■□ ~ヴァン帝国城 合議の間 にて~□■
ヴァルニア大陸の3分の1以上を、ヴァン帝国という人間の国家が占領している。
かつて中央大陸は覇権を争う激戦区だったが、それを制して複数の列強を統一したのが今の帝国だ。
複数の勢力を取り込んだ帝国の力は強大であり、その強大さこそが数百年もの間、国家安寧が続いた所以と言えるだろう。
大陸内にはいくつか小国、それに人以外の種族が住む集落が多数あるものの、それらは帝国に対抗するにはあまりに弱小だし、またその意思もない。
そんな覇者である帝国にも、一つだけ懸念材料があった。
それは、銀翼竜。
帝国を滅ぼせる戦力が自由に大陸内を闊歩しているなど、考えるだけでおぞましい。
これまでの歴史の中で、帝国は銀翼竜の討伐に幾度となく挑戦してきたが、そのたびに返り討ちにあってきた。
帝国にとっては目の上のたんこぶのような存在。
第27代皇帝であるイヴァンにとっても、銀翼竜の存在は頭痛の種だ。
まして今日は、その痛みのみで発狂死しかねないほどの、大きな問題が通例会議に持ち上がったのである。
「……それで?」
会議室に響くのは、皇帝イヴァンの不機嫌で厳しい声。
同じ会議に参加し、顔を合わせている側近の者たちは、いつ彼の怒りが爆発するのかと内心は冷え切っている。文官・武官と関わらず、首筋に刃を突きつけられている気分だろう。
気が気ではない。
それというのも、今朝方、貴族・皇族の女性達が預けられるクレヤード修道院からあがってきた、ある報告が原因となっている。
「銀翼竜はそのまま、第3皇女を拉致し、飛び去っていったとのことです」
文官の報告に、イヴァンの眉間にいっそうのシワが寄ったのは言うまでもない。
報告が寄せられたのは昨日のことだ。
数日前、メアリ第3皇女に銀翼竜が接近し、修道女2名ならびにアルドラゴ家の長女の前で連れ去ったとの報せが、早馬によって届けられた。
修道院によれば、皇女消失地点より半径数十キロに渡って捜索が行われたが、未だにその影は発見できず。今なお皇女の消息は不明とのことだ。
銀翼竜による、明らかな敵対行為。
帝国の歴史の中でも、銀翼竜が皇族を連れ去ったなど、はじめてのことだ。
報せを聞いた諜報部署の文官たちはこの情報をどう扱って良いかわからず、右往左往するうちに時間ばかりが経ってしまい、その動きを不審に思った他部署によってことの次第が発覚した、という経緯がある。
その対応の遅さもイヴァンを苛立たせる要因だった。
「……銀翼竜の意図はなんでしょうか?」参加している貴族の一人が、おそるおそるそう尋ねた。「まさか、営利誘拐というわけでもありますまい」
「銀翼竜の狙いを明らかにすることが先決では?」
「どうやって?」
「報告書には、皇女自らが銀翼竜についていったという見過ごせない文もありますが……」
「――問題は」イヴァンが口を開くと、それまで喧々騒々だった場が沈黙した。
イヴァンはひときわ装飾の施された椅子に深々と腰を掛けて、口を開く。
「いま問題にすべきは、ことの真相ではない。この状況に対し帝国が手をこまねいているなどと、内外に印象づけてはならぬということだ」
イヴァンの懸念はそこにある。
仮にも帝国の皇族が、人類最大の敵である銀翼竜に連れ去られた。
この話はすでに、修道院から教会に流れ、世界中の国々に流れつつある。
第三皇女の拉致だけでも大失態だというのに、今後さらに何の対抗策も打ち出さなければ「帝国は銀翼竜に屈したのではないか」などと余計な懸念を抱く国も出てくるだろう。その裏に「皇女が自らの意思でついていった」などと付け加えられればなおのことだ。
特に、竜に対しての敵対意識が強い聖堂教会や十字騎士団の連中に反感を持たれることは良い結果を生まないことは明らかだ。
かといって、銀翼竜の討伐にもイヴァンは乗り気にはなれなかった。少なくとも、帝国の兵士10万に匹敵する戦力を投入する必要があり、それでもなお討伐できないのが銀翼竜という相手だ。銀翼竜討伐の困難さは、過去の歴史が物語っている。
討伐できない脅威を相手に、兵の消耗は避けたいというのがイヴァンの本音だ。帝国の盤石さは強大さ故に成り立っている。消耗を機に、不穏な動きを見せる領主がいてもおかしくはない。
うまく対応せねば、大きな戦争に発展しかねない。
慎重に対応を決めなければならない。
イヴァンは自らの肩に責任が重くのしかかるのを感じていた。
そんなイヴァンの気苦労など知らず、「銀翼竜討伐の機会を得たと考えるべきだ」と勇んだのは、第一皇子のベジャミンだった。勇猛果敢で、積極的に魔物の討伐や紛争の鎮圧に参加する。武将としても名高い人物だ。
「いえ、兄上。それは早計というものです」異を唱えたのは、武官肌の第二皇子ガナス。考え方の違う2人は、こうして会議の場でも意見が対立することが多い。
「今は、より詳しい情報が入ってくるのを待つべきでしょう」
「そんなことを言っていられる状況か! ことは一刻を争うのだ!」
「静まれ、2人とも」
目下帝国の後釜として注目されている2人の諍いを、イヴァン自らが手で制す。
この対立する2人のどちらを後継者に据えるかもイヴァンの悩みの一つであるが、それは別の話。
目下、銀翼竜への対応をどうするかを早急に決めなければならない。
「策がございます」
悩めるイヴァンに声をかけたのは、宮廷魔術師のメイヤだった。
齢60を超えるローブを纏った不気味な老人に、諸侯達と、皇帝イヴァンの視線が集中する。
「聞こうか、メイヤ」
「銀翼竜の討伐に踏み切りましょう」
「……ほう」
イヴァンはぞり、と顎髭を撫でた。この魔術師が無根拠で策を立てるとは、彼は考えていない。
「情勢もわからぬのか!? 銀翼竜に戦力を投入して、その間の帝国の守りはどうする!?」
「黙っていろガナス。もう1度は言わぬ」皇帝は再びそう諭した。「して、その策の根拠は?」
「巫女の託宣です。異界より、勇者が現れたとのこと」
その言葉に、会議の参列者達がざわついた。
イヴァンはにやりと笑う。
「勇者か。神から力を与えられた、卓越した戦士。なるほど、その話が本当なら、銀翼竜に対抗する手段になり得るだろう」
――竜害あるところに勇者あり。
これはこの世界に古くから伝わる言い伝えだ。
竜が人の世界に災いを招くとき、女神ミスティアは異界より勇者を遣わし、竜討伐に当てるという。
その勇者が降臨したとなれば、今のイヴァンにとってこれほど心強い味方はいない。
「居所はわかっているのか?」
「託宣では、この世界に現れた、とのみ」
「探し出す策はあるか?」
「魔女アルルカを頼るのが得策かと」
「あの曰く付きの魔女を頼れというのか!」と怒鳴り声をあげたのはベジャミン。
「黙れ、ベジャミン」それを制したのはイヴァンだった。
肩を震わせる皇子を放置して、イヴァンは再びメイヤの方を見やる。
「このようなときのために、あの忌々しい魔女を飼っているのですから、使わぬ手はございません」メイヤはそう付け加えた。
「よし」
皇帝イヴァンが頷くと、家臣達が立ち上がる。
「アルルカに、勇者を探して連れて来るよう命じよ。その後は、勇者に同行して銀翼竜討伐に加わってもらう、とな」
「――ただちに」
皇帝の命令により、会議は加速する。
勇者を発見するための情報収集、捜索、手配や検問など、あっというまに段取りが決まっていく。
「それでは皆の者、よろしく頼む」
イヴァンの言葉に全員が立ち上がり、イヴァンの方を見て頭を下げ、右手を胸に掲げる。皇族に対する経緯だ。
イヴァンが会議室から出て行こうとしたところで、ある人物がイヴァンへと声をかけた。
「ところで、陛下。メアリについてですが……」
第二皇女であるアレッタが尋ねる。その名を聞いて、イヴァンは首をかしげた。
「メアリ? 誰の名だ、それは」
「……第三皇女でございます」
「ああ、そんな名前だったな」得心がいったらしく、大して興味もなさそうに手を振り払う。
「本計画に第三皇女の生死は問わぬ。生きていたら、連れ戻した後に自害させよ」
「まだ10にも満たぬ幼子です。陛下、お慈悲を」そう問いかける第二皇女の声を背にし、
「皇族として生きるということは、そういうことだ」
そう呟いて、皇帝イヴァンは退室した。
第二皇女アレッタは、皇帝が出て行く背中を静かに見守ることしかできなかった。
【魔術師】国や領主から認められ、魔術や魔法を国益のために使っている者たち。その術は主に六属性に由来する
【魔女】国や領主が禁忌と定めている危険な術を研究する者たち。多くの場合、発覚した時点で処刑の対象となる。呪術や古代魔術を研究している
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