ハコブネのことづけ

仮想空間で生きる我々に価値はあるか
TAT
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CH03「楽園の取りこぼし」

公開日時: 2022年8月25日(木) 21:10
文字数:12,275

深い、深い眠りの中から、俺は叩き起こされる。

「ハトヤマくん!」

 クソガキさんの声だ。俺は、あの時また死んだんだよな。一日に二度も死ぬとはついてない。

「おぉ、目が覚めたか」

 目を開けると、クソガキさんの顔が視界に入る。どうやら、例の通り魔事件は無事解決したようで、俺はクソガキさんの膝枕の上で思い切り寝ていたらしい。

「君に危害が及ばないように細心の注意を図っていたつもりだったが、すまなかったね。」

 申し訳なさそうにするクソガキさん。彼女もこんなしおらしい顔をするのだな。なんてことを思いつつ、ゆっくりと口を開く。

「気にしないでください。俺の銃弾が跳ね返るなんて思ってもみなかったですし」

 俺の言葉を聞いて、少し安心したような顔をするクソガキさん。

「そういってくれると助かる。しかし、あの場で咄嗟に銃を構えるとはやるじゃないか」

「あはは、どうも」

 クソガキさんはヘラヘラとした顔に戻ると、俺の肩を小突いた。なんだかんだ言いつつも、小生意気な態度のクソガキさんの方がしっくりくる。

 しかし、先ほどの痛覚減衰の話しでは、通常ではレベル7に設定されていると言われていたが、レベル7で腹に銃弾を食らうとあんなに痛いのか。現実の銃弾を食らったらどんな痛みがするのだろうと思ったが、ここから更に7段階も痛みが強くなるのだとしたら、二度と御免だ。

 ――現在のハトヤマさんの痛覚減衰はレベル3に設定されています

 …は?

 ――現在のハトヤマさんの痛覚減衰はレベル3に設定されています

 ティアの言葉に耳を疑う。ということは…?ややパニック気味な俺。つまり、俺は非推奨レベルの減衰3で銃弾を食らったというのか…。

 それは痛いハズだ。あの痛みは食中毒で腹を下した時の痛みを遥かに超えた痛みだったからな。

 ――減衰レベルを変更しますか?

 勿論。推奨レベルの7に変更してもらおう。

 それにしても、クソガキさんに脳天をぶち抜かれた時は一切の感覚も無しに死んだが、あれはなんだったのだろう。同じ銃で撃たれたのにも関わらず。だ。

「脳天じゃなく、どてばらを撃ち抜いておくべきだったね」

 そんなことを考えている俺に、クソガキさんが声をかける。そこで、俺はようやく気付いた。脳天直撃の銃弾だ。考える間もなくライフが0になったということだろう。

 それに対して、跳ね返った銃弾が脇腹にヒットだ。そりゃ出血死するまで多少の時間がある。

「そうだ!通り魔!!あの子は!!?」

 思い出したかのように、銃弾をピッチャー返しした張本人の行方を、俺は探した。あたりはすっかり夜になっていて、街は先ほどよりも活気に満ちているようだった。

 路地裏にはKEEP OUTと黄色い文字で書かれた、ホログラムの規制線が張られていて、現場検証と思われる人物が何人かいた。

 というか、ハコブネでもこんな刑事みたいな人たちいるんだな…。

「彼らも運営側の人間だが、やってるのは被害状況の確認だ。破損した器物の発注が主な仕事だが、興が削がれるので刑事のコスプレをしてやってるんだよ。」

 難儀だな…。というか、自動修復が機能しないのか…。

「ハコブネのオブジェクトは基本的に自動修復するようにはできてるんだが、住民が設置したオブジェクトは破壊されたらもとには戻らない。しかも、スカイスクエアはユーザ制作のオブジェクトが多いから困ったものだ」

 やれやれとため息をつくクソガキさん。わかりやすく言えばどう森やらマイクラ的なものだろう。刺された奴も気の毒だが、オブジェクトを壊された人にも同情する。なにせ、あんな無数のナイフを雨のように降らせて来る通り魔だ。一発の攻撃でどれだけの被害が出るかは想像に難くない。

「あの子はウチで一度身柄を引き取る。」

「警察に連行されるとかじゃないんですね」

 クソガキさんに俺が言うと、彼女は「ちっちっち」と人差し指を立てて

「LiVLAの日本語での名称は覚えているかい?」

 LiVLA。彼女の管理する機関の名称だ。確かだいぶ無理くりな当て字で…なんだっけ、えっと理想的生活のための…

「法機関…」

「その通り。警察組織は存在するが、LiVLA直下の部隊なんだよ。こういう現行犯の場合は基本的にオイラ達が出張ってって取り調べをするのさ」

 仮想世界は恐ろしいな。警察ですらこの世界ではこのクソガキさんよりも下なのか。というか、ハコブネでは運営と言えば官僚とかのレベルなのかもしれない。その辺は、旧時代の感覚をアップデートする必要がありそうだな。

 ――運営直下のLiVLAを筆頭に様々な機関が存在します。

 ――現実世界からそのまま引き継がれたのは裁判所のシステムとなります

 まあ、裁判はしょうがないよな…。と思いつつも、俺はなんら実感なんてしていなかった。少なくとも俺が知る歴史の教科書でもこんな時代は存在しないからだ。

 そもそも人が死なない世界、飯に困る事がない世界。そんなものはかつての人類史に一度も存在しない。異常な世界で目を覚ましてしまったものだ。

 感覚的には、未来に来たというよりは、もはや異世界転生と言った方がよほどしっくりくるだろう。常識は通用しないのだからな。

「さあ、目が覚めたなら行こうか。」

「行くってどこへ?」

「LiVLAさ」

 クソガキさんについていくと、彼女は壁に向かって何やらコードのようなものを書いていた。なるほど、これが開発ツールと言うヤツだろう。クソガキさんは手元に表示されたキーボードを巧みに使い、手慣れた様子でコードを打ち込む。

「それじゃあ行こうか」

 クソガキさんがEnterキーを押すと同時に壁には白く光るドアのようなものが出現した。

 彼女に続いて俺も光の中へ飛び込むと、その先は少し寂れた事務所のような部屋だった。

 黒いリノリウムの床に茶色い革張りのソファと木材でできたテーブル。家具も全体的にこげ茶で統一され、古風な振り子時計が時刻を刻んできた。

 どことなく昭和を感じる探偵事務所のような風景に、俺は少し笑ってしまう。この人のセンスは俺のいた時代でも古風とかそういうレベルじゃない。

 もしかしたらクソガキさんの中身は俺がいた時代の50代…今なら70代ぐらいなのかもしれない。

「何か失礼な事を考えているね?」

「いえ、別に。なんというかレトロな事務所ですね」

 考えを見抜いてきたクソガキさんに対し、俺は誤魔化して質問を投げかける。

「あぶない刑事とかこんな感じだろう?君の知る時代の後、第二次レトロブームとでも言うべき時代があったのさ」

 なんだか不服そうにどっかりとソファに腰かけるクソガキさん。まあ、俺が高校生ぐらいの時にもあったな、そういうブーム。ちょうどオリンピック騒ぎの前ぐらいだっけ?

「あーー、ハトヤマーー。よく眠れましたかー?」

 そんな事を思っていると、俺の頭上で声がする。

「うぉっ!!ユエさん!!」

 俺に声をかけてきたユエさんは天井にぶら下がっていた。何故この人はやたらと変なところにぶら下がっているんだ…。

「お陰様で…。ユエさんはどうしてここに…?」

「私があの子を運んできたんですよーー。」

 ユエさんはその長い袖をソファの方向に向かって伸ばす。その腕の先を見ると、先ほどの通り魔少女がソファに寝ていた。手錠も拘束もない状態でいるが、起きたらいきなり暴れたりしないのだろうか…。

「ハトヤマ君。悪いけど、そこにヤカンがあるから、コーヒーを4杯作ってくれないか?」

「え、あ。ハイ」

 いきなりクソガキさんに言われ、少々取り乱しながらも、彼女の指さした先にあったこれまた旧世代のキッチンへと向かう。

 まあ、キッチンと言ってもシンクとコンロがある程度の本当に簡素なものだ。錆びたヤカンを持って水道の蛇口をひねる。俺は未来に来たんだよな?と疑いたくなる程のレトロ具合…。

 目線を左にずらすと目に入ってきたのは昭和の遺物、給湯器。まさか、この歳になってから給湯器を見ることになるとは…。幼い頃の祖母の家にあった給湯器を思い出す。

 この感じだと家具調テレビや黒電話の類が出てきても不思議ではないな。

「コーヒーは…と」

「コーヒーは戸棚の中にインスタントコーヒーの瓶がある」

「あ、了解です」

 俺はクソガキさんに言われた場所にあったコーヒーの瓶を取り出すと、4つのカップにスプーンで粉を入れた。VRでいちいちこんな段階を踏んでコーヒーを作ることになるとは、なんとも言えない気分にさせられる。

 コーヒーを作りながら、俺はこの世界のシステムの不具合、というよりは不自然な部分について考えていた。

 VRではなんでもアリとは言え、ライフポイントが存在したり、戦闘ができる世界。ちょっと意味がわからない。例えば、街中での攻撃ができないような仕組みにすれば、血生臭い事はそういうのが好きな奴らでやればよくなる。

 さらにこのLiVLAの非効率な制圧方法。例えば、AIに任せて強制連行できるシステムにすればもっと効率的に取締りができるだろう。

 このコーヒーだってそうだ。段階を踏みながら作るコーヒーなんて、プログラム的にも無駄が多いと思う。いっそプログラムでポンと作ってしまえばいいのに。

「なにかー悩んでますねーー?」

 気づくと、コーヒーを作る様子をまじまじと見ていたユエさんが側にいた。

「うおっ!びっくりした!!」

 と、俺が驚く様子を見ると、無表情で口元を抑えながらユエさんは「おもしろいー」と棒読み気味に言う。しかし、ほんとに感情が読めないなこの人…。

「手慣れた様子でコーヒーを作ってるなーーって。でもー、なにか悩み事をしていますねーー」

 ユエさんの読みは当たっていた。俺は、先ほどの考えをユエさんに伝えると、首を傾げた後にクソガキさんたちの方を見た。

 気づけば、あの通り魔の少女も目を覚ましたようで、クソガキさんの対面で大人しく座っている。

「クソガキみたいな説明はできないですがーー。これがハコブネの意思なのですよー」

 と、ユエさんはそう付け加えると、自分の分のコーヒーを持ってソファの背もたれの上に座った。いや、普通に座面に座れよ…。というツッコミは野暮だろう。

 俺は、お盆の上にコーヒーカップ、それと先ほど引き出しの中から発見したシュガースティックとミルクを持って、事情聴取中の三人の元へ向かった。

「ありがとう」

 コーヒーを受け取るクソガキさんは、ブラックでひと飲みすると、眉間に深いしわを寄せた後、もってきた砂糖とミルクを3つ全部入れてしまう。

「なんだねその顔。年齢を重ねると人間は味覚が鈍感になるんだよ。この幼い体にブラックコーヒーを飲めというのは酷じゃないかい?」

 俺はクソガキさんの弁明をすべて無視し、通り魔少女にもコーヒーを差し出す。

「…」

 目を見開いてコーヒーを見つめる彼女。あれ?この世界でコーヒーってもしかして無いの?

 ――ワールドに寄りますが、コーヒーを知っていても飲んだことのない者は多く存在します。

 ふぅん。まあ、好きなだけウマいモンが飲み食いできる世界で、わざわざコーヒーを飲む必要は無いよな…。

「まぁ、まずは飲んでみなよ。ティアに聞くより飲んで知った方が早い」

 ああ、何というか耳が痛いな。ティアの精度がなまじ高すぎるだけに、まずはティアに聞いてからって感じなのか。なんでもスマホで調べてから。みたいな世界の延長線は、ティアが賄っているのか。

 現に、クソガキさんに聞けばいい事を、さっき俺はティアに回答されて納得してしまったからな。ある意味、コミュニケーションの一端である、何かを教えるということがこの世界ではだいぶ少ないのかもしれないな。

 ディスコードの会話中とか、知らない単語を裏でググっていた俺も反省しないといけないな…。

「んぐぅ!!」

 クソガキさんに勧められてコーヒーを飲んだ通り魔の少女は、その苦さに思わず嗚咽する。まあ、そりゃそうなるか。俺も初めて飲んだコーヒーはお世辞にもおいしいと言えるものではなかったからな…。

「どうぞ。砂糖とミルクだよ」

 俺は念のために持ってきていたシュガースティックとミルクを彼女に差し出す。少女は、怪訝そうに俺から砂糖とミルクを受け取ると、それをコーヒーに入れて、数秒固まった後、思い出したかのようにスプーンを手に取ってコーヒーを混ぜた。

 きっと、ティアに砂糖とミルクの入れ方を聞いていたんだろう。

「ところで、君の名前は?」

 クソガキさんがコーヒーカップを机の上に置いて彼女に尋ねた。

「…ツミキ」

 ツミキと名乗った少女は、未だ警戒心を剝き出しにしながらクソガキさんに相対する。

 いきなりこんな狭い所でナイフを出さないだろうな?と警戒している俺を見て、クソガキさんは彼女に対しての牽制も含んだ言葉を発する。

「はは、この事務所では武器の使用は基本的に不可能になっているから安心してお話ししようか」

 ほっ、と胸をなでおろす俺。この狭さじゃ、あのナイフの雨は避けられないし、ユエさんの三節棍も手狭だろう。まずは一安心だ。

 彼女は観念したように、コーヒーを啜ると、甘くなった味わいに驚きの表情を浮かべる。気に入ってくれたようで良かった。

「コーヒーを飲んだのは初めてかい?」

「う、うん…」

「そうか」

 クソガキさんはそれ以上特に何も聞かずにコーヒーを再び飲んだ。なんだこれ。普通は事情聴取ってなんでやったんだ。とか、そういう感じじゃないのかな…。

 それにしても、こうして大人しくしていれば可愛らしい子だ。大人びた体つきとは対照的なあどけない表情が…おっと、こうも女子に囲まれた状況だと少し目のやり場に困るな。

「さて、ツミキくん。さっき戦ってみてわかったが、相当な高レベルだね。どこかのゲームに居たのかな?」

「……。前はFWOに…」

 少しずつ、クソガキさんの会話は、聴取の様相を呈してくる。なるほど、こうやってちょっとずつ心を開いていくのか。まあ、それもそうだ。ハコブネの特性上、暴力で支配するのは無理だからな。

「FWO…。ハコブネのビッグタイトルですねーー。」

 ユエさんもその言葉には反応する。FWOって?

 ――FWOとは―――

「ファンタズム・ワールド・オンライン。所謂VRMMOゲームの世界があるんだよ。あそこはハコブネ最古のゲームだからね。ユーザー数も1000万人を超える超ビッグタイトルだよ。」

 ティアの回答よりも早く、クソガキさんが回答した。いかんいかん。ついついティアに頼ってしまい、人に聞くという事を忘れてしまうな。

「ティアの思考補助はオフにできるから、煩わしいならオフにもできるよ」

 クソガキさんの言葉を聞いて、ティアからの補助はオフにすることにした。まあ、どうしてもわからないことはティアに聞くことにして、誰かに尋ねればわかる事は自分の口で聞くようにしよう。

「……この人…ハコブネに慣れてないの…?」

 少女ツミキは俺を不思議そうな目で見つめた。そりゃそうだろう。言ってみればガラケーを使ってる人間を見たときの反応だ。

「彼は今日、ハコブネにやってきたばかりなんだ。挨拶を」

 クソガキさんに促され、俺はツミキと名乗る少女に自己紹介をした。

「ハトヤマです。VRには不慣れなんだけど、よろしく。えっと…ツミキちゃん?」

「ハトヤマ…さん。よろしく…。」

 たどたどしいながらも自己紹介を終えた俺たち。こうしてみると、本当に右も左もわからない少女だ。精神年齢が、見た目から受ける印象よりも遥かに幼い。

「さて、まずはどうしてあんな事をしたのか聞こうか。ツミキくん」

 ツミキちゃんは、俯き沈黙を貫いた。ティアに有効な回答を訪ねているのか、はたまた、どう伝えるべきかわからないのか。どちらにせよ、このままでは会話は進展しない。

「あの…」

 と俺が口を開くと、クソガキさんが俺を静止した。仕方なく、俺は目の前にあったパイプ椅子を広げてクソガキさんの右横に座る。

「別に話しをしてもしなくても構わないが、その場合はペナルティ処理をして終了という事になる。」

「……。」

「調和を乱す人間にペナルティを課すのは、人類が数千年やってきたことだ。ハコブネでももちろんこのルールが適用される。」

「……」

「被害規模からすると、現在のレベルを3分の1程度に下げる事と、一日謹慎処分が妥当だろうな」

「軽ッ…。いや、軽いのか?」

 クソガキさんの一方的な会話に突っ込んだのは俺だった。200人を殺した通り魔。現実世界なら極刑ものだ。それがたった一日謹慎というのは、何とも言えないな。

「人間は5日間なにもない部屋に閉じ込めただけで発狂するという研究結果があるのは知っているかい?」

 クソガキさんに言われた俺は首を横に振った。

「人間を孤独にすると、1日目から落ち着きを得られず、2日目から異常行動を起こす。というものだ。まあ、コルチゾールの増加や、緊張状態による悪影響などいろいろと理由はあるんだけど…」

 そこは話の芯ではない。と前置きをして、クソガキさんは続ける

「ハコブネの独居房は、完全な孤独。そんなところに24時間閉じ込められたら廃人になる。君が知るよりも、ハコブネの人間は心が弱いから余計にね」

「は、はぁ…」

 正直、いきなり人込みでナイフを振り回す人間には、それぐらいして反省してもらった方が良いような気もしないでもないが…。

「何も話さず孤独になるか、話してオイラたちと一緒に問題を解決するか選ぶのは君だよツミキくん」

 クソガキさんはツミキちゃんへ選択を突きつけた。

「……。一人は…もう嫌だ」

 俯きながらも震えた声で話すことを決断したツミキちゃん。一言目を発してからは、少しずつ言葉が紡がれていく。

「私……。ノリが悪いから…みんなのお話しについていけない…。」

 俺たちは黙ってツミキちゃんの言葉を聞いていた。

「……いつの間にか独りぼっちになっちゃった…」

 俯いた彼女の表情は、見なくてもわかる。涙を流し、手の甲にはその粒が滴り落ちていた。

「それで考えたの……。これなら、みんな私の事を見てくれるから…」

 彼女は手元にナイフを出現させる。俺は一瞬身の毛がよだつが、その様子を見ていて、無責任に通り魔だから隔離してくれとは言えない事に気づく。

 俺がいた2020年代の日本にも、そんな事件はあった。電車で殺人未遂をしてみたり、歩行者にクルマが突っ込んだ事件もあった。その犯人たちには同情の余地はないが、今のハコブネと言う世界では、同情する余裕がある。

 それは、どんなにナイフを振り回そうとも、結局は命が奪われるわけではないから。しかし、それは逆に彼女のような、孤独な殺人鬼をさらに孤独にするのだろう。

 刺されても平気。きっと、まともには相手にされないのかもしれない。

「社会に参加できないはぐれものは、かつては恐れられるという事で社会に参加できたが、今のハコブネでは、そんな事はできない。」

 クソガキさんも同様の意見を述べる。

「今更独居房に入れたところで、既に君は孤独だったんだね」

 それは、えげつないほど、彼女の心に刺さる真理だった。その言葉を聞いて彼女は再び黙り込んでしまう。

「先ほどのハトヤマくんの疑問にはオイラが答えようか」

 クソガキさんは机の上に置いたコーヒーを再び手に取り、一口飲むと、俺に目線を合わせた。先ほどの疑問。このハコブネの取締り方法の非効率性についてだろう。

「ハコブネでは基本的に殺人事件が起きない。暴力沙汰は無いわけじゃないが、それも痛覚減衰があれば別にさほど問題じゃない。」

「だからこそ、問題児が現れたところでみんな無視を決め込むか、同じような人種だけで不毛な争いを繰り広げるだけになる」

 クソガキさんの言葉は続く。

「LiVLAは理想的生活をハコブネのユーザが送れるよう、ユーザの心のケアをする役割も担っている。カウンセラーの立ち位置と言えばわかりやすいかな。」

 その言葉は俺にも理解できた。今までのような、単純にブロックしたり、ミュートしたら問題解決という世界じゃない事は俺にもわかる。

「オイラの上司にあたる人間が、こういう人種がわざと問題行動を起こす環境を作り出した。問題を顕在化しやすくし、それらに向き合うオイラ達が実際に犯人に相対し、寄り添うというのが目的だそうだ」

 その上司、というのは意図はわかるが、ずいぶんとマッチョなやり方をするものだな。なんてことを思う。

「まあ、血生臭いのはどうかと思うが、拳で語り合うのも一種のコミュニケーションだと言う意見は理解できなくもない」

 なんとなく、俺の思考を読んだクソガキさんがその上司とやらをフォローした。俺としては別に話し合いで解決するならいいじゃないかと思うのだが…。

「話し合いができない状態の人間もいるという事だよ。まあ、そんなこんなで、ツミキくんのような人物が、黙って一人で命を絶つよりは、わざわざ暴れてくれた方が助かるというのが彼の意見なのさ。」

 彼…。その人物に一度会ってみたいところだ。

「また……私だけ仲間外れ……。」

 俺たちの話しを聞いていたツミキちゃんは、恨めしそうにコチラを睨みつける。それだけ、自分が蚊帳の外にいる事に耐えられないのだろう。

「参加したいなら参加して構わない。ひとまず、聴取の続きは明日にしよう。今日はもう遅いしね」

 クソガキさんが言うと同時に、柱に取り付けられていた振り子時計が、重厚な鐘の音を鳴らす。現在午前0時。気づいたら、俺がハコブネへやってきてから半日が経過していた。

「ユエも泊まっていくだろう?」

「あーー、そうですねーー。そうしましょうかー」

 ユエさん、クソガキさんはソファから立ち上がると、そのまま出口まで歩いて行った。取り残された俺とツミキちゃん。俺はまあいいとして、ツミキちゃんの方は、またも落胆したように項垂れていた。

「ツミキくん。君もきなさい。オイラの部屋でパジャマパーティーと洒落こもうじゃないか」

「!!」

 クソガキさんの言葉に驚いたツミキちゃんは、勢いよく立ち上がりクソガキさんの方へ振り向く。

「それとも、そこで寝るかい?」

 クソガキさんのもう一押しに、急いで出口へかけていくツミキちゃん。その口元には笑みが見られたので、俺も安堵した。

 まあ、ここはプロの仕事だろう。ツミキちゃんの心をゆっくりと開いて行けばいいのだ。と、俺はなんだか安心したからか、眠気に襲われる。

 俺も寝るか……。

「あ、あの俺は?」

 危なかった。クソガキさんに放置されていた事をつい忘れてしまっていた。俺が今度はナイフを振り回す側になるところだ。

「あー…」

 エレベータに乗りこむ最中だったクソガキさんは、立ち止まって中空を見る。

「あの人も一緒に…パジャマパーティー…」

「「NO」」

 ツミキちゃんの提案に、クソガキさんとユエさんが同時に拒絶の意思を示す。あーー、ナイフ振り回しちゃおっかな~。

「6階に空き部屋がある。ティアに聞けば開発ツールの使い方は教えてくれるだろうから、好きに改築してくれて構わない。それじゃおやすみ~」

 クソガキさんはにこやかにエレベーターの扉が閉まるまで手を振って俺を放置した。

「あの人、けっこう適当だよな…。」

 と、ぼやいてみても、誰もいない事務所には振り子時計のチクタクという音が虚しく響くのみだった。

 

 

クソガキさんに言われた6階を訪れた俺は、ただ愕然としていた。事務所は7階、その一つ下の階が俺に与えられたプライベートスペースという事になるが、問題はそこじゃない。

「暗ッ!!!」

 この空間を俺は知っている。電気が無いから暗いわけじゃない。これは、俺がこのハコブネにやってきた時に広がっていた闇の空間だ。

「大丈夫だろうな…床は…あるか…」

 空間はあるが、データ自体が一切無い空間。どんなに叫んでも反響もしないし、どこを照らしてもそこには闇しかない。

 急いで俺は1階まで降りて外からビルの外観を確認することにした。そういえば、昼飯に食べたラーメン屋は一階にあるのか。なるほど。

 じゃない!そうではなく、俺はビルを外から見て窓を数えた。1、2、3、4、5、6……。

 8階建ての雑居ビル。1階のラーメン屋、事務所のある7階、2階~4階も灯りは消えていた。、5階と6階が不自然に光っている。外観から見るとさもインテリアがあるように見える、驚きの手抜き具合だ。

 再びエレベーターに乗り、彼女たちのいる8階を目指す。先ほど見た感じ、まだ起きているのだろう。あそこだけは普通に違和感ない生活光が漏れていたからな。

「ちょっと!!闇空間しかないじゃないですか!!!」

 エレベーターを降りるなり、大声で怒鳴りこむ俺。そこでは寝巻に身を包んだ女子3名が布団で楽しく談笑していた。

「ハトヤマーー。発情期なのは仕方ないですがーー。ノックぐらいはするべきですよーー」

 素っ頓狂な感じで盛大な勘違いをかますユエさん。さらにクソガキさんも

「ほら見ろ、いい年の男子は危険なんだ。」

「…うんうん」

 あろうことか、ツミキちゃんもクソガキさんの言葉を逐一メモしていた。

「何してるんですか…」

 俺は何とか怒りを抑えて彼女たちを問いただす。

「ツミキのーー、コミュ力を鍛えてますー」

「メモは未だに有用な手段なんだ。ティアに頼り切った思考だと脳みそは活性化しないからね」

「…ティアに頼り切らない」

 もはや、怒りも超え虚無の境地となった俺。さすがに疲れたので、俺は「お邪魔しました」と一言告げてエレベーターへと戻る。

「あそこはまだ手がついてない空間だから、好きに改築していいよ。簡単な部屋にするぐらいなら1時間もかからないでできるはずだ」

 クソガキさんは、そう言って何かを俺に投げ渡す。それをキャッチした俺は受け取ったモノを確認する。

「これは…?」

「このフローリングのテクスチャだ。使い方はティアに聞けば教えてくれる。」

「は、あ…。ありがとうございます」

 俺はそう告げると、あの闇の空間に戻り、ティアを呼び出した。

 ――開発ツールを使用しますか?

 はい。と告げた瞬間、俺の手元には様々なツールバーが出現した。なるほど、3Dソフトみたいにイチから作れって事か。

 こう見えて、俺は凝り性なんだ。やってやろう。

 ―――現状のハトヤマさんが作成できる素材は約20GB程度のデータ容量を持つ物質です。

 ティアの助言に耳を貸す。20ギガ?俺の知ってる3Dならそれだけあれば町一個まるまる作ってもまだ余る。

 ―――ハトヤマさんの記憶上の3DCGと、現代のCGは異なります。触感データ、味覚データ、嗅覚データなどの要素が複合的にシミュレートされるハコブネでは、ベッド一つが10GB程度の情報を持ちます。

「ベッド一つに10GB!?」

 誤算だった。確かに、このハコブネに降り立って仮想空間だという実感が持てなかった理由として触覚もそうだが、臭いがあった事が挙げられる。

 事務所にはどこかタバコ臭いような独特の臭いがあったし、スカイスクエアに言った時は酒臭いような、あの都会の喧騒の持つ独特の臭いがあった。

 しかし困った。ベッド一つがそんなに重いだなんて。

 と、思ったが、よく考えてみればこの黒い空間、触った感触がなんというか、無いぞ?

 俺は、虚無の床の手触りを確かめる。何か見えない壁みたいなものというか、形容しがたい感触が伝わってくる。そうだな、麻酔されてるときに触られているときみたいな感覚に近い。

「…もしかして視覚データだけの物体も作れるのか?」

 例えば、この暗闇にハリボテみたいに模様のある床と壁だけを作れば、見せかけだけは何とかなるんじゃないだろうか?

 ―――視覚情報のみのデータは、ハコブネでの生活を行う上で推奨されておりません。

 ティアの回答に、俺は疑問を抱く。別に視覚情報だけでも充分だと思う。現に人間は90%近くを視覚情報に頼っているという話しをどこかで聞いたこともあるしな。

 ―――視覚情報のみのデータを作成すると、脳が少ない情報のみで完結してしまうため、認知力が下がるとされています。

 釈然としないが、なるほど。でも関係ないな。真っ暗な空間で寝起きしてたら、それこそ脳みそが腐ってしまう。少なくとも窓ぐらいは欲しいものだ。

 ―――疑似的な窓であれば比較的軽量に作成可能です。

 よし。

 俺は、学ランの上着を脱いで腕まくりをすると、早速先ほどクソガキさんから頂いたフローリングのテクスチャを敷いてみる事にした。

 空中に手をかざすだけで自由自在に空間を作り替えられるのは、中々楽しいし、まどろっこしい操作を覚えず直感的にツールを使用できるのはありがたい。

 ひとまずは床、壁、天井のすべてをフローリングにして、ティアの助言を頼りに窓を作成した。窓と言っても、壁をくり抜くためにはレベルが足りないらしく、外の風景を疑似的に写した巨大なスクリーンを置いた。と言った方が正しいだろう。

 ――レベルが上がりました。

 一通りの作業を終えると、ティアが急にそんなことを言い出した。レベルってそんな簡単に上がるの??

 ――作成したオブジェクトの種類、情報量が一定値を超えると開発ツールのレベルを上げる事が出来ます。

 ティアの言葉を整理すると、つまりモノを作ればどんどんレベルが上がって好きな物を作れるようになるという事だ。しかし、最初から好き放題に作れるようにしてほしいものだ。

 ――段階的に作成可能なオブジェクトを増やすことが、結果的に操作を覚えるのが早いというデータがあります。

 ――また、レベル性にすることで、ゲーム感覚で開発ツールを使用でき、飽きの来ないシステムになっています。

 要するに、いきなり城を作るとか、超合金を作るとかをやると途中で心が折れるので、ある程度の経験を積めという事のようだ。今俺がやってるのはある種のチュートリアルみたいなものなのだろう。

 また、レベルが上がった事によって、ツールボックスには色々な機能が増えている。なるほど、こうやって順序だてて開発ツールの使い方を覚えて行けるのか。これは確かにありがたい。

 俺はそれから夜通し、部屋の改築に勤しんだ。クソガキさんからもらったテクスチャを見て、他のところからもテクスチャが取れないかとティアに聞いてみたところ、レベル10で解放されるスキャンツールがあれば、テクスチャを色々なところから拾って来れるのが判明した。

 しかし、レベルと言っても、色々な数値がある事には驚く。机を持ち上げて移動しただけで筋力が増量したり、部屋に電気を通しただけで電気系のスキルが解放されたりと、いろいろなスキルやレベルが掛け算的に増えていく感覚は正直インフレ気味とは思いつつも、ワクワクするシステムだ。

 そうして、朝日が差し込む頃、俺のリフォームはひとまず仮完成と言ったレベルに落ち着いた。


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