ハコブネのことづけ

仮想空間で生きる我々に価値はあるか
TAT
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第1章「ハコブネのことづけ」

CH01「VR世界ハコブネ」

公開日時: 2022年8月25日(木) 21:10
文字数:3,561

 突如、声をかけられた俺は、びっくりしてのけぞりながら振り向く。

 そこにいたのは、身長140cmにも満たない、少女…というより幼女だった。

 俺の驚くさまが面白かったのか、振り向いた先に居た幼女は「くっくっく」と不敵な態度で笑った。

 足元は素足にサイズの合っていないグレーのスリッパを履き、体操服の半袖半ズボンを着用している。胸元にはデカデカと『クソガキ』の文字が刻まれ、その上から地面に着きそうなほどサイズの合っていない白衣を羽織る幼女。

 彼女は膝下まである紫がかった銀髪のおさげを指でクルクルと弄びながら、こちらを見つめていた。

 恥ずかしい気持ちをごまかすように、俺は咳ばらいを2度すると

「どうしたんだい?迷子??」

 と問う。迷子扱いされたことに少しムッとした彼女は、即座に俺に反論する。

「迷子?それは君が言える立場かな?」

 この子の言う通り、俺も迷子みたいなものだ。しかし、気分はまるでチェシャ猫と出会ったアリスだな。順番は逆だけど、この後は帽子屋にウサギまで出てくるのかな?

 ん?思考が完全に酩酊者のソレだ。状況をうまく把握できていない俺は、現実逃避をしたいのか思考がポンポンと脈絡なく飛んでいく。

――思考補助の影響を確認しました。

 ティアの問いかけだ。思考補助?

――思考の断片から補助的な情報を提供する機能です。

 何それ怖い。まんじゅう怖い?

 あ、なるほど、関連するキーワードが脳内にソートされるのか。いらんいらん。これじゃいつまでたっても思考がまとまらない。

――思考補助をオフにしますか?

 オフに決まってる。こんな風にいらん情報が常時脳内に流れ込んできたら、絶対人体に悪い影響が起きる。

――思考補助を行うことにより、新たな情報を記憶し脳に好影響を――

 知らんがな。ともかくオフで頼むよ。

――了解しました

 常に脳みそがオンラインで繋げられている気分だ。この世界の人間はさぞかし気疲れする事だろうな。

「おいおい、聞いていたかい?」

「え?」

 幼女が俺の目の前まで来て、俺の顔を覗き込んでいた。

「ご、ごめんごめん。で、なんだっけ?」

「私はこのハコブネの案内人みたいなものだ。君は過去にユーザー記録が無いみたいだが、ハコブネには初めて来たのかい?」

 幼女の問いに、俺は答えた

「あ、ああ。気づいたらこのハコブネとかいう世界に居た。といっても、これは俺の見てる夢の世界な訳だし。好き勝手に振舞おうかと思っていたところだよ」

 俺の答えを聞いた少女は、眉間にしわを寄せる。怪訝な表情で口元に手を当てると、横目で俺を見た後に口を開く。

「夢の世界?気づいたら居た?挙句空からログインしたっていうのかい?何を言ってるんだ…?いや、そもそも新規ユーザーならオイラが把握していないはずがない。しかも何故空から…バグか…?」

 ブツブツと何かを呟きながら俺を見つめる彼女の顔は、相当にマジメな顔だった。それは、おおよそ幼女がするような顔ではなく、もっと大人のするような表情。

「いや、何もわからないし…本当にこれが現実と言うなら、変だ!俺は今日は就職面接の試験会場に向かう最中に熱中症で倒れて、それで…」

「……就職面接…?」

「あぁ、子供にはわからないか!つまり会社に入るためのテストを受けるために」

「それはわかる。そうじゃない…。そうだな…。」

 幼女の顔色は更に曇っていく。どうも話しが嚙み合わなくて俺も苛立ちを隠せなくなっていった。

「今は、西暦何年だかわかるかい?」

 彼女の問いは意外な物だった。俺は当然と言った感じで答える。

「今日は西暦2024年の7月24日!ちゃんと覚えてるでしょ?」

 俺の回答を聞いた幼女の顔は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情だった。

「ぜんぜん違う。」

「え?」

「ぜんぜん違う」

 二度も言わんでもいいだろうに。

「じゃあ、今日は西暦何年なんだよ?」

 俺が問いかけると、彼女は白衣の裾を翻し俺に背を向けると、振り向きながら口を開く

「本日は2049年の4月12日だ」

「よんじゅう……は?」

 今度は俺が驚愕の表情を浮かべる。そんなハズは無い。何を言っているんだこのクソガキは。

「少し歩きながら話そうか」

「…あぁ……」

 

 無機質なビル街の中、歩みを進める俺と幼女。二人の足音がビルに反響している。俺たち二人に会話は無かった。

 あの後すぐにティアにも現在時刻の確認を取ったら、あろうことかこの幼女が伝えた日付と同じ答えが返ってきた。

 49年から考えると俺は約25年分の記憶がすっ飛んでいる事になる。タイムトラベル的な事を最初は考えていたが、それは現実的ではない。

 あり得る仮説としては例えば、俺が若年性のアルツハイマー型認知症患者だったとかで、記憶障害に陥っていて、治療のためにこのハコブネに堕とされた。とか。

 はたまた、俺はあの熱中症で倒れた直後から植物人間状態で、こうしてハコブネができるまでの間、眠っていた。とか。

 考えようはいくらでもある。いよいよもって悪夢じみてきた。何なら、早く覚めてくれと思う。

 そうそう、ログアウトすれば真相がわかるだろうと思い、ティアにログアウト方法を尋ねたところ

――ハトヤマさんのログアウトが承認できません

――何らかの医療行為、実験の最中であると推測されます

 とのこと。俄然、先ほどの俺の仮説が現実味を帯びてきた。そもそも、空から落ちた時点で目が覚めないのがオカシイし、ここまで明確にディティールのある夢は普通に考えてあり得ない。

 俺は、一体どうしちゃったんだろうな…。

 医療行為だとしたら、認知症か?それとも熱中症で植物人間まで行っちゃったのか?

 嫌な考えばかりが脳裏をよぎっては反芻している。

「ところで、君の名前は何て言うんだい?」

 そんな俺に、幼女が声をかけてくれた。

「…ハトヤマ」

「…そうか…よろしくねハトヤマくん」

 妙な間があったのは気のせいだろうか?

「そういえば、お嬢ちゃんは何て名前だい?」

「ん?オイラかい?オイラの事はクソガキと呼んでくれ。」

 クソガキって…もはや名前じゃないし。

「ハンドルネームみたいなものだよ。ハコブネはVR世界だ。必ずしもリアルの名前を名乗る必要なは無いんだよ」

「そういうもんか…というか、2040年代の日本には年上には敬語って概念はないのか」

 ボソッと俺が言うと、クソガキは少し言いづらそうにしながら口を開いた。

「今更いうのもなんだけど、この世界では現実の身体とはかけ離れたアバターを操作している人物も多い。オイラを含めハコブネの住民が見た目通りの年齢、性別、属性とは限らないから留意してくれ」

 彼女、クソガキの言葉にハッとする。確かに、こんなオヤジ臭い言葉遣いでやけに落ち着いている幼女が、見たまんまの幼女とは限らない。

 ネカマみたいな感じで、中身は50代のオッサンが入っているやもわからない。

 なんなら、俺もそんな感じだ。俺の記憶が途切れた2024年から逆算すると、俺の現在の年齢は45才となる。でも外見は学生のソレだ。

「じゃあ一応、クソガキさんって呼んだ方がいいですか?」

「ハハハ、そこは自由にしてくれたまへ。ハコブネは君の知る常識が通用しない世界だ。年功序列なんて言う概念は当の昔に滅んでいる」

「…まあでも、一応そこは社会人になる身として弁えておきますよ」

 少しこのクソガキ…さんにへりくだるのは癪な気もするが、相手が子供じゃないのにタメ口で話すのは失礼な気がする。最低限のマナーとして、この人は年上として接しようと決めた。

「ところで、俺たちはどこへ向かっているんですか?」

 俺が聞くと、クソガキさんは歩きながら前方を指さした。

「オイラの根城だ。最初に言った通り、オイラはハコブネの案内人のようなものだ。君のような異端者や問題児に対してケアとサポートを行っている。」

 クソガキさんの言葉を聞きながら、彼女の指さす先を見ると、そこには他のビルとは明らかに違う、少し寂れた雑居ビルが見えた。

「ここがオイラの活動拠点だ。」

 ビルの入り口に書いてあった名前はLiVLA…。よく道端にこの落書きを見るぞ…。

「理想的仮想生活のための法機関。Life Ideal Virtual Law Authorityの頭文字をとってLiVLAと呼ばれている。」

 なんというか、無理矢理な当て字臭いな…。案内人なのに法機関かよ。

「案内人とは言ったが、実態はハコブネの運営局直轄の治安維持組織だ。LiVLAに該当する組織は各ブロックに設置されていて、オイラはここ、ハコブネのポータルワールドである中央都市ノアの管理と治安維持組織の統括をしている。」

 ハコブネの中央都市がノアとされている時点でお察しだが、この街は旧約聖書のノアの方舟と何か関係があるのだろうか。気にはなるが、まずはこの世界の仕組み、システムを理解することが先決だ。

 俺はとりあえず、このクソガキさんの元に厄介になることにした。

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