魔銀のメアリ

青井きりん
青井きりん

11 世間知らず

公開日時: 2021年2月25日(木) 21:35
更新日時: 2021年3月6日(土) 22:59
文字数:4,346

         ■□ ~ギドの街 にて~□■





 メアリと銀翼竜が『ギドの街』に着いたのは、コーマの集落を出てから半日後のことだった。

 ギドの街は、魔物たちの集落であるコーマから西へかなりの距離を行かねばならない。その間にあるいくつもの湿地帯や峠を越えなければならず、並の人間の足でたどり着くには、数週間はかかってしまうだろう悪地にある。

 そんな困難な道のりであっても、銀翼竜の翼であれば超えることはたやすい。

 人の目に入らないよう、雲の中を銀翼竜の背に乗って、瞬く間に魔物の生息範囲を抜けて、人の息のかかった街道へと出る。

 銀翼竜は、人の目に触れることを避けるために街道からかなり離れた谷の中に翼を下ろした。


 その後は、徒歩で移動する。

 街道に出るまで、ひたすら獣道を歩いていると、銀翼竜の方から声をかけてきた。


『街についたら服を買おう』


幼いメアリにとっては、草木は視界を遮るほどの高さになる。それらを掻き分けながら進んでいく中で、着ていたシルクのドレスは泥だらけになり、草木の鋭利な葉で切れてボロボロになっていた。

加えて、修道院から出て今までずっと着ていた服だ。何度か手洗いはしたものの、さすがに耐久性や清潔さで限界がきている。シルクのドレスが、ところどころ泥などで黒ずんでいた。


銀翼竜の提案に、メアリも頷いた。


「けどファフニール。あなた、お金は持っているの?」

『おやメアリ。知らなかったのかい? 竜は金属や光るモノを集めるのが大好きなのさ』銀翼竜はどこかおどけた調子でそう言って、袋をメアリに見せた。袋を揺するとジャラ、と金属が擦れ合う音がする。

 銀翼竜の容姿はすっかり人間らしくなっていた。牙もなければ爪も尖っていない。ぱっと見で、彼を魔物と判別する者はいないだろう。

 服装や立ち振る舞いを見る限り、銀翼竜は相当に人の街になれているようだった。

 ひょっとしたら暮らしたことがあるのかもしれない。


『……ふむ』

「どうしたの、ファフニール」


 街の入り口を遠巻きに眺め、足を止めた銀翼竜に、メアリもまた足を止めて声をかける。

 銀翼竜はメアリの方を見て『君が手配されていないかと思案していたところだ』と唸った。


 ありえない話ではなかった。

 メアリは皇族という立場だ。行方をくらましたとなれば、捜索されている可能性は十分にあり得る。

 だが、この銀翼竜の思案に対してメアリは「大丈夫よ」とだけ言った。


「陛下が、私の捜索に手を回すとは思えないわ」


 メアリは笑ったが、それはどこか寂しい笑い方だった。

 第3皇女という立場であり、母親の後ろ盾も失っているメアリという存在は、帝国にとってそこまで重要ではないのだ。

 第1、銀翼竜が人の姿に化けて、人の街に出入りしているなど皇帝も夢にも思うまい。

 大方、アルギュロスの山にでも潜伏していると思っているのではないか。

 となれば、人の街にまでわざわざメアリの捜索を手配しているとは考えにくい。


 事実、街の入り口を通るとき、銀翼竜は『旅の親子だ』と衛兵に説明すると、メアリについて尋ねられる様子はまったくなかった。貴族らしい高級なドレスをボロボロにしたメアリを見る目は不審だったものの、捕らえようとしている様子もない。

 「ほらね」と目配せをしてくるメアリに、銀翼竜はなんとも言えない気持ちになった。

 色々と質問をしてくる衛兵たちに対し、銀翼竜が何かを手渡すと、突然彼らの態度が変わり、すんなりと銀翼竜とメアリを通してくれた。メアリは銀翼竜がそっと、先の袋から銀貨を取り出し、いくらかを衛兵に渡すのを見ていた。



 街の入り口を通るとき、銀翼竜は『旅の親子だ』と衛兵に説明していた。貴族らしい高級なドレスをボロボロにしたメアリとの二人連れはあからさまに不審がられていたが、突然態度が変わり、すんなりと銀翼竜とメアリを通してくれた。メアリは銀翼竜がそっと、先の袋から銀貨を取り出し、いくらかを衛兵に渡すのを見ていた。


「なぜ、彼らに銀貨を渡したの?」純粋な好奇心からメアリは銀翼竜に尋ねた。

『なんと言っていいのかな……』銀翼竜が困ったように頬を掻く。『本来なら荷物をチェックしたり、メアリのことを説明したりしなければならないのだが。銀貨を渡すことでそれを免除してもらったのだ』

「お金ってそんなこともできるのね」メアリは感心したようにしきりに頷いていた。「てっきり私、物を買うためだけに使うものだと思っていたわ。皇室教師からはそう習ったもの」

『お金は人の社会で色々な使い道があるよ。人に何かをしてもらうときに使うんだ。それこそ、お金を手に入れるために命を賭ける者もいるほどだ』

「そんな大切なものだったなんて知らなかったわ」

『大切にするといい』そう言って、銀翼竜は10枚の銀貨と、3枚の金貨をメアリに渡した。『メアリにも預けておこう。今後、使い方を学ぶといい。この街は良い機会だ』


 そうしてメアリと銀翼竜はギドの街へと足を踏み入れた。メアリにとっては、城下街以外の街を訪れるのは、ほとんど初めてと言ってもよかった。


 さすがに帝国直下の街と比べると見劣りはするものの、そこそこに活気がある。

 行商人が道々で風呂敷を拡げて物を売り、通りかかった人と値段のやりとりをしている。

 道には人が溢れ、せわしなく行き来している。

 まばらに歩く大人や荷馬車を避けつつ、メアリは銀翼竜についていく。


『さて、メアリ』


 ある建物の前で立ち止まると、銀翼竜はメアリの頭をぽん、と撫でた。

 その建物を見るように促され、メアリも目で追う。


 建物の大きさは、メアリの感覚からするとお城の隅にある小さな倉庫ほどもない。

 中には色々な布類が壁と棚に並んでいる。


「この小さな物置はなに? 色々な布が置いてあるわね」メアリは目を輝かせながら銀翼竜に尋ねた。

『物置ではない。仕立屋だ。メアリの服を見繕ってくれる』


 中に入ると、店の奥から中年の太った、愛嬌の良い女性が揉み手をしながら姿を現した。この店の女主人だ。「なんのご用でしょう」と、これ以上ないほどの満面の愛想笑いを浮かべながら尋ねてくる。


『この子に似合う服を見繕ってくれ』


銀翼竜はそう言って、銀貨を数枚、女主人の手に乗せた。女主人は何回かお辞儀をして、メアリの方を最初に見たとき驚いた顔を浮かべたが、一瞬でにこやかな笑顔になり、近づく。


「かしこまりました。さあ、お嬢さま。こちらへどうぞ」


 愛想の良い女主人に手を引かれて連れて行かれる。

 不安げに銀翼竜の方を振り返ると、銀翼竜は縦に頷いた。


『メアリが服を作っている間、私はギルドの方に顔を出してくるとしよう。例の冒険者について、何か情報が得られるかもしれない』


 ギルド。冒険者が集う施設。

 本当はメアリもギルドが見たかったが、自分のボロ切れのような服装と、銀翼竜の好意を無碍にしたくないという理由からおとなしく従うことにした。

 街の服屋に仕立ててもらう服がどのようなものか、純粋な興味もある。

 女主人はメアリの前にいくつの子ども用の服を並べて「こちらの服などいかがでしょう」とメアリに見せてきた。

 メアリは最初、それらを服とはとても思えなかった。

 茶や灰色に近い色の服など、彼女の感覚では考えにくい。さらに装飾や刺繍も一切なく、まるでただの布きれだ。

 これが庶民の服かと思う反面、期待感とのあまりのギャップに肩を落とす。


「あの……もっと良い服はないのかしら?」

「銀貨5枚ですと、このあたりが相場でございます」


 メアリは少し悩む。相場観がわからないためだ。

 庶民の服が本来どの程度の金額なのかを彼女は知らない。

 ただ、外を歩いている人達の中にはもう少し凝った服を着ている者もいたし、せっかく新しい服を着るのだから、やはり自分が気に入ったものが良いという思いもあった。


「あちらの服がいいわ」メアリは店の中をキョロキョロと見渡し、同程度のサイズで女主人から示されたものより少しばかり素材やデザインが良いものを指さした。


「あちらの服はおいくら?」

「あちらの服ですと、少々お高くなってしまいますね」

「お金ならあるわよ」そう言ってメアリは、金貨を取り出して見せた。「これなら、買えるかしら?」

「も、もちろんでございます!」女主人は驚いたように言った。「好きなものをお選びくださいませ」


 十着ほどある服の中からメアリは選び始める。城ではすべて、付き人や使用人がその日のメアリの服を選んでいたから、彼女は自分で服が選べるのが嬉しくて仕方なかった。

 やがて、メアリは「これにするわ」と赤色の服を見繕った。

 ウール生地で作られた赤色のカートルを自分の体に合わせてくるりと回ってみせる。

「とてもお似合いでございますよ、お嬢様」

「金貨1枚でいいのよね」

「はい。頂戴してもよろしいでしょうか」


 袋から金貨を出して、メアリが差し出す。

 女主人がメアリから金貨を受け取ろうと手を伸ばし――その手が途中で止まった。

 つかんだ者がいたためだ。


「子供服に金貨1枚? おいおい。一体いつから、このお店は貴族御用達になったんだい?」


 女の人の鋭い声が、服屋の女主人に向かって批難するように浴びせられた。

 女主人の腕を掴んでいたのは、若くて色黒の精悍な女性だった。体格は細身で長身、しかし鍛えられた筋肉は野生の獣を思わせる。

 肌面積の多い薄い布の下、胸当てや籠手などを装備して体を守っていた。

 そして腰には、2本の短い短剣を差している。


 女性は女主人の手を掴んでキリキリと締め上げた。


「なぁ、教えてくれよ。服1着の値段が金貨1枚なんて、いったいいつからそんな相場になったんだ?」

「そ、それは……」

「街で言いふらしたっていいんだぜ。この店が値上がりしたってな」

「申し訳ありません!」


 女主人が謝罪する。女性が手を離すと、女主人の捕まれていた腕は真っ赤に腫れていた。

「謝罪する相手が違うだろう」と女性が言うと、女主人はメアリに頭を下げ、金貨は受け取らずに銀翼竜が渡した5枚の銀貨から、2枚をメアリへと返した。


「えっと?」


 未だ状況がつかめずにポカンとするメアリに、割って入った女性が、頭を掻きながらめんどくさそうに説明する。


「それが本来の服の値段だってことだ。要するに、カモられてたんだよ、お前」

「カモ……? どういう意味?」

「いいところのお嬢ちゃんか? ったく、これだから」


 シッシッ、とメアリのことを手で追い払う仕草をする。「レディに向かって!」と内心でメアリは激昂した。文句を言おうと口を開きかけたが女性はメアリを相手にせず、女主人の方に向かって、にこやかに微笑みながら肩を組んだ。


「さてと、私の服も見繕ってもらっていいかな。予算は1着につき銀貨1枚ほどだけど、問題ないだろう? なにしろこの店は、貧しい庶民の味方だと今しがた証明されたところだからな」


 女主人が頭を抱えるのを、メアリは遠巻きに見上げていた。

【魔銀のメアリの世界の通貨(ヴァン帝国内部)】


〇銅貨…日本円で100円の価値ほど

〇銀貨…日本円で1万円の価値ほど。平均的な庶民の給料は、月に銀貨10枚ほど

〇金貨…日本円で100万円の価値ほど。

〇白銀貨…日本円で1億円の価値ほど。扱うためには、手続きを踏む必要がある

〇宝貨…価値がわからないほど高い。どんなものでも買えるとされている。

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