食事の時間になり、私はダイニングルームに招き入れられた。
長テーブルが真ん中に鎮座し、奥に暖炉がある。いつかテレビで観た、お金持ちの別荘のようだ。
明かりが蝋燭と暖炉しかない上に、カーテンも閉め切られているので、少し薄暗い。
テーブルに並ぶ食事の数々は、まるで高級レストランに出てくるような、上品なものばかりだった。
この場所に時間はない。
故に食事をとる必要もないのだが、死神さん曰く、『食べないと健康に悪い』のだそうだ。
「これは死神さんが作ったんですか?」
「いいえ。カラスさんがいつも作ってくれるのです」
カラスさんは、皿の上にある脂の乗った生魚を口にくわえながら、つぶらな瞳でこちらを見つめた。
どうやって? と思ったが、それを聞くのは無粋というものだろう。
私は席に座り、死神さんが食事を始めたのを確認してから、一番近くにあったステーキを食べてみた。
おいしい。
肉の脂身が舌の上で溶けていくようだ。脂っこいものが苦手な私だけど、これなら食べられる。
「これ、一体なんですか?」
「それはプトゥレマイコのステーキですね」
聞かない名前だった。
「……プトゥ、なんですか?」
「プトゥレマイコ」
当たり前のようにそう言って、死神さんはプトゥレマイコのステーキを食べている。
その独特で一種異様な名前に、私は嫌な予感がした。
「あの……もしかして、ここの食事って、全部あの世から仕入れているとかって……ないですよね?」
死神さんは目をぱちくりさせた。
「いけませんでしたか?」
思わず吹き出しそうになった。
慌てて口元をナプキンでふく。
「い、いけないというか……。現世の人間があの世のものを食べたらダメなんじゃないですか? ほら、日本神話の黄泉戸喫(よもつへぐい)とか、ギリシャ神話のペルセポネの冥界下りとか」
死神さんは、ステーキをゆっくりと口にいれ、小さく咀嚼しながら、私の方を見つめていた。
「それらの話を考えた方々は、皆あの世に行ったことがあるのですか?」
「……たぶんないと思いますけど」
「なら嘘ですね」
まあ、そうだろうけど。
とはいえ、やはり得体の知れないものを食べるのは抵抗がある。
「あなたからしてみれば、この場所での経験は非常識の連続でしょう。ならそんな場所にいる時くらい、常識という鎖から解放されても良いのでは?」
死神さんの言っていることももっともだ。
非常識な世界にいるのだから、少しくらい非常識な行動を取っても良いだろう。
私は切り取ったステーキをじっと見つめ、思い切って食べてみた。
やっぱりおいしい。このおいしさを味わえるなら、常識なんていくらでも捨てて良いと思えた。
ふと前を向くと、そんな私を見て、死神さんが微笑んでいた。
無防備な姿を見られたかと思うと、にわかに顔が赤くなる。
「……と、というか。死神さん、どれだけ食べるんですか?」
照れ隠し半分、本音半分で、私は聞いた。
死神さんの前には、既に皿が大量に重なっていた。
上品でゆっくりではあるが、決してペースを落とさずに食事を口に運んでいる。
彼女は、永久機関のように動かす手と口をいったん止めると、こちらを見つめながら、ゆっくりと小首をかしげた。
「お腹いっぱいになるまでですが」
彼女は不思議そうにそう言った。
今さら、彼女のずれた発言には驚かない。
常識という鎖を外した私は、素直に「そうですよね」と答えることができた。
◇◇◇
私はベッドの上で目を覚ました。
食事のあと、自分の部屋に戻ってから、そのまま眠ってしまったのだ。
朝、という名称は、この場所では相応しくないのだろうが、とても目覚めの良い朝だった。
うんと伸びをし、一気に脱力する。
窓から差し込む光が眩しい。眠る時にカーテンを閉めておいたのだが、どうやら死神さんが開けてくれたようだ。
学校に行かなきゃとか、起きないと親に叱られるとか、そんなことを考える必要もない。ただそれだけで、あんなに重たかった身体が、嘘のように軽かった。
朝は弱いとずっと勘違いしていたけれど、案外、自分は朝方人間なのかもしれない。
ふと、ドアをノックする音がして、私は死神さんを招き入れた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで」
「それはよかった。ところで、今日はお暇でしょうか?」
この場所で、暇か、と問われて、暇じゃないと答える人はいないだろう。
「暇ですけど」
「では、食事を取ったら、少しお手伝いしていただけないでしょうか」
「……手伝い、ですか?」
唐突に言われたその言葉に、私は思わず首を傾げた。
◇◇◇
私はテラスから、緑豊かな大きな庭を見渡していた。
雑草が生い茂る庭からは、まるで雨上がりのように、土と草の独特な臭いが広がっている。
「これから結衣さんには、ハーブを取ってきてもらいます」
死神さんは、簡潔にそう説明した。
しかし改めて庭を見回すも、それらしいものは見当たらない。
「あの、ハーブってどういうものですか?」
「見つければすぐに分かりますよ」
なにやら意味深だ。
私は仕方なく庭へと降り、ハーブを探すこととなった。
雑草を掻き分けながら、客に仕事を手伝わせるってどうなんだろう、なんてことを考える。
(でも、それも常識か)
死神さんに昨日言われたことを思い出し、私は考えを改めた。
なんだか悪い影響を受けている気もするけど……。
ふと、適当に草を弄っていた手が、それっぽいものを掴んだ。
私は死神さんのいるテラスへ振り向いた。
「死神さーん! これでいいですかー⁉」
「イタイ」
ふと、なにやら、か細い声が聞こえた。
「ん? 死神さん、何か言いましたー⁉」
「イタイ、イタイ」
それが死神さんのものではないことは、すぐに分かった。
なにせその声は、私のすぐ近くから聞こえているのだ。
私はゆっくりと、声の主がいる、自分の手元へ顔を向ける。
私が掴んでいた草が、茎を足にして立ち、実のようなものでできた丸い目で、じっと私を見つめていた。
「イタイ」
草が、私に向けて喋った。
「きゃあああああ‼」
思わず、私は悲鳴をあげた。
「しし、死神さん! 謎の生命体が庭に‼」
「彼女、いたずらっ子なうえにあまのじゃくですから、葉を取るときは注意してください」
そう言って、死神さんは店の中へ入って行ってしまった。
あまりに淡泊な返事に、ぽかんと口を開けていると、ハーブの姿をした謎の生命体に軽く裾を引っ張られた。
反射的に、そちらの方へ顔を向ける。すると目の前に、もじゃもじゃした根っこが飛び込んできた。
思わず目を瞑ると、顔にやわらかい衝撃が走り、私はしりもちをついた。
キャハハハというハーブの笑い声を聞いて、ようやく私は、ハーブにドロップキックされたのだと分かった。
わなわなと、唇が震えているのが自分でも分かる
「ワー」
私の心から込み上げてくるものを察知したのか、ハーブはさっさと逃げていく。
「もう怒った!」
そこから、ハーブと私の鬼ごっこが始まった。
速さ自体はそれほどでもないが、小さいうえに俊敏で、雑草の間に隠れられるとなかなか見つけられない。
それでも腰をかがめ、汗をかきながらけんめいに彼女を追いかける。
ようやく一枚の葉が取れた時、ハーブは既に遊び疲れ、根っこを地面に刺してすやすや眠っていた。
私はあまりの疲労感に、草の茂る土の上に倒れ込んだ。
荒くなった呼吸を整えながら、仰向けに空を見つめる。
思えば、こんなに運動したのは久しぶりだった。
学校もずっと休んでいるし、家にこもって、まったく外に出ない生活をしていたから。
太陽の光を全身で浴びながら感じる、適度な疲労感が、なんだか気持ちよかった。
目を瞑って自然を感じていると、ふいに日光が遮られる。
目を開けると、そこには死神さんがいた。
微笑みながら、こちらを覗き込んでいる。
「お疲れ様でした。早速、このハーブを使ってお茶にしましょうか。きっと、格別な味になりますよ」
そう言って、死神さんは私に手を差し出してくれた。
私はその手を掴み、元気よくうなずいた。
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