私は死神さんに入れてもらった(と言っても自分で用意したのだが)ハーブティーを飲みながら、ここで私が行う仕事についての話を聞いていた。
ここに来た時、死神さんにどうかしたのかと問われ、咄嗟に仕事に来たと伝えてしまったからだ。
私は自殺することを止め、もう一度ちゃんと生きると死神さんに宣言した。
なのにそれからたった数日で音をあげたなんて、死神さんには言えなかった。
死神さんの顔を見て気持ちが緩み、ついつい抱きついてしまったけど、私はもう立ち直った人間なんだ。死神さんに甘えてばかりいないで、がんばらないといけない。
じゃないと……死神さんにまで見放されたら、もうどうすればいいか分からない。
彼女から告げられた仕事内容はこうだ。
一週間のうち、何日かこの店に来て、掃除や食器洗い、雑草抜きなどの雑用を手伝うこと。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。報酬は、きちんと定められた額を、時給換算で渡すのだと言う。
「え? でも、ここって時間の流れから離れた場所なんじゃ……」
「それは、人と世界のつながりの中の話です。この店は、誰かが自殺すると、そのつながりの一部を間借りします。その場所では時間の制約はありませんが、普段は現実と同じように、時の流れの中にいますよ」
この通り、と言って、死神さんは、店の中にある掛け時計を手のひらで示した。
確かに、以前見た時とは違い、ちゃんと針が動いている。
「でも、じゃあこの場所って、一体どこなんですか?」
私はハーブティーに口をつけながら聞いた。
「あの世です」
思わず吹き出した。
「結衣さんにしては、珍しく不作法ですね」
「す、すみませ……! え、でも……あの世⁉ 私、いてもいいんですか⁉」
「まあ、特に問題はないと思いますよ」
その、『まあ』と『思いますよ』に、少しばかり引っ掛かりを覚えるけれど、ここは死神さんの言葉を信じることにしよう。
そんなわけで、私の摩訶不思議なアルバイト生活が始まった。
まずはカラスさんが溜め込んだ調理器具や食器を洗うところから始まり、床をホウキで掃いて回る。
死神さんが言うように、ここが現実ではないことは確かだった。
夜中にやって来たというのに、窓からは日差しが差し込んでいるし、以前ここに来た時に歩いた並木通りは姿を消し、辺りは一面、真っ青な空が広がっていた。
店の周囲五メートルほどの空間が、一つの孤島となって空に浮かんでいる様子はとても神秘的で、窓から見えるこの世のものとは思えない景色は、気を抜くと延々に見続けてしまいそうになる。
そんな感動を覚える貴重な経験もありながら、私は黙々と掃除をしていた。
ただただ、一心不乱に、床を睨みつけながら。じゃないと、どうしても嫌なことを思い出してしまう気がして。
「がんばらないと」
無意識に、私はそんなことをぶつぶつとつぶやいていた。
「がんばらないと。がんばらないと」
両親から言われた言葉。クラスメートから投げかけられた言葉。
それらをかき消すように、ホウキを動かす。
「結衣さん。そこの棚にあるお皿を取っていただけますか?」
「はーい!」
私は戸棚を開けて、皿に手を伸ばした。
『なんでこんな普通のことができないの⁉』
両親の言葉が耳元で響いた。
皿を取ろうとしていた手が中途半端な形でぴたりと止まり、傾いた皿は、そのまま地面に落下して盛大に割れた。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて割れた皿を片付け始めた。
何をやっているんだ、私は。
せっかくバイトとして入ったのに、足を引っ張ってどうする。
こんなことじゃ、死神さんにまで愛想をつかされてしまう。
「あらまあ。危ないからカラスさんに綺麗にしてもらいましょう。お皿は自分で取りますから──」
バリン
死神さんは、黙って自分が割った皿を見つめていた。
しばらくして、私達は顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
何を気張っていたんだろう。
死神さんがどういう人なのかなんて、とっくに分かっていたことなのに。
こんなことで怒らないし、私を認めてくれている。
たとえ両親に理解されなくても、私には死神さんという理解者がいるのだ。
「今日はありがとうございました」
仕事が終わり、死神さんは改めてお礼を言ってくれた。
「とても助かりましたよ。結衣さんには、私ができない特別なことができますから」
『なんでこんな普通のことができないの!』
先程とまったく同じことを思い出したのに、その時に感じた不安や悲しみはぜんぜんなくて。
まるで、母から言われた言葉が、死神さんの言葉で上書きされていくような気がして、思わず涙がこぼれた。
「どうかしましたか?」
「なんでもないんです。なんでも……」
とめどなく流れる涙を拭っていると、死神さんは、優しく私の頭を撫でてくれた。
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