今日はちょっと肌寒いけど、雲ひとつないいい天気。絶好の散歩日和に、赤ちゃんもご機嫌みたい。
人気も少ない静かな公園、風が葉を揺らす音と噴水の水音がかすかに聞こえるだけだ。
そんないい気分に浸っていたのに、近くから不快なタバコの匂いがしてきた。この公園は禁煙のはずだ。
程なくして、私達の目の前に頭の悪そうなカップルがやって来た。せっかくの気分が台無し。ひとつ文句でも言ってやるか。
「ちょっと貴方達、この公園は禁煙ですよ。赤ちゃんもいるし、火を消してくれない?」
私の指摘に、カップルが食って掛かってきた。私は間違ったことは言ってない、赤ちゃんを守るのは私の務めだ。
「何だおめえ! アンドロイド風情が生意気いってんなよな!」
「ガキのことなんて知らねーよ! 黙ってなよこのアンドロイド!」
この二人、典型的なアンドロイド蔑視の人間だ。全く、何年経ってもこの手の人間は絶えないものだ。
「いいわよ、この映像は記録してるから。このご時世、マナーには厳しいから出るとこ出られたら困るんじゃないの? 今ならまだ火を消してくれれば見逃してあげるけど」
「クッソ……! 本当に生意気なアンドロイドだな! あ゛~ムカつく!」
「ねぇ、そんなにこのガキが大事なら、このアンドロイドに痛い目見せてやろうよ!」
そう言って、女が男に耳打ちすると、男がニヤリと笑い、手の中のタバコを赤ちゃんに向けて押し当てようとしてきた!
「ガキが火傷でもしたらお前は処分されるんだろうから、俺の気も晴れるってもんだぜぇ!」
マズイ! ここまでやるとは思わなかった! こいつらは正真正銘のクズだ!
位置的にタバコを押さえるのは間に合わない! 止めろ! 止めて!
もうダメだと思った。でも、結果的には赤ちゃんが火傷をすることはなかった。
私と男の間を走った、青い疾風。その疾風は、男の手からタバコを奪い取り、背を向けて私達の横に立っていた。
そして、手の中のタバコをグシャリと握り潰し、こちらへ振り向いた。
「一応俺が出てきてみれば、まさか赤ん坊にタバコを押し付けようとしやがるなんてな。全く、お前ら、最低のクズだなあ!」
私はその顔と青い髪に見覚えがあった。いつも朝に挨拶をしてくれる、小さくて可愛いメイドアンドロイド、アミィちゃんだ。
でも、私の目の前にいるアンドロイドから放たれる雰囲気はとてもじゃないけどいつものアミィちゃんじゃなかった。
「な、なななな……」
「は!? 何々!? どうしたの!?」
あまりに突然のことに、カップルは二人とも泡を食っている。そして、アミィちゃんは男の方を睨み付けながら、重く響く声を放つ。
「ああ、お前、どっかで見た面だと思ったら、この前、恭平に蹴りくれたチンピラの一人じゃないか。お前、俺みたいなガキにのされてまだイキってたのか」
「あっ! このアンドロイド、あのときの!」
「何? あんたこのアンドロイド知ってんの?」
私にはもう何が何だか解らない。そんな私を置いてけぼりに、アミィちゃんは更に男を問い詰める。
「お前、確か一発でゲロ吐いて倒れたんだったよな。『やれるもんならやってみろ』みたいなこと言ってなあ! どうだ? ここはひとつリターンマッチといかないか?」
アミィちゃんの顔には不敵な笑みが浮かんでいるけど、目は決して笑っていない。
「俺はいいぜ? さあ! やるのか! やらねぇのか! おめぇも仮にも男ならハッキリしろや!」
「い、いや! 俺はそんなつもりじゃ……」
さっきまでの威勢は何処へやら。男は完全に精神を折られているのが私でも解った。
「おい! 逃げるぞ!」
「え!? こんなチビ、いつもみたいにボコしてよお!」
「うるせぇ! このチビはヤベェんだ! いいから早く来い!」
「ちょっ! 待って! 待ってったらぁ~!」
こうして、カップルは一目散に逃げ出してしまった。この場にはアミィちゃんと私と赤ちゃんだけが残された。
「ふぅ、ビビって退散してくれて助かったぜ。恭平がいないところで喧嘩沙汰はさすがにマズイからな」
そして、アミィちゃんはこっちに向き直って、私に話し掛けてきた。
「おい、リューネ、一応赤ん坊に怪我がないか確認しとけ。お前も赤ん坊に怪我されたら困るのは事実だろ?」
「は、はい!」
私はアミィちゃんに言われるまま赤ちゃんの安否を確認する。幸い、赤ちゃんには怪我はなく、騒ぐことなくおとなしくしている。
「ま、これだけ騒いでも泣かないんなら大丈夫だろうがな」
そして、アミィちゃんは赤ちゃんを一瞥し、かすかに微笑んで、私の方に向き直る。
「あ、ありがとう、アミィ……ちゃん? た、助かったわ。そうだ、何かお礼……」
「いや、お礼は要らねぇや。でも、一つ約束しちゃくれねぇか?」
「約束?」
「ああ、リューネ、今日ここで起きたことは、全部、忘れてくれ」
「忘れるって、どういうこと?」
「言葉のまんまだ。今日お前は俺とは会わなかった、それだけ守ってくれりゃあいい」
こんな強烈な出来事を忘れられるはずはない。第一、私は目の前のアミィちゃんがアミィちゃんだとは到底思えない。
「待って! あなたは本当にアミィちゃんなの? 教えて! あなたは誰なの?」
「まぁ見てな。悪い、そろそろ戻らないとマズイ、それじゃあ、約束守ってくれよ?」
「ちょっと! アミィちゃん!」
その言葉を最後に、アミィちゃんから生気が消えた。そして、数秒後にアミィちゃんの目に光が戻ってきた。
「あ……リューネさん……!」
そしてアミィちゃんは、涙を浮かべながら私に詰め寄った。
「赤ちゃん! 赤ちゃんは!? 火傷しませんでしたか!?」
「ア、アミィちゃん……?」
この反応、明らかにさっきまでのアミィちゃんじゃない。これが、『まぁ見てな』の意味だったのか。
さっきまでのアミィちゃんはアミィちゃんじゃない。それだけは間違いないということだ。
それでも、あんな約束をさせるということは、何か深い事情があるのだろう。
それに、こんなに悲しそうなアミィちゃんを追求なんて、私にはできない。
「どうしたの? アミィちゃん。赤ちゃんはいつも通りよ? それより、アミィちゃんの方が心配よ! 急に倒れたりするものだから、ビックリしたわよ!」
「え? 私、倒れたんですか?」
「そうよ! 急だったから、アミィちゃんの荷物もあっちに置きっぱなしなの。歩ける? アミィちゃん」
「は、はい。大丈夫です。歩けます」
「よかった……それじゃあ、万が一があるかもしれないから一緒にお部屋まで帰りましょうか!」
「は、はいっ!」
…………
これでいい。これが一番この場を丸く治めることが出来る方法だ。結局、あのときのアミィちゃんが何者だったのかは解らなかった。
それでも、あのときのアミィちゃんの気迫はとても忘れることは出来そうにない。今日見たことは記憶の片隅に置いておくだけにしておこう。
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