ハコブネのことづけ

仮想空間で生きる我々に価値はあるか
TAT
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CH02「ハコブネの自治者」

公開日時: 2022年8月25日(木) 21:10
文字数:12,238

「まずは腹ごしらえをしよう。」

 クソガキさんはポンポンと腹を叩き、ビルの裏手に向かって歩き始めた。

「ハコブネはVR空間なんですよね?食事の必要性ってあるんですか?」

 俺の純粋な疑問に、クソガキさんは「たしかに」とつぶやく。このハコブネで何を食べようと生命維持装置、えっとEGGsだったか?の中にいる俺の本体の腹が満たされる訳ではない。

 そんな俺の疑問は「百聞は一見に如かず」というクソガキさんの一言に一蹴された。

 ビルの裏手に回ると、これまた少し寂れた雰囲気のラーメン屋があった。

「へぇ、これがVRとは思えないですね」

 まさに俺が知るラーメン屋の佇まい。そういえば、今日は面接後にラーメンを食う予定だったな。と言っても、25年越しの昼飯という事になるんだけど…。

 何ともシュールな状況に少し笑いつつ、俺たちは店の中に入った。

「20年代の若者ならラーメンの買い方はわかるだろう?」

 彼女の後ろをついて歩いていた俺に問いかけるクソガキさん。なめてもらっては困るな。これでも俺は一時期、週4でラーメンを食べ歩いていた男。メニューから最適解を導くことも、二郎系でコールを唱えることも容易だ。

「てか、ハコブネの人たちはラーメンは食わないんですか?」

「食べない事は無いけど、こうしたラーメン屋があるワールドが殆どないからね。ノアの町でラーメンが食える店はココだけだよ」

 何という事だ。ラーメン文化は引き継がれなかったのか。ゲームでもラーメン屋台が実装されているタイトルはいくらでもあるというのに、ハコブネでは定着していないとは…。

「そもそも、食事自体とる必要がないからね。ハコブネでは食事は生きる手段から娯楽となったんだよ」

 ここにきて、先ほどの俺の疑問への答えが出た。やっぱり食事は不要と言うのが真相だったようだ。

 クソガキさんは食券を購入し、テーブル席へ座った。俺の分もお金を入れてくれていたクソガキさん。俺もすぐさまラーメンの食券を買い、お冷を2人分注ぎテーブルに座る。

「おっ!気が利くね~!ありがとう」

 ラーメン屋には水がセルフの店も多い。ここも例にもれずセルフお冷だ。席に座ると店主と思われる大柄な男が厨房から食券を取りに来た。

「味の好みは?」

「いつもの」

「全部普通で」

 如何にもラーメン屋の店主と言った感じのオジサンだ。リアルでもラーメンを作っていたのだろうか。風格があるな。

「彼はAIだ。良くできているだろ?」

「え!?AI!!?じゃあ人間じゃないんですか?」

 クソガキさんの言葉を聞いて俺は驚きを隠せない。再び厨房に戻った店主を見るが、どこからどう見ても、ぶっきらぼうなラーメン屋の店主としか見えない。あの思考型音声、ティアのカタコトが嘘のような自然な人間的なふるまいだ。

――人間との判別をつけやすいように、意図的に機械的な音声に設定されています。

――思考型音声の特性上、流暢なAIは会話の妨げとなるための設定です。

 あ、こういうちょっとした疑問にも答えてくれるんだ。思ったよりティア便利だ。考えた瞬間には回答を得られるというのは、俺の知るスマホ時代をさらに便利にしたような技術だろう。

 しかも、その情報は的を得ている。きっとAIスピーカーなんかも、10年や20年でこれぐらい便利になっているんだろう、と技術革新の変遷を目の当たりにしたような気持ちになる。

「この店はオイラが昔、よく通っていた店をモデルに作ったんだよ」

「作った!?これをクソガキさんが?!」

 驚きだ。いや、運営直轄なら技術者の可能性もある。どんなマジックなのか、いずれじっくり聞いてみたいところだ。

「ハコブネにはエディタ機能が備わっている。君にわかりやすく言うとすれば、マイクラみたいな感じで誰でも簡単にモノが作れるんだよ。」

「へぇ…」

 となれば、そのエディタ機能を作った技術者は、相当な技術者なんだろう。

「暇があったらやってみるとイイ。やり方はティアに聞けば大概教えてくれるし、脳内にイメージがあればそこから自由自在に作り出せる」

 昔、絵描きの友達が「脳内の絵をそのまま画面に打ち出す機械が欲しい」とぼやいていたのを思い出す。お前の欲しがっていた機能がどうやら実現したらしいぞ…。

「あの店員もティアをベースとして、ラーメン屋の店主というステレオタイプのイメージを具現化したものに過ぎない。まあ、彼は少し特殊で、他のAIなんかよりよっぽど人間らしく振舞うがね」

「へいお待ち。ラーメン普通のお客さん」

「あ、ハイ」

「と、いつもの」

「ハイハイ」

 話しの途中だが、ラーメンが到着する。これがVRのラーメンか…。見た目はごく普通の家系豚骨ラーメン…。この独特な臭いも本物と区別がつかない。

 ん?俺はあることに気づき、店主に声をかけた

「あの、煮卵トッピング頼んでないと思うんですけど」

「サービスです。クソガキさんが他の人を連れてくるのも珍しいんでね」

「は、はあ。ありがとうございます」

 俺の中のAIという概念が瓦解する音が聞こえる。あるある。こういうちょっと気の利いたサービスをしてくれる店員。こんな人間味にあふれたサービスまでしてくれるのかこの世界のAIは…。

「いただきます」

 俺は割り箸を取り出すと、そのラーメンを一口。

「…うまい」

 それは、俺の良く知る店のラーメンの味だった。ラーメンにうるさい友人に連れまわされ、俺も多少は味がわかるようになった。間違いない。俺の知るラーメンの味だ。

「これ、神田のラーメン屋の味…。」

「へぇ、あのラーメン屋知ってるんだ。オイラも1年ぐらいお気に入りで通ってたんだけど潰れちゃってさ」

 あの神田のラーメンがつぶれたなんて…。俺は、悲しみに打ちひしがれた。

 しかし、その味がVRの世界で食えるのは、なんという贅沢だろう。こうして、失われた味、文化がデータの世界で再現されて残ることも、風情が無いと言われればそれまでだけど、それでも、失いたくない物が形に残るハコブネは、俺の理想とする世界なのかもしれないと、本気でそう思えた。

 俺は、無我夢中でラーメンをすすった。すべてが懐かしく感じる。そうか、きっとこれは数十年ぶりに食べるラーメンなんだ。

「ごちそうさまでした」

 スープまですべて飲み干した俺は、幸福感に包まれる。そういえば、空腹感は感じなかったが、満腹感はあるんだな…。

 仮想現実の身体、本物じゃない食べ物。

「そういえば、食事は必要ないのに食事をする必要って…?」

 俺は、食事を必要としないVRの世界でも食事を摂る必要性について、クソガキさんへ再び訪ねた。

「ご飯を食べれば幸せになれるだろう?」

 と、キメ顔で俺に言った。正直、もっと奇想天外、あるいは哲学的な回答を得られるものだと思っていた期待は、見事に打ち砕かれる。

「それだけ?」

 つい、口から出た言葉は、それだけで落胆している事を示唆させるものだった。しかし、クソガキさんはそんな俺の反応を見ても

「まあまあ、そう慌てるものじゃないよ」

 と俺に向けて掌を突き出した。彼女についていき店を後にすると、彼女は爪楊枝を咥えながら頭の後ろで手を組みながらゆっくり喋り始めた。

「栄養だけを摂るためなら、美食文化なんてものは根付かなかった。日本人だけで見ても、我々は白米を食べ始めてから、食に娯楽を求めるようになったんだよ」

「つまり、気持ちを満たすために飯を食うって事ですか?」

「そうだね。もちろん、食事は不要とする人物もいる。食べたいときだけ食べる。という人もいるが、オイラは現実でのルーティーンというのもあるね」

 イマイチ釈然としない話しだが、俺はクソガキさんの話しを続けて聞いた。

「仮想現実…。リアルではない世界でも、飯を食べて夜には寝るという、人間として当然の生活を送りたいという、せめてもの抵抗なのかもしれないね」

 この言説は腑に落ちた。というか、もしかしたらハコブネで生活を続けていれば、きっと忘れてしまうのかもしれない。自分が人間である事。飯を食べ、太陽を浴び、夜には眠る。人間の当たり前の生き方を。

 一緒に話しをしていてわかる通り、リアルの世界では彼女も俺と同じぐらいか年上ぐらいの人間だろう。例えば、これが年下の世代になれば考え方も違うのだろうが、俺でもなんとなく食事はある程度ルーティンで食べるかもしれない。

「オイラはね、ハコブネは所詮仮想の世界だという認識を持っている。これは本物の世界でも、本物の身体でもない。そのことを忘れないように、現実となるべく乖離した生活は送らないようにしているんだよ」

「なんとも生々しい話しですね…。」

「ハッ、この世界があと何年持つのかは知らないが、人間は人間としての在り方を忘れてはいけないと思っているさ」

 クソガキさんの表情は、どこか儚げだった。俺は同年代の間でも古い考えを持っている方だが、彼女もそこは同じようなものなのかもしれないな。

「日本だけで見ても、ハコブネの普及率は君の時代で言うところのスマホと同等の普及率だ。」

「それって、すごい数じゃ…。現実世界はどうなってるんですか?!」

「ドローンが全ての物流から産業を回している。体を使う仕事はドローンが行い、頭脳労働と言われる類のものはすべてハコブネでもできてしまうからね」

 話しを聞けば聞くほど、これが25年後の日本なのか。と疑いたくなる。たった20数年で世界はそこまで変わってしまうのか…。いや、考えてみればスマートフォンが発明されてから10年程度でガラケーは消滅したもんな…そんなものかもしれない。

「しかし、ドローンだけで回す世界なんてのもいつか限界が来るだろう。オイラはそんな時、リアルの世界で生きられない人間になるのはまっぴらごめんなのさ」

「…なんか、俺の知り合いにそんな奴いましたよ。サバイバル術とかやたら調べてて、文明の利器に依存したがらない奴がね」

 それは、大学時代からの友人で、ちょっと変わった奴だったが、起こりうる最悪の事態はすべて想定してます見たいな、冷静で肝の据わった奴だった。

 まあ、アイツはこのクソガキさんとは違って、もっと無口だったし礼儀にはやたらうるさい奴だったからな。

「…その友人には、会ってみたいところだ」

 妙な間の後、クソガキさんがフッと鼻で笑いながら言った。そんな態度でいる人には絶対に会わせてやらないがな。

 そういえば、アイツらは今どうしているんだろう。クソガキさんは運営側の人間だ、もしかしたら頼んだら探してくれるかもしれないな。そうだ、家族もハコブネにいるのだろうか…。

 あれだけVRだのARだのを毛嫌いしていたオヤジは、ハコブネに入らないで、今も古風な茶の間で緑茶をすすっているのだろうか…。弟はきっとこの手の物にはすぐに飛びつくだろう。母親はなし崩し的にハコブネに移住していそうだ。

 そんなことを考えながら歩みを進めていると、俺の目の前にはクソガキさんの後頭部があり、俺は思いっきりつんのめる。

「あ、危ないじゃないですか!」

 と、俺が言うとクソガキさんは振り返り、俺の目を睨みつけた。

「な、何かしましたか?俺…?」

 その目は、マジメな目をしていて、彼女の視線につい目を逸らしてしまった。ところで俺は一つの違和感に気づいた。

「俺の影…」

 俺の足元から伸びた影は、俺の頭の部分で途切れず、その上にさらに一人分の影を作り出していた。その事実に驚き、頭上を見上げる。

「あーー、気づかれましたかーー」

 俺が見上げた空中には、本来あるはずの青空は見えず、日に照らされて白く反射した肌色が見えた。

「えっ!?人!!!?」

 そのシルエットが人間であると認識するまでに、俺は数秒の間があった。俺の頭上には、人が立っていたのである。

「よーっと」

 その人影は冗長気味に俺の頭上から飛びたつと、そのままコウモリのように街灯にぶら下がるように立った。

「え!?どういう仕組み!!!?」

 人間が街灯にぶら下がっている。直立姿勢で。何を言っているかわからないと思うが、俺も何が起こってるのかわからない。頭がどうにかなりそうだ。

「やあユエ。」

 クソガキさんは当たり前のように目の前で街灯にぶら下がる少女に声をかける。

「こんにちはーー。その人は初めて見ますねーー。」

 少女はとぼけたように首を傾げながら、俺のことを見た。

「彼はハトヤマくん。オイラの新しいバイト君だ。自己紹介をして」

 クソガキさんに紹介された少女は、俺の目の前にバク転しながら飛び降りてくる。4m近い高さから飛び降りたにも関わらず、少女は何事もなかったかのように着地すると俺の顔を見つめてお辞儀をした。

「はじめましてーーユエと申しますーー」

 相も変わらず冗長的な喋り方をするユエさん。この子もクソガキさんとは違った意味で、可愛らしい外見をしていた。

 全身を紺色のチャイナ服に包み、頭にはキョンシーのような帽子を被っている。ボブカットに揃えられた暗めの紫の髪の間からは、眠たげな銀色の瞳がコチラを覗いている。

 しかし、それよりも刺激が強いのはその足元だった。

「あの、なんで裸足なんですか…?」

 チャイナ服とカンフー着を混ぜたような服装だが、丈は太もものあたりまでのハーフパンツで、その足元は一糸まとわぬ生足。正直、目のやり場に非常に困る。

「あーー、これですかーー?」

 狼狽える俺を一切意に介さないユエさんは、その手が隠れる程長い袖をフリフリと振り回しながら、視線を足元に落とした。

「私は地面に対して3mmだけ浮いているのですーー」

 無表情で腰に手を当て、決めポーズをしながら宣言。3㎜って、ドラえもんかよ…。と、脳内で追いつかないツッコミの処理をしている俺に対し、クソガキさんが「オイラが説明しよう」と口を開いた。

「彼女は独自に開発したアクロバットアドオン(拡張機能)で、重力を無視することができるんだよ。」

 さすが仮想現実、何でもありだな。確かに、俺の頭上にユエさんが乗っている間、その重さを一切感じなかったのはそういう事だろう。

「アドオンの都合上、靴底の厚さで挙動が変わってしまうから、彼女は靴を履くのをやめたというわけさ。」

 なるほどな…。納得はできたが、しかし目のやり場には困るというものだ。仮想現実だから肌を露出することに対して、だいぶ抵抗がなくなってるのやもしれない。貞操観念も仮想現実ではあってないようなものか…。

「ところで、ユエ。何かあったのかい?」

 悶々とする俺をよそに、クソガキさんはユエさんへ声をかける。すると、ユエさんは「あーー」と中空を見つめた後、クソガキさんの顔を見ると腕を前へ突き出す。

 彼女が突き出した手の先からホログラムのような地図画面が現れる。

「スカイスクエアで通り魔事件発生ですーー。追跡したら逃げられたのでー、応援要請にきましたーー」

 通り魔!!?その言葉に俺は耳を疑った。よもや、仮想現実ですら通り魔事件が発生するような事があるのか。続くユエさんの言葉に、俺は更にショックを受ける。

「犯人は路地裏に逃走。被害者は現在200名程度。うち、運営側の負傷者が15名ですー。」

 200人が被害に遭うほどの通り魔。俺のいた時代なら軍隊が出るレベルの殺しだ。しかし、クソガキさんに要請が来るとは、いったいLiVLAはどんな組織なんだ…。

 目まぐるしい疑問の渦の中で、俺は半ばパニック状態となっていた。正直、今すぐ非難したいところなんだが、クソガキさんと目が合うと、彼女は意味ありげに笑い

「ちょうどいいや、ハトヤマくん」

「いやです」

 俺は即答した。その反応に不服そうなクソガキさん。

「まだ何も言っていないだろう?」

 言わなくてもわかる。ちょっと見学、とかそういう話しで、通り魔のいるスカイスクエアとかいう場所に俺を連れて行こうっていう話しだろう。

「おっ、察しがイイね。オイラの仕事がどんなものか、その目で見てくれたまへ」

 クソガキさんは俺の返答の一切を無視して、俺の首根っこを掴んで引きずる。というか、この華奢な体躯の一体どこにそんな馬鹿力があるのだろうか。俺は、なすすべなくクソガキさんに連行されてしまった。

「ぜったい嫌です!!!通り魔ですよ!!起きたら25年の時が流れてて、その日のうちに通り魔に刺されました。なんて御免ですからね!!」

 俺の必死の抵抗に対し、クソガキさんは無言で笑って見せた。狂気だ。俺は今まで感じた事のない恐怖に、駄々をこねる子供のように暴れて見せたが、クソガキさんの馬鹿力に一切抵抗できない。

「ハトヤマはそんなに通り魔が怖いですかーー?」

 ユエさんも引きずられる俺の足の上にのり、顔を覗き込んで聞いてくる。この人たちは一体どんな神経をしているのか…。

「怖いも何も、刺されたら痛いだろうし、何より刺されたら死にますって」

「あーー…ああーーー??そりゃそのレベルじゃー死にますねーー」

 俺の言葉の意図を理解しているのかわからない無表情のまま、彼女はさらりと俺に死亡宣告をくれた。狂っている…この人たち…。

「はは、死ぬのが怖い君に、一つ面白いものを見せてあげよう。こっち見て」

 クソガキさんは俺を解放する。地面に顔面から落ちた俺は「いたた」と言いながら体を起こし、クソガキさんの方を見る。

「え?」

 俺の眼前には銃口をこちらに向けるクソガキさんがいた。目でわかる。完全に殺るという目だ。俺は、その状況を呑み込めずにいた。

 あ、人間は恐怖がある一定量に達すると声が出なくなるのか。と、そんなことをふと冷静に考えてしまう。

「それじゃあ、おやすみ」

 バァン。と重い銃声が響き、俺はこと切れた。

 

 

 コォオオンと甲高い車の排気音で目が覚める。車窓には凄まじいスピードで前から後ろに向かって流れる高速道路の風景が映る。何が起きたのかを整理しようとしていると

「起きたかい?」

 俺の左側から声がした。その声の主を探すように左方向に目をやると、気だるげにハンドルを握るクソガキさんがいた。

「あ・・・れ・・・?」

 確かに、俺は撃たれたはずだ。脳天直撃、どう考えても即死の距離。俺は混乱しながら自分の額に手を当てる。しかし、そこにトンネルは開通していないようだし、何なら傷跡の一つも見受けられない。

「俺、死んだはずじゃ…」

「ハハ、ここはVR世界だぞ。銃で撃たれても死にはしないさ」

 クソガキさんの言葉を聞いて、俺はハッとする。よくよく考えてみたら、VRの世界で人殺しができる訳がない。マトリックスじゃあないんだ。撃たれても死ぬわけじゃない。

 その事実に気づき、自分の焦り具合を思い出す。地団太を踏んで、銃を向けられたら恐怖で声も出なかった。さぞ間抜けな顔をしていた事だろう。

 顔が凄まじい勢いで熱を帯びる感覚がわかる。クソぅ、先に行ってほしかった。そもそも、ハコブネで人が死ぬのなら、この世界にやってきた時に俺は転落死していなければオカシイだろう…。

 ――ライフポイントがゼロになったため、一定時間行動不能となりました。

 ――ノア内での死亡のため、デスペナルティはありませんでした。

 ティアの事後報告を受け、俺は深くため息をつく。なんなら、先に言ってほしかったよね…。

「ふふ、面白いからつい遊んでしまった。悪かったね。お詫びと言っては何だが君にはこれをあげよう」

 右手をハンドルから手離し、胸ポケットを漁ってクソガキさんが取り出したのは、先ほどの黒い銃だった。

「…どうも」

 素っ気なく返事をする俺。自分を殺した銃を手渡される人の気持ちと言うものを、少し考えて頂きたいところだ。

「わかったろう?ハコブネでは通り魔だろうがテロだろうが、さほど脅威ではないのさ」

 クソガキさんは、フロントガラスから目を離さずに俺に告げる。ところで、着座位置が大分低い事に俺が気づく。何だこのクルマ?

「ふふ、パガーニゾンダC12S。オイラの愛車だよ」

「はあ…」

 あいにく、俺は車への造詣がない。車種名を言われたってわからない。俺が聞きたいのはどちらかと言うと、なんでこんなスーパーカーで移動しているのかという事だ。

「ワープ機能とかないんですか?クルマで移動なんて不便じゃ…。」

「君が寝ていたからね。起きるまでの時間つぶしさ。それに、クルマで現場に直行というのもなかなかシブいだろう?」

 キメ顔で語るクソガキさん。通り魔が現れたという現状から考えられないほど悠長だ。

「なるほど」

 再び俺は素っ気なく返事をする。まあ、いきなり人の脳天を撃ち抜くような人には、これぐらいの反応でいいだろう。

 やり場のない怒りと言うか、理不尽な感情を抑えつつ、俺は先ほど受け取った銃を見た。

 銃にも造詣があるわけではないが、しかしこれは酷い。なんというか、おもちゃのエアガンと言った感じだ。もっとマシな物は無かったのだろうか。

 弾倉も無く、スライドも動かない。全体的に作りも雑で、刻印なんかもない所を見るとモデルも何もない銃と言った感じだ。

「ああ、弾は無限だから気にせず撃っていいよ。引き金引いたら弾は出る」

 確か銃って暴発防止のセーフティとかがあるハズなんだが…。搭載されているギミックは引き金だけと言う、ミリオタが聞いたら卒倒するような銃だ。

「いいだろう、こんなのは撃てて当たればいいのだよ」

 クソガキさんの適当さは、なんというかガサツとかそういう域をはるかに超えているんだな…いや、あのラーメン屋の内装の作り込みを見るに拘るところはとことんこだわるが、抜くところは最大限抜くといったところか。

 メリハリと言うより、そこまで行くともはや偏りでしかないな。

「そろそろつくよ」

 クソガキさんがハンドルを左に切り、クルマはインターチェンジの出口を目指す。そういえば、先ほどまでいたユエさんの姿が見えないが、どこへ行ったのだろうか?

 俺がキョロキョロしている事に気づいたのだろう。クソガキさんは窓の外を指さす。俺はクソガキさんの指さす先を見ると、そこには人影が一つ。

「え!?ユエさん、クルマと並走して…!!?」

 ユエさんは、信じられない事にクルマと並走してココまで自らの足で走っていた。

「便利だろう?ユエのアドオン。と言っても、性能がピーキーすぎるからユエぐらいしか使いこなしてないのだけどね」

 ハコブネというVR世界は、俺の思ったよりも自由度の高い世界なのかもしれない。なんてことを思っていると、クルマは勢いよくスピンしながら止まった。

「ついたよ」

「も、もっと丁寧に止まれないんですか?」

 思い切り頭をガラスに打ち付けた俺は、クソガキさんへ抗議するが

「いいだろう?スピンターンで止まるの、映画とかでよくあるじゃないか。カッコイイだろう?」

 この人、実年齢は40か50代ぐらいなんだろうが、精神年齢はガキだな…。と、俺は深いため息をついた。

 クルマのドアを開け、クルマから降りた俺とクソガキさん。あたりの景色はネオンの煌めく夕刻の歓楽街だった。その様相は渋谷的な感じだが、そこかしこに浮いたネオン看板や空を飛ぶドローンなど、どこかサイバーパンクを思わせる景観の町。

「ここはスカイスクエア。まあ君の時代で言うところの渋谷みたいなもんかな。古い人間は渋谷と呼んでいるしね。」

「この街は、ノアと違って何というか活気がありますね…」

 街の様相は、ノアの人気のないビル街とは違い活気にあふれていた。バーで飲む人影が覗え、がやがやとした喧騒が遠巻きに聞こえる。中にはギターで音楽を奏でている者もいるし、まさに渋谷のような様相だ。

 夕暮れの中に怪しく光るネオンと、行きかう人の群れを見ると、ハコブネが現代社会の姿であるという事を実感する。

「こんなところで通り魔なんてやられたら堪ったもんじゃないですね」

「まあ、所詮は通り魔と言っても荒らしみたいなものだよ」

 俺の呟きに、クソガキさんはサラリと通り魔を荒らし呼ばわりする。しかし荒らしだなんて言うのなら、それこそブロックで良いのではないだろうか。

 クソガキさんは運営側の人間だ。例えばSNSなんかでもアカウント凍結があるように、クソガキさんないしは、他の運営陣の手によってハコブネから強制ログアウトをさせれば済む話だと俺は思う。

「ブロックでも凍結でもいいんだけど、ハコブネでの生活は今や現実世界とほぼ同等の価値を持つ。ハコブネのアクセス禁止措置はわかりやすく言えばネットのアクセス権を取り上げられるようなものだ。」

「それは…難儀ですね」

 ハコブネの市民権を取り上げられるのは、もはや現実世界では死刑にも等しいのだろう。それもそうか、ハコブネから出られたとしても、その世界はドローンだらけの機械の世界な訳だし…。

「君についてきてもらったのは、そういう価値観の違いを認識してもらうためでもあるんだよ。」

 クソガキさんは街を見上げながら呟いた。今までの緩慢な表情を捨て、どこか不敵な笑みを浮かべつつも、仕事に向きあう大人の表情を見せるクソガキさんに、俺は不覚にもドキっとしてしまう。

「ユエ、ターゲットの位置へ案内してくれ」

「!!!!あぶない!!」

 クソガキさんが頭上のユエさんに声をかけているときだった。突如飛んできた無数のダガーナイフ。咄嗟に俺が叫ぶより早く、ユエさんが俺たちの前へ降りてくる。

「あーー、必要ないみたいですねー」

 ユエさんは自身の身長よりも頭一つ分長い棍棒をバトンのように回し、その全てのナイフを撃ち落とし、相変わらずの無表情で淡々と標的を見据えた。

「助かったよユエ」

 クソガキさんはユエさんに礼を言うと、20メートルほど先に佇む通り魔へ視線を向けた。

「手間が省けて助かるよ。一応聞くけど君は話し合いに応じる気はないかい?」

「…」

 通り魔へ話しかけるクソガキさん。件の通り魔は、想像したものとはかけ離れた容姿で、俺は拍子抜けしてしまった。

「女子高生…?」

 セーラー服に黒いストレートのロングヘア。青い瞳がコチラを鋭くにらみつけていたが、その表情はまるで癇癪を起した子供のそれで、あどけなさの残る顔つきから、彼女が成熟した大人ではない事がうかがえる。

「ダイナミックリンク…」

 女子高生がブツブツと何かを呟くと、手元に持っていたダガーナイフが1本から2本、4本と倍々に増えていく。

「話し合う気はナシ…か。ハトヤマ君。とりあえず撃ってみ」

 急に話しを振られた俺は「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げる。人を撃つなんて経験、もちろんしたことは無い。サバゲ―なんかもやったことは無いし、なんならモデルガンすら握ったことは無い。

「無茶言わないでくださいよ!」

 俺が尻込みしているのを見て、ため息をつくクソガキさんは、俺を一瞥すると

「大丈夫だよ、君のレベルじゃ当たらないから」

「はぁあ!!?」

 舐められたことに怒りを覚え、俺は手元の銃を強く握りしめるが、銃口は未だに足元に向いていた。少なくとも、女子高生を撃つ趣味は無いし、なんなら俺は見学だ。通り魔に巻き込まれるのは御免だし、なんなら制圧に加担する気もない。

「仕方ないなぁ。ユエ、少し相手を頼む」

「おーきーどーきー」

 クソガキさんは呆れ気味に胸ポケットを漁り、ユエさんは先ほどの棍棒を3つに割って見せた。

 三節棍。カンフー映画などで見ることも多い武器の一つだ。通り魔のナイフの雨をすべて弾きながら距離を詰めるユエさん。そのスピードにはさすがの通り魔も驚きを隠せないようで、壁に電線、電柱、看板と立体起動的に動き回るユエさんの動きに狙いが定まらないようだ。

「ちっ!」

 舌打ちをした通り魔は、ユエさんを無視し、クソガキさんに向けて数本のナイフを放ってきた。

「あー、無視は悲しいですねーー」

 しかし、ナイフよりも速く動くユエさんは、通り魔の放ったナイフをすべて撃ち落とす。

 下手なアクション映画よりもよっぽど派手な戦闘風景を、俺は現実味無く眺める事しかできなかった。

「んー、これでいっか。デッテレッテッテッテー『テイザー銃』」

 そうこうしているウチに、クソガキさんは某ネコ型ロボットのような口調で胸ポケットから武器を取り出す。

 それはプラスチッキーな見た目の黄色い電撃銃だ。ユエさんに狙いを絞っている通り魔の隙をついて、クソガキさんはテイザー銃を通り魔めがけて発射する。

 通常のテイザー銃なら射程はせいぜい数メートルというところだろうが、ここはハコブネ。リアルなようでファンタジーな世界では何でもありだ。

 20メートルはあるであろう距離をものともせず、一気にワイヤーが射出される。

「があああ!!」

 と通り魔の彼女が叫ぶ。電撃がどうやら聞いているようだ。

「ん?痛覚減衰してないのか?」

 クソガキさんは怪訝な表情を浮かべ、首を傾げる。痛覚減衰?

 ――痛覚減衰は、ハコブネ内で生じた痛みを抑える機能です。通常ではレベル7が推奨されておりますが、無痛にしたい場合はレベル10に設定されます。

 ――また、痛覚減衰レベル3以下は推奨されておりません。

 なるほど、まあそれもそうか。何でもアリのVR世界で痛みまで細かく再現されていたら危険なのだろう。いきなり銃で撃たれて、それがそのまま再現されていたら、ショック死もあり得るかもしれない。

「というか、痛覚減衰してないって」

 となると、彼女はあの電撃をもろに食らったという事か。その痛みは想像したくない…。

「まあ、戦闘狂の人間の中には本物の痛みを求める奴もいるからね。」

 クソガキさんがコチラを見て言う。まあ、痛いのが好きな人もいるというのは…。わかりたくないがリストカットとかもあるしなぁ…と俺は考えていた。

 そして、件の通り魔もそれは…ッ!!!!!!

 バアァアン

 と銃声の音がビルに反響してこだまする。考えるよりも先に手が動いた。その銃声の主は俺の手元に握られた銃だった。

 クソガキさんの脇から見えた通り魔は、痺れる体でなおもナイフをこちらへ向けて放って来ていたのだ。

 それを見た俺はとっさに銃を構え、通り魔めがけて撃ち込んだ。

「おぉ、よく気づいたね」

 クソガキさんを庇っての行動だったのだが、彼女は通り魔のナイフをすべて避けていた。焦った俺の苦労を返してほしい。

 通り魔少女は俺の銃弾を弾いていた。あの電気で震える身体でよくそんな芸当ができるな。と関心していたが、俺は次の瞬間には腹部に走る激しい痛みに気づくことになる。

「ぐ、ぐぉ…」

 血反吐を吐いて倒れる俺。俺の放った銃弾は、通り魔が弾いて脇腹に跳ね返ってきたようだ。ピッチャー返しをもろに食らった俺は、その場に倒れ込む。

「い、痛ぇ…」

 感じた事のないほどの腹痛に意識が朦朧とする。痛覚減衰があるんじゃ………。

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