食事を終えた2人はやがて、樹木の家が集まっている町中を抜けて、小さな山を上った。らせん状に頂上まで続いた道を上っていくと、四角い大きな石があった。家というより、まるで石の箱だ。扉と窓でかろうじて家と判断できる。
銀翼竜は、扉に取り付けられた蝶つがいを「コンコン」と鳴らす。
「ああ、これはこれは銀翼竜さま」
しわがれた声が返って来た。扉を開けると、メアリの腰よりも背の低い老人が杖をつきながら、銀翼竜と自分を交互に見上げた。
「この子は?」老人がメアリを見て尋ねた。
『私の信奉者だ。いま、私のところで世話をしている』
「人間の信奉者は、珍しいこともあるもんですね」老人の視線は、メアリだけに注がれた。メアリはとっさに顔を隠してしまう。
『メアリ。この方はコーマの集落の代表者、ニゾという者だ』
メアリはスカートをたくし上げて会釈をした。ニゾは、握手のために差し出した手を引っ込める。「良いところのお嬢さんなんですね。ささ、どうぞ中へ」気を悪くした様子もなくニゾは、2人を中に入るよう促した。
小さな老人に案内されて、石箱の中に入る。
中央には石のテーブルが置かれ、竈門とベッドがある。ベッドも石製だ。眠りにくいんじゃないだろうか、とメアリは思った。天井からはランプが吊り下げられている。
石の椅子に座る。お尻が痛い。メアリは手をお尻の下に置いて耐えた。
しばらく待っていると、石のカップに入った奇妙な飲み物を、老人は銀翼竜とメアリの2人に差し出した。口をつけてみると、しょっぱさと酸っぱさの混じった、なんとも言えない味だ。
「わざわざおいでいただき感謝いたします、銀翼竜さま」
『礼には及ばない。今回は、こちらの都合によるものだ――メアリ』銀翼竜は横にいるメアリを、促す。『手のケガを彼に見せて』
言われたとおりに、メアリは袖をまくった腕をテーブルに置いた。
腕は先ほどよりずっと腫れている。熱も持ち始めているようだ。指先で触れると熱い。
石のテーブルの上に、メアリは腫れた腕をさしだした。
「なるほど、なるほど……ふむぅ」
ニゾは、触れたりつついたりした後、しばらく奥の部屋にこもった。
そして、草を持ってきて、石と石ですり潰し始めたのだ。
ゴリゴリ、という石が摩擦する音が響き渡る。
そうして完全にすり潰された草を、メアリの腕の患部に塗りたくった。熱さはまたたくまに薄れていき、冷水で冷やしたような心地よさが広がっていく。
「痛くなくなったわ」
信じられないものを見た、というようにメアリは驚きに満ちた声を出した。
「ニゾ、あなた奇跡が使えるの?」
「神の恩恵である奇跡は、魔物には使えませぬ」苦笑しながら、ニゾはメアリに答える。「我ら魔物には魔物の知恵がありますし、人が踏み入らぬこの地には、珍しい薬草なども多く生え茂っておりますので」
『この集落は、ニゾのような薬師が長を務めているんだ』横から銀翼竜が口を挟む。『彼らの薬の知識は、奇跡にも決して引けをとらない。かつてこの集落を疫病が蔓延したとき、救ったのはニゾの祖父君だったね』
「懐かしい話でございます」思い出すかのように、ニゾは顔を上げた。「祖父レゾの在りし日の姿は、私の目標でございます」
『今回は助けられたよ』銀翼竜がニゾの目をまっすぐに見て礼を述べた。『代わりに、私に何かできることはないだろうか。礼をさせてもらいたい』
「実はですね」ニゾは、しわがれた唇を指でなぞりながら言った。「少々厄介な問題が起こってございます。助けていただけないでしょうか?」
『二言はないとも』銀翼竜は力強く頷いた。『詳しく聞こうか』
「はい。最近、集落の住民が森で殺されている事件が多発していまして。どうやら果実などをとりに外に出た住民を見つけては、ヒト族の連中が殺しているようなんです」
『それは捨て置けないね』銀翼竜は応えた。『犯人の風貌は? 教会の者たちなら厄介だ』
「格好からして、冒険者の類かと」
『ギドの街の冒険者ギルドには問い合わせたかい? このあたりの森には、冒険者が入らないことになっているはずだ』
「はい。ですが返答はございません。住民も怯えきっていて、外出する者が極端に減っており、このままでは生活に支障をきたします」
『ふむ』
メアリは、どうしてここに来る途中、自分が注目されていたのかがわかった。住民は人間に怯え、そして憎んでいるのだ。
「どうして、住民を襲うのかしら?」純粋な疑問からメアリが尋ねる。
『色々理由は考えられる。人以外の生き物を一様に悪と断じて殺す者もいるし、単純に皮や肉を売るために殺すこともある。このあたりには珍しい種族も住んでいる。珍しい種族の体は、高く売れるからね』
「ひどいことをするのね」
『多くの人は、そうは思っていない』銀翼竜は再びスープを口にした。『魔物や亜人は悪、と。メアリもそう教えられてきただろう。魔物を殺すことはむしろ正義、と信じる人間も少なくはないのだよ』
たしかにそうだ。修道院では「竜や魔物、亜人は悪。討伐しなければならないし、人とは違うものだ」と教えられてきた。人を襲撃した魔物の報告を聞くたびに、メアリもそう思っていた。
だがこの集落の住民たちはどうだろう。
家を持ち、買い物をして、楽しそうに談笑し、穏やかに暮らしているだけだ。
先ほど食べたラマドの味を思い出す。
その味はメアリが今まで城で食べたどんな料理よりも、温かかった。
ここの住民も人間も、種族以外に大きな違いはないのだ。
彼らを悪と断じて、討伐する名分がどこにあるのだろうか?
人間の社会という枠組みから少し出てみると、メアリの中にあった正しさが、揺らいでくる。
「ファフニールは、人の教えは間違っていると思っているの?」
『正確には、神の教えというべきだろう』銀翼竜は言った。『神は自分の模倣物である人を優遇しているし、人は神の教えに従っている。だが私は、すべての生物が同じだと思っている。その思想の違いで、1000年ほど前に大喧嘩になった。だけどね、メアリ』
銀翼竜は続けて言う。
『大切なのは、“どちらが正しいか”ではなく、“君がどう感じるか”だ。君には契約通り、色々な世界を見せてあげよう。その中で感じる自分の思いを、大切に育てるといい』
メアリは小さく頷いた。
心の中で、銀翼竜の言葉を反芻する。
2人の間に、「すみませんが」とニゾが割って入る。
「問題は、それだけではないんですよ」
『というと?』
「妖霊族の長から報告がございまして。勾玉の祠に、その者たちが徐々に近づいていると」
『なんだって?』銀翼竜の表情が明らかに変わった。
『たしかにそれは不味いな』銀翼竜は立ち上がった。『わかった。この一件は私に任せておくといい』
ニゾは銀翼竜に深々と頭を下げた。
銀翼竜は『ごちそうさま』と器を置き、家の扉を開けて、外に出る。メアリもそれに続く。
「これからどうするの?」メアリは尋ねた。
『メアリは、どうすればいいと思う?』
「わからないわ。妖霊族が絡んでくるとどうしてまずいの? それに、勾玉ってなに?」
『メアリは、妖霊族についてはどこまで知っている?』
「ええっと、死んだ精霊がアンデッドとなって蘇ったもの、だったかしら」
『そうだ。彼らは森の奥深くで静かに暮らしている。彼らが怒ると、まずい』
「どうして?」
『妖霊族は、森で死んだ者の魂をあの世へ導く役割も担っているんだ。彼らが怒ってしまい、役割を放棄してしまうと森の中が死者で溢れかえる』
「恐ろしい話ね」
『そうだろう。そして、勾玉は彼らの宝だ。それが奪われれば、彼らは怒り狂うに違いない。何より、妖霊族の祠には番人がいる。彼の怒りに、人間たちが触れなければいいのだが……』銀翼竜は話を聞く前より早足で、メアリはときおり小走りで彼に合わせる。
「ファフニールの懸念がわかったわ」話を理解して、メアリが強く頷いた。
『では、再び問おう。メアリは、どうすればいいと思う?』
「まずは、彼らのことを知らなければ始まらないわ。森に入った人間たちがどんな連中なのかを突き止めましょう」
『そうだな』銀翼竜が言った。『それならまず、人間の街のギルドに顔を出すとしよう。彼らが冒険者なら、情報を得られるはずだ』
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