ハコブネのことづけ

仮想空間で生きる我々に価値はあるか
TAT
TAT

プロローグ

公開日時: 2022年8月25日(木) 21:10
文字数:3,006

 昼下がりの秋葉原駅。本日の気温は30度を優に超え、カンカン照りの太陽が降り注ぎ、ジメりとした空気が肌にまとわりつく。

 リクルートスーツに身を包んだ俺は、額にできた汗をハンカチで拭い、炎天下の中、目的地へと向かう。

 今日は、就職面接当日。時間に余裕をもって家を出たので、15分前には会場に到着予定だ。

 試験会場に向かう折、俺は一件のラーメン屋を見つけた。そういえば、最近はラーメンを食べることも減った気がする。

 前は、仲のイイ友人たちと良くラーメンを食べたものだ。特に、俺の親友ともいえる友人は、家系ラーメンを中心にかなり熱心なラーメンオタクだった。

 アイツはとっくに就職を決めて、在学中の身でありながら某IT企業でバリバリ仕事をこなしていた。

 俺も見習って、頑張らなきゃな。

 なんて、事を思いながら俺は面接が終わったらあのラーメンを食べることを胸に、試験会場に向け、歩みを進める。

  「うっ」

 強い日差しに目を細めた俺。次の瞬間、俺は立ち眩みがしてその場に尻もちをついてしまった。

  「あたた…。熱中症かな……」

 尻が痛いが仕方ない。この暑さじゃ…。ってアレ??

 

――――ようこそ、ハコブネへ。

 俺は、目を疑った。先ほどまでの都市の喧騒は無音となり、感じていた暑さは消え失せていた。さらに一番驚いたのはその視界が完全な闇一色だったことだ。

――――まずは、あなたの名前を教えてください。

 一面の暗闇の中、機械的な無機質な女性の声が俺に問いかける。その声はまさに、脳内に直接語り掛けられているような。そんな感覚だった。

 俺は、あたりに警戒し、無言を貫く。

――――まずは、あなたの名前を教えてください。

 俺の名前は……

 !?

 アレ…俺の名前はなんだった…?そんなハズはない。先ほどまであれだけ明確だった意識が、記憶が、少しずつぼやけ始める。

 熱中症もここまでくると重症だ。幻覚に記憶障害までとは。夏の気象病はやはり侮ってはいけないな…。

 深呼吸をして、俺は自分の事を少し思い出す。

 そう、俺の名前は…ハトヤマ……。下の名前は思い出せない。自分の名前すら思い出せないなんて、相当な重症だ。一刻も早く病院に行くべきだろう。

―――こんにちは。ハトヤマさん。あなたのバイタルは現在正常です。

―――脈拍安定、血圧異常なし

 この無機質な音声は何を言っているんだ?お前はそもそも誰なんだ。

―――私は思考解析型認識インターフェイス。通称Tiari。

―――御用の際はティアとお呼び下さい。

―――あなたの体験をサポートします

 そもそも、俺はこの暗闇に包まれてから一言も発していない。なのにコイツ、ティアは俺の思考を読み、直接脳内で会話しているのか…?

 思考型音声という技術は、アメリカでは確かに研究されているのは知っているが、ココまで明確な意思疎通ができるAIはまだ存在しない。

―――思考型音声はあなたの疑問や不満を解析。

―――直ちに最適解を提示することができます。

 何とも言えない、AIスピーカーみたいなカタコトが微妙に気になる。

 俺は、今現在、自分が置かれている環境を把握する事にした。身体の感覚はあるが、完全な暗闇に包まれているため自分の手指の感触はあっても、その姿を見ることはできない。

 ここはどこなんだ…?

―――ここは『ハコブネ』。より豊かな人生を送るためのVR空間です。

 VR空間…。仮想現実の世界という訳か…。感覚も感じるVRとは夢にまで見たフルダイブVR技術そのものだ。しかし、暗闇一面のVRなんて気色が悪い

―――登録されているアバターをインストールしています。

―――完了しました。

―――これより、『ハコブネ』のポータルワールド『ノア』に転送します

 ティアの一連の言葉が終わると、あたりは再び光に包まれた。

 俺は、急に明転した視界に目を細める。少しずつその景色の全貌が明らかになり、再び俺は驚愕することになる。

  「空ああああぁぁぁあああ!!????」

 そこは広大なビル街が広がる街並みの上空だった。それに気づくと、俺は凄まじいスピードで落下する。

―――ハコブネの生活では、他者との交流が推奨されています。

―――システムに関する質問がある場合はティアを呼び出してください。

―――それではハコブネでの生活をお楽しみください。

 ティアの音声が脳内から消えると、俺は地面に向かって凄まじい勢いで叩きつけられる。

 しかし、痛みはなく、俺はアスファルトの地面に大の字でめり込んだ。俺はあまりの情報量に考えることを辞め、どこか現実感の無い青空を見つめていた。

  「そうか…雲が動いてないのか…」

 なんて呑気な事に気づき、俺はゆっくりと起き上がった。

 そうか夢だ。これは熱中症でぶっ倒れてみている夢なんだ。

―――ある意味では夢の世界と言えます

 ティアの声が再び脳内に響き、俺は先ほどのティアの言葉を思い出していた。VRの世界…。確かにVRもののウェブ小説やSF映画は好きだが、影響されすぎてて自分でもちょっと引く…。

 まあ、夢だと思えば少しは状況も楽しめるが、そうなるとVRに潜っている俺の身体はどうなっている設定なのだろう?

 マトリックスのように管に繋がれて電池にでもされているのか?それともSAOのようにヘッドギアを嵌めてベッドで横になっているのか?

―――ハトヤマさんの現実の身体は、生命維持装置でスリープモードになっています

 前者だった。体中にプラグがある人間になっているのか…?

―――生命維持装置『EGGs』は培養液と口腔からの栄養摂取で構成されます

 ホルマリン漬け状態か…。それはなんともリアル…いや、SFの世界だからリアルもクソも無いんだけど…。

 ティアへの質問が終わると、俺はあたりを見回す。

 なんとも無機質な街だ。ビルの窓ガラスは鏡のように不自然に青空を反射し、道路には車の一台も走っていない。歩行者もおらず、なんなら、ビルもただの張りぼてのような感じだ。

 俺はそこまで偏差値が高くないとはいえ、大学でプログラムを専攻している。この世界にバグや抜け穴がないか、少し興味が出る。

  「へぇ、反射の仕方はかなり奇麗だ…」

 窓ガラスに映った自分はまるで鏡のように鮮明だった。奥を見渡せば、確かに室内らしき空間はあるのだが、それもディティールが少し曖昧なような…。裏側には何もない世界が広がっていそうだ。

 更にもう一つの発見があった。俺のアバターが云々というティアの言葉を聞いていて予想はしていたが、俺の服装が変わっていた。

 黒い学ランに黒いローファー。中学高校とブレザーの制服だったため、この制服は知らない学校の物だ。

 顔つきはまあ、目の下のクマが少し薄いぐらいだろうか。髪型はいつも通りのクセ毛の黒髪だが、前髪のひと房がグレー色になっていた。現実世界とあまり容姿は変わらない。

 折角のVR世界なんだし、もう少しイケメンにしてほしいものだ。

――アバターの変更には手順を踏む必要があります。

――また、アバター変更後、1か月は変更ができません。

 不便だなぁ…。と、俺は内心ため息をつく。

 夢の世界であると思いつつも、あまりにも意識が明確なので、俺はこのハコブネという世界を、自分に起きている現実として認識し始めていた。となれば、不安が出てくることも致し方ない。

 この世界は、いったいどういう世界なんだろう。仕様も不明なハコブネと呼ばれたこのVRワールドから、俺はどう脱出しようか。そんなことを考え俺は空を見上げていた。

「さっき落ちてきたのは君か…」


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