「生年月日は?」
死神さんの最初の質問は、あまりにも素朴だった。
死紙という仰々しい名前からして、どんなことを聞かれるのかと身構えていた私は、少しだけほっとした。
「2003年4月26日です」
私の言葉通りに、羽根を動かしているのだろう。
カリカリと、小さく心地良い音が聞こえてくる。
「性別は?」
「女」
「ご家族は?」
「父と母の二人です」
「仲はよろしいのですか?」
「……正直、あまり良くありません。特に私が自殺未遂をしてからは、腫物に触る感じというか」
話していると、せっかく忘れていた現実の嫌なことを思い出して、思わず顔をしかめた。
母の私を罵倒する言葉や、自殺に対する偏見を遠慮なくぶつけてくる父を、私は今すぐにでも忘れてしまいたかった。
「質問はさせていただきますが、好きに話をしてくださって構いませんよ」
私の顔色が悪くなったのに気付いてか、死神さんはそう言ってくれた。
五分くらい、沈黙していただろうか。
私は、うつむいていた顔を上げた。
彼女は、小さな微笑をたたえて、私を見つめている。
「……私、死んでもいいですよね」
彼女は答えなかった。
「みんなダメだって言うんです。聞き流したり、答えなかったりするんです。もうそんなのはうんざりなんです。あなたが本当に死神なら、私の質問に答えてください。私は、死んでもいいんですよね」
「それを決めるのは私ではありません」
「じゃあ誰が決めるんですか」
思わず声が大きくなる。
しかしそれでも、死神さんは自分のペースを崩すことなく、ゆっくりと口を開いた。
「あなた自身です」
彼女はそう言って、羽根を置き、ゆっくりとカップを傾けた。
「あなたの命はあなたのものです。その最後をどうするか決めるのも、あなたの自由です。生きる権利があるのなら、死ぬ権利もある。そうは思いませんか?」
「……」
その通りだ。
そう言いたいのに、言葉が出てこなかった。
自殺を認めて欲しいと言いながら、いざ認められると、それは違うと感じてしまう。
死ぬのは卑怯だ。
自分で自分の命を捨てるなんて、恥さらしもいいところだ。
そしてそれを選ぶ自分は、最も弱く醜い生き物だ。
「先程も言いましたが、私はあなたの死をより満足できるものにするように努めるのが仕事です。死に方はもちろんですが、現世への悔いや心残りも、出来得る範囲で取り除きたいと考えております。自殺の目的でないのなら、ご遺族やお世話になった方に、お金による支援をすることも可能です」
「え? お金も払ってくれるんですか?」
「多少、面倒な手続きを踏まなければなりませんが、お客様のご要望とあらば」
私も死にはしたいが、率先して人に迷惑をかけたいわけではない。
できるなら、家族が不幸にならない形で、人生を終わらせたい。彼女に頼めば、その辺りも段取りしてくれるというのなら、至れり尽くせりだ。
「……じゃあ仮に、私が自殺すると決めたとして、あなたはそれをどう思うんですか?」
まるで試すように、私は聞いた。
「それがあなたの意思なら、私はそれを肯定します」
いとも簡単に、彼女はそう言った。
両親も、教師も、カウンセラーの先生やボランティアの人達も。皆が答えに窮し、避けていた言葉を、彼女はまっすぐに肯定した。
「あなたの最後は、あなたが決めていいんです」
自分の手の甲に水滴が落ちて、はじめて私は、泣いていることに気がついた。
涙が止まらなかった。
きっと、ずっと私は、誰かに肯定してもらいたかったんだ。
自殺という行為を通して、自分自身というものを。
「私、学校でいじめられているんです」
私は初めて、自分の心の内を彼女に明かした。
一度話せば、止まらなかった。
「初めは、クラスの友人が発端でした。その子とは親友だと思っていたのに、気持ち悪いって陰口を言われて、グループから自然とのけ者にされるようになって、孤立しました。一度グループから外れると、他のグループに入るのは難しくて、私はいつも一人で学校生活を過ごしていました。でもある日、陰口を言ってくるのが、友人達だけじゃなく、クラスのみんなになっていることに気付きました。気持ち悪い。触ると病気になる。そう言われて……」
一気に話し過ぎたこともあって、一息つくように、黙って俯いた。
「質問してもよろしいでしょうか」
「はい」
「気持ち悪いというのは、一体何が気持ち悪いのですか?」
「……それは、色々……」
私は答えに窮した。
「失礼しました。相手がどう思って言っているのかなんて、本人には分かりませんよね。続けてください」
「そ、それから、男子が私に何回ボールを当てられるかというゲームをするようになったり、お弁当にチョークの粉が入れられていたり、トイレに入ったら上から水をかけられたり。色々あって、自宅で首を吊ろうとしたのを止められて。それからいじめがあったのか調査されることになったけど、結局、分からなかったと言われて。それで、自殺未遂をした話は他の生徒に影響がでるから一切話すなと言われて。話したら退学もあり得ると言われて……。それから何度も自殺を試して……、それから、それから……」
矢継ぎ早に話し、ぽろぽろと涙がこぼれる。
私は涙を拭いながら、顔を俯かせた。
「だから、私はもう死ぬしかないんです。こんな苦しい現実から逃げ出して、楽になりたいんです」
死神さんは、小さく目を細めた。
まるで私の心の奥底を覗き込んでいるようで、緊張して、私は思わず顔を背けてしまった。
「……ご、ごめんなさい。私ばっかり喋ってしまって」
「? どうして謝るんですか?」
心底不思議そうに、死神さんはそう聞いた。
「だ、だって。死神さんにも、質問があるのに……」
「今、あなたの命が最も輝く、あなたの人生の最後を決めようとしているのですよ。あなたの好きなようにすればいいのです」
そう言われて、心が軽くなった気がした。
そうか。好きにしていいんだ。
ちらと私は、窓から見えるけやき通りに目をやった。
「ここは決して人が通ることはありません。安心してください」
どうして彼女は、私の考えていることが分かるんだろう。
死神で、ミステリアスで、非常識で。
私とは何もかもが違うのに、どうしてこんなにも、私の心に寄り添えるのだろう。
「ごめんなさい。あの……質問、してもらってだいじょうぶです」
「そうですか。それでは」
死神さんは、私に多くの質問をした。
「最も幸せだったことは?」という意味ありげな質問もあれば、「好きな色はなんですか?」という、どうでもよさそうな質問まで、色々あった。
そろそろ喋るのにも疲れ始めてきた頃、ようやく長かった質疑応答も、終わりの時間がやってきた。
「それでは最後に」
彼女は、まっすぐ私を見つめて、言った。
「あなたは、どうして死にたいのですか?」
「……クラスでいじめられて。誰も助けてくれなくて。それでもう、早く楽になりたくて。だから死にたいんです」
私は思いの丈を全て吐き出して、小さく息をついた。
これで、やっと自殺できる。そんな安堵も混じったため息だった。
カリカリと流暢に聞こえていた羽根の音が、ぴたりと止まる。
死神さんは、私を見つめた。
じっと私を見つめたまま、すうと息を吸い、口を開いた。
「あなたは嘘をついています」
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