。
「俺の家はみんなと反対だからさ。あんまゲームもしないし、ご飯にも行かないから」
「あ、そうなんだ」
「うん。橘さんとは……帰り道、同じなんだけど」
「えっ……?」
知らなかった。通学中、霖之助を見たことは一度もなかった。
それよりも、霖之助に苗字を呼ばれたことに、改めて自分が彼と話していることを意識し、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。
霖之助が困ったように頭を掻く。
「あっ、でも、俺、いつも朝練あるし、帰りは部活で遅いから、そんなに顔合わせないよな」
「そ、そうだね。会ったことなかったから……そ、それに、わたしはあんまり周りを見ないし」
「そんなに俯かなくていいのに」
「え?」
華子が顔を上げれば、今度は霖之助が顔を逸らした。
周りのがやがやした声は、すでに引いていた。昇降口には、華子と霖之助、後数人の生徒がいるだけだった。
雨の音が、また耳に入ってくる。
霖之助が暗い空へと視線を向けた。
「雨、止むといいな」
霖之助は独り言のように呟いた。
華子も霖之助に倣い、空を見上げる。
「うん、そうだね」
呪いが解ければ――
でも、この雨がなければ、霖之助と話す機会はなかった。
華子は少しだけこの雨に感謝したのだった。
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