次の日の朝。
私は飽きもせず、再び死神さんの店にアルバイトに来ていた。
休日だったおかげで、両親から小言を言われる心配はなかったが、家でずっと引きこもっているより、死神さんとお喋りしながら仕事をしている方が、ずっとずっと楽しかった。
昨日は一階を掃除したので、今日は二階だ。
昨日と同じようにホウキで廊下を掃いていると、ふいに、死神さんの寝室のドアが開いていることに気付いた。
それを見て、死神さんから、自分の部屋は掃除しなくてよいと言われたことを思い出した。
「……でも、ついでだしな」
そこには、多少の好奇心もあった。
常識に囚われず、ミステリアスなところの多い、あの死神さんの部屋だ。どんな様子なのか、なかなか想像できなかった。
怒られるかな? でも、死神さんのことだから、きっとだいじょうぶだろう。
私は、そっとドアを押した。
ギイィと音をたてて、ゆっくりとドアが開く。
中は、いたって普通だった。
窓が閉まっているため、暗がりで少し分かりにくいが、以前に泊めてもらった私の部屋と、ほとんど変わらない。
ふと、ベッドの側に、倒れた写真立てがあることに気付いた。
「……死神さんが撮ったのかな?」
私は、ゆっくりと部屋の中に入った。
死神さんの、少し独特な臭いが鼻をかすめる。
ベッドの前まで行き、じっと写真立てを見下ろした。
なんだろう。何か、胸がむずむずする。
ただ写真を見るだけなのに、妙に緊張している自分がいた。
ごくりと、喉が鳴る。
私は、おそるおそる写真立てに手を伸ばし──
「そこで何をしているんですか?」
びくりと、私は肩を震わせ、伸ばしていた手を元に戻した。
死神さんは、ドアの前に立ち、ただただ、じっと私を見つめている。
逆光になっていて、死神さんの表情がうまく計れない。
私はドキドキ鳴る心臓を押さえながら、頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 開いてたから、ここも掃除した方がいいかと思って……」
じっと、死神さんは写真立てを見つめている。
その視線から、それが見られたくないものであることが、すぐに分かった。
しかし死神さんは、そんなことはおくびにもださず、にこりと笑った。
「私の部屋は掃除しなくて構いませんよ。それより、少しお茶にしましょう。まだ朝食も食べてないんでしょう?」
「は、はい。そうですね……」
私が部屋から退出するまで、死神さんはその場から動かなかった。
◇◇◇
朝食を食べながら、私はじっと死神さんを観察していた。
彼女はいつもと同じように、淀みなく大量の食事を片付けている。
何をされても眉一つ動かさない死神さんが、写真立てを見ようとしたことに、少なからず拒否反応を示したことが、私には意外だった。
一体、あそこにはどんな写真があるんだろう。誰と撮ったものなんだろう。
やめておけばいいのに、私の頭の中は、そんな興味でいっぱいだった。
「あの……」
「どうかしましたか?」
いつもの死神さんだ。
それを確認してから、私は思い切って聞いてみた。
「あの写真立て……誰かと撮った写真なんですか?」
「ああ……」
そのことかと、死神さんはナイフとフォークを皿に置いた。
「あれは……私にとって、特別な写真なのです」
「特別……ですか」
「はい。元々、あれを撮ったカメラは、自殺用具の一つだったのです。昔は、カメラに撮られると魂を吸われる、と言われていましたから。そんなカメラを、自殺用具としてご所望する方もいたのです」
そんな時代があったのか。
スマホで事ある毎に写真を撮る私世代の人間からすれば、にわかに信じられないことだった。
「あの人は、そんなカメラを使って、記念にと、私と二人の写真を撮ってくれたのです。もちろん、死なないように仕立て直して。これがなかなか大変でした」
当時を思い出しているのか、死神さんは、くすくすと笑っている。
私には見せたことのない彼女の表情に、困惑している自分がいた。
「とても思い出深いものです。あの人との出会いがなければ、きっと私は、ここまで人と向き合おうとは思わなかったでしょうね」
憂いを帯びた顔でそうつぶやく彼女を見て、その人が、死神さんにとってとても大事な人なんだということが分かった。
私は心のどこかで、死神さんについて、ちゃんと理解しているものだと思っていた。
でも、死神さんがどんな人生を送って来て、どんな人を見送ったのか。私は何も知らない。
私は死神さんのことを、何も知らないんだ。
「……あの。その人って──」
チリンチリーン
そんな音がして、私は思わず振り向いた。
ゆっくりと動いていた掛け時計の針が、ぴたりと止まる。
「お客様ですね」
死神さんは、慣れた様子でカウンターの椅子に座る。
私は慌てて隅に移動した。
ガチャリとドアが開く。
ドアから顔を出したのは、どこにでもいるサラリーマンだった。
歳は二十代後半といったところだろうか。優しそうな雰囲気だ。
こちらを見て、朗らかに笑みを浮かべ、ぺこぺこと頭を下げている。
社交辞令だと分かっていても、とても自殺した人だとは思えなかった。
「あの~。すみません。こちら、自殺専門店と書いてあるようですけど、本当ですか?」
まるでセールスの勧誘のように、トーンの高いはきはきとした喋り方だった。
「その通りです。ようこそ。自殺用品店スーサイドへ。よければここで、少しお話を聞かせていただけませんか? あなたの、最期のひとときのために」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!