死神さんの自殺用品店

死神さんは、自殺者により良い死を提供する
退会したユーザー ?
退会したユーザー

第十六話

公開日時: 2021年2月18日(木) 23:21
文字数:2,796

「はい、これ」


トイレで口を洗い、保健室のベッドに横になっていた私に、男性教師がスポーツドリンクをくれた。


「気分が良くなったら飲んで」

「……ありがとうございます」


私は、少しだけドリンクを口に含んだ。

ようやく、身体の調子も少しずつ戻ってきた。


「自己紹介がまだだったね。僕は東雲薫(しののめ かおる)。少し前から、君の担任になったんだ。よろしくね」

「担任……? あの、前の先生は……」

「学校側が色々と話し合ってね。少し外の目を入れた方がいいんじゃないかということになって、僕が雇われることになったんだ」


うまく言葉を濁しているが、おそらく生徒の自殺未遂が問題になって、教育委員会あたりから派遣されたんだろう。

いじめの実態を調査しようともしなかったこの学校が、そんな殊勝なことを考えるはずがない。


「ご両親には報告していたんだけど、君と面会するのは、もう少し落ち着いてからの方がいいかと思ってね」


私は改めて、東雲先生を観察した。

歳は30代くらい。中肉中背で、清潔感があり、爽やかな印象の人だ。

話し方もおだやかで、女子からの人気も高そうだった。


「……あの、ありがとうございました。介抱してくれたこともそうですけど、床の掃除も、敢えてやってくれたんですよね?」


教師なんだから、汚物の掃除くらい、生徒にやらせることもできた。

でもそうしなかったのは、クラスの人間が私に向ける不満を、少しでも減らすための気遣いだったに違いない。


「こう見えて、掃除がけっこう好きなんだ。仕事で遅い日以外は、毎日掃除機をかけてるくらいだからね」


そう言って、東雲先生は笑った。

良い人だ。薄く微笑みながら、私はそう思った。


「今日はよく頑張って来てくれたね。僕も何人か不登校の子を見てきたから分かるけど、とても勇気のいることだったと思う」

「……そんなの、誰も理解してくれませんけどね」

「心の問題は、周りからは見えづらい。君のことを嫌ったり、君に関心がないわけじゃないと思うよ」

「どうですかね」


私はそっけなくそう言った。

嫌われることを恐れて、優等生の仮面をかぶることの多い私にしては、自然な悪態(あくたい)だった。

初対面の東雲先生に、ずいぶんと心を許しているようだ。


「……真紀は、いじめられてるんですか?」


本当は聞きたくないことだった。

でも、私には、聞かないといけない責任がある。


「一時期、そういう空気があったことは確かだよ。でも今は、特に問題はないと思う。彼女が干渉しなければ、周りも干渉しないという共通認識ができあがったみたいだ。人によってはそれも問題だと言う人もいるかもしれないけど、彼女は一人でいるのが好きみたいだからね」


東雲先生は、前の担任と違って、一人一人の生徒をよく見ている。

彼の認識は、おそらく正しいだろう。


「……なら。今日、私が学校に来た事で、それを壊しちゃったってことですね」


お互いに無視し合うことで成立していた関係を、私が来たことで、無視できないものにしてしまった。

真紀が次のターゲットに選ばれることは、想像に難くない。


「壊れないよ。そのために僕がいるんだから」


その、あまりにも自然に出た言葉に、私は目を見開いた。


「クラスのみんなが、平穏に学校生活を送れるようにするのが、教師の役目だ。もちろん、君もね」


大人から言われる『みんな』という言葉には、ずっと私だけが入っていなかった。

でも、東雲先生の目には、ちゃんと私が見えている。

それがたまらなくうれしくて、私はその時、初めて、自殺しなくてよかったと思えた。




◇◇◇




「なんでこんな普通のことができないの!」


夕食の時間。

私は母にそう言って叱られた。

うつむいて、前を向けない。お腹が空いているはずなのに、胃が痛くて、何も喉を通らなかった。


「先生から電話があったのよ。体調が悪いようだから帰らせましたって。本人が自発的に行きたくなるまで、温かく見守りましょうなんて言われたわ。まるで私が無理やり行かせたみたいに。学校に行くって言ったのはあなたよね⁉ ぜんぶお母さんのせいなの⁉」

「……違います」


か細い声で、私はなんとか、それだけの言葉を絞り出すことができた。


「あなたもなんとか言ってください」


母は、食卓に座る父に声をかけた。


「まあ、時間をかけて行けるようになればいいさ」


新聞を広げて読みながら、そう父は言った。


「そんな適当なことを言って。もう少し関心を持ってくださいよ」

「関心なら持ってるよ。自分の娘のことだぞ」


心外だと言わんばかりに、父は反論する。


「だったら、もうちょっと叱るとかあるでしょ?」


叱ることが前提なの?

そんな反論の言葉さえ口にできないほど、私は疲弊していた。

おそるおそる、父を見る。

父は、ようやく新聞から目を離し、私を見つめた。


「でも、もう治ったんだろ?」


けろっとした顔で、父は言った。

確かにそれは、自分で言った言葉だ。

だけど、それを他人に、あまりにも簡単に言われてしまったことに、ショックを隠し切れなかった。


「……うん」

「だったらもういいじゃないか。仕事が早いからもう寝るよ」


父はそれだけ言って、逃げるように去って行った。


そういうことかと、私は、母の小言を聞き流しながら、妙に納得した。

けっきょく、彼らは私を救いたいわけではないんだ。

学校に行かせるのも、自殺を止めるのも、それが普通のことだから強制するんだ。

そうすることで、何かを考えたり、行動する必要がなくなるから。娘のことについて、思い悩まなくて済むから。自分たちの、普通の生活に戻れるから。

彼らはただ、私に面倒を起こされるのが嫌なだけだったんだ。


私は、もう何度目かも分からない絶望を抱えて、自室へ戻った。

ベッドの上に座り、ボーっとする。

ふと気付いた時、チクリと手に痛みが走った。

見ると、いつの間にか、私はカッターナイフを手首にあてがっていた。


「きゃあ‼」


思わず悲鳴をあげて、カッターを投げ捨てる。

身体がガタガタと震えていた。

怖い。

自分が怖い。

このまま一人でいると、何をするのか分からない。


「死神さん」


ふと出てきた言葉だった。

ハッと顔を上げると、机の上に、小さなハンドベルがあった。

私は慌ててそれを掴み、何度かそれを鳴らすと、壊れるかと思うくらい握りしめて、目を瞑った。


「死神さん。死神さん。死神さん」


まるで呪文のように、唱え続ける。


本当に、こんなことで死神さんと会えるのだろうか。

もしも嘘だったらどうしよう。

そんな不安な気持ちを押さえつけるように、強く強く目を瞑る。


「そんなに強張っていると、顔が歪んでしまいますよ」


ふいに聞き慣れた声がして、私は思わず目を開けた。

ハーブと、甘い薬品の匂いがほのかに香る、自殺用品店スーサイド。

そこに、真っ黒なローブを着た、白い肌の女性が立っていた。


「死神さん!」


私は思わず、死神さんに抱きついた。


「はい。数日ぶりですね、結衣さん」


そう言って、死神さんは微笑み、私の頭を撫でてくれた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート