後編です。ただ一人生き残ったヴェイグファミリーの男に「役割がある」と告げたノア。彼が男に課す役割と目論みとは——?
二か月も放置されたノアぇ……。
「お前は生かされているのだよ。理解した方が身のためだ。お前には役割があるのだからね」
「……役割?」
「そうだ。お前にはやってもらう事がある。それは――メッセンジャーだ」
「メッセンジャー……だと? 何を企んでる?」
男はノアの意図が分からない。当然ではあるものの、男にとってはただ気味が悪いだけだった。
「ここに足を運んでいたヴェイグファミリーはお前を残して全滅。果ては全員発狂して暴れ回っての事だ。面子は丸潰れだなぁ? お前はその事実を自分の口からボスに伝えるんだ」
「そういう事かよ。随分と捻くれた野郎だ」
「ははは、そいつは褒めてるのかい?」
「はん! 貶してんのさ! 勇者サマがここまでとは、思ってもみなかったよ」
「そりゃ結構なこって。それじゃとっととお家に帰りな」
「へっ、人使いが荒い勇者サマだ。覚えてろ? ここまでやられちゃボスも黙ってはいねえ。俺は始末されるだろうがな、必ず報復するだろうよ」
「捨て台詞はそれだけか? それとも、その台詞が本気で脅し文句になるとでも? 報復が為されたところで何も変わらんよ。マフィアファミリーが一つ消えるくらいだ。分かったなら早く去れ。ボスがお持ちだぞ?」
「ケッ、じゃあな!」
男はそれだけ言うとその場から立ち去って行った。周囲からの視線をどうともせずに堂々と歩いていくその様には、何やら感じるものがある。
ノアは男が会場から去ったのを見届けると、こちらに注目する観客達に目を向ける。
「さてさて、コメデイ・ショーは如何でしたかな? これにてショーは閉幕、お気に召したなら幸いです。では邪魔者もいなくなったのでね、私は彼女を引き取って帰る事にしますよ」
ノアが観客達にショーの閉幕を伝えているうちに司会の男が舞台に現れた。どうやら、知らぬ間にショーが終わっていた事に驚いているようだ。
「もう終わったんですかい? ……うへえ、派手にやったみたいっすなぁ。後始末あっしらでしょうに……」
「やはり不満か?」
「当然でさ。こりゃ一週間は営業できやせんな……」
「それは悪い事をしたな。後で10万ドル送りつけといてやる」
「……そりゃどうも」
司会の男はノアの不遜な態度に少し呆れているようだ。当然と言えば当然である。何せ大事な仕事場を血で汚されたのだ。掃除にかなり時間をかける必要があるだろう。
その損害を金で……まして10万ドル程度で補償になると思っているのだろうか?
司会の男はそんな喉に出かかった言葉を鬱憤と共に飲み込み、厄介ながらも邪険に扱えない困ったお客にお帰り願うために、早くラヴィーネの落札処理を済ませる事を決意するのだった。
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掻き乱された場の収拾に一時間近く使ってしまったものの、特に目立った問題も起きずに落札の手続きを済ませる事になった。
司会の男が怯えた客に事情と状況を説明している間、ノアは静かだった。あの惨状を作り出した張本人がこれ以上目立つのは避けるべきである事を自覚していたのである。
ステージの隅……観客席からは隠された舞台袖の内側で、ノアは壁に体を預けて目を閉じていた。先の嫌な予感に備えるために瞑想をしていたのだ。
瞑想は魔導士の基礎だ。大気に浮遊する魔素に干渉し、己の内に取り込む。その過程は少し複雑だが、経験豊富なノアには関係のない事である。
瞑想をしているうちに足音が近づいてくる。司会の男だった。わざわざ来たという事は、ようやく準備を終えたらしい。
ノアは目を開け、あえて問う。
「どうした?」
男はノアの態度に慣れつつあるのか、特に反応もなく客への説明とラヴィーネの落札準備を終えた事を伝えた。
「かなりかかったな?」
「当然でさ。よくもまあ……あんな惨状を作り出したもんで」
「ははは、お調子者を少し小突いただけさ。ああも怯えられると少し困ってしまうね……」
「はは! 心にもない事を……」
「……まあいいさ。ああ、さっき10万ドルくれてやると言ったが、それに加えて私の使用人を貸そう。では、早く手続きを済ませてしまおうか」
男は笑っていたが、瞳の奥は冷徹であった。どうにも、この小物臭い男は中々に大物らしい。ノアは己の中の人物評価を改めつつ、表へと向かう。
途中、男の怜悧な視線を背中に向けられつつ表に出ると、客席は既に閑散としていた。状況が状況なだけに、今日のオークションはお開きになったようである。
「こっちでさ」
表に出ると男が先導し、ステージの隅にある机や椅子が揃った事務場に案内した。ここで手続きを行うのだろう。
「では、これにサインを」
ノアは差し出された書類にサインして男に返す。これで後は支払いのみである。
「ほら、ちゃんと数えろよ?」
ノアが取り出したのは金貨だった。こういった非合法に近い取引や、王家が何かを支払う場合は金貨や銀貨等の貨幣で清算される。
紙幣や硬貨は多くの場合、国や銀行がその価値を担保する。だが、貨幣は違う。それには金や銀が含まれており、それが貨幣の価値となる。
つまるところ、貨幣は通貨よりも信用があるのだ。マフィアや王家が使う程度には……。
事務員の男が貨幣を数え終わるが、怪訝な視線をノアに向ける。
「あの……10万ドル多いのですが……」
「ああ、ここを荒らした分だよ。後で使用人を貸してやるから、掃除に使うといい」
「はあ、それはどうも……。ではこれで清算完了となります。ナンバー06、落札です。こちらで牢の鍵を開けますね」
「いや、私にやらせてくれ。わがままをいって申し訳ないが……な」
「かしこまりました。では、こちらの鍵をどうぞ」
「すまないね」
ノアは事務員の男から鍵を受け取ると、ラヴィーネの牢にかけられた錠に突っ込んで回す。錠はガチャリと音を立てて外れ、その役割を終えた。
「ほら、こっちに」
「まさか本当に5000万ドル……いえ、5010万ドルも支払うとは……」
ラヴィーネはノアの行動に少し驚きつつ、彼が伸ばした手を掴んで牢の外に出た。用を足す以外の目的で外に出たのはこれが初めてだ。
地下とはいえ、中々に清々しい気分だ。このまま日の光でも浴びてのんびりしたいほどである。
「その価値が……いや、それ以上の価値がある。本来ならもっと出してもいいだろう。相場的にはよろしくないのだがな」
「それは光栄な事ですね。期待には応えたいものです」
「ふふふ、余裕があるのはいい事だ。それをさり気なくアピールするのもな」
「!」
ラヴィーネの強がりから来た軽口は、ノアには見破られたようである。存外、この男を侮る事はいつか致命的な何かをもたらす事になるのかもしれない。
「では、早めに帰るとしよう。もう夕方……16時を回っている。闇夜は恐ろしいものだ」
「……それには全面的に同意します。行きましょうか?」
「ああ。それと、世話になったな」
「全くでさ。あまりこういう振る舞いはよしてくださいよ? それに、隷約の紋は刻まなくてよろしいんで?」
「ああいった事が辛うじて許されるのはこういう場所だけさ。それと隷約の紋は必要ない。ではな」
「ええ、それでは」
ノアはラヴィーネを連れてステージを降り、客席中央にある通り道に差し掛かったところで振り向いた。
「忘れていた。司会、お前の名は?」
「へ? なんであっしの名前なんか聞くんですかい?」
「お前とは浅からぬ縁を感じる。また会う事になりそうだからな」
「……なるほど。あっしはハービヒトでさ。以後、お見知りおきを」
「覚えておこう。では今度こそ。また会おう、ハービヒト」
ノアは少し上機嫌だ。少なくともラヴィーネにはそう見える。ハービヒトが名を名乗った時から……いや、隷約の紋を断った時からか? 彼の名がそんなに気に入ったのだろうか……?
ともかく、目的を果たしたノアと連れられたラヴィーネは、この地下競売会場を後にした。後に残るのは会場の管理人もとい主催するマフィア達のみである。
ハービヒトは開かれたままの入り口をぼうっと見つめていた。その様子を不思議がった事務員の男が話しかける。
「どうしたんです? 貴方らしくもない」
「……お前は気付かなかったのか?」
「? 何にです?」
「二つだ。まず彼は隷約の紋を彼女に刻まなかった。刻む必要がないか、あるいは……もっと強力な何かがあるのか……。次に……」
「? 次に……?」
「……いや、何でもない。彼の事だ、明日か明後日には使用人を寄越してきそうだからな。最低限掃除を済ませるぞ」
ハービヒトは無意識に体を震わせる。彼は確信を得た。……ハービヒトの脳裏には、何故か神や悪魔といった強大な存在らの中にノア・ガルシアの姿があった。
ノアはあくまでも人間。神や悪魔のような存在と同列の扱いはしてはならない……はずなのだ。だがどうにも、神々に対する不敬であると知りつつも、ハービヒトはその想像を忘れてしまう事ができなかった。
「真に才ある者は得てして寡黙である」ものだ。もし彼がそうなら……今回の振る舞いは正解と言えるだろう。そも、仮にもガルシア家の男児だ。例え彼が素の状態であっても敵う事はないだろう。
ある程度は友好的に接した。後は、彼がそれを快く受け取ってくれるのを願うばかりである。
―――
―――
「……ふふふ」
「どうしたのですか? 気でも触れました?」
「まさか! いやね、あの男の事を思い出していたんだ」
「ハービヒトを?」
「ああ、そうだ。あの男、相当のやり手だよ。奴は気付いていた。その上で動き、そして賭けた。ははは! ……お前は愉快で、そして賢しい奴だよ。ハービヒト」
「確かに彼はかなりの大物ですが……」
ラヴィーネは疑問に思う。あの男は……ハービヒトは、このノア・ガルシアにそこまで言わしめる程なのか? だとしたら……彼は――
「――予言しようか、ラヴィーネ。あいつは、ハービヒトは大物だ。いつか……そう、デカい事をやらかすだろう。そしてその時、あいつは一人呟くんだ。『あの時、ノア・ガルシアに対して敵対しなくてよかった』とな」
「彼が……それだけの…?」
「そうだとも。奴に対しては油断できんよ。下手すれば出し抜かれるだろうさ」
ラヴィーネの目に映るノアは、笑っていた。獰猛な笑みだ。死の匂いが漂い、血に濡れた戦場に自ら好んで飛び込んでいく戦士のよう……あるいは、自らをすら狩りかねない強大な”獲物”を見つけた狼のようだ。
その様子はどうにも、ラヴィーネには喜びの発露に見えた。何故かは分からない。ノアは、ノア・ガルシアは寝たきり勇者だ。取るに足らない存在のはずなのだ。だが違う。絶対にだ。
少し前からこうだ。……聡明なラヴィーネには、もう分かった。容易に察せられた。しかし解せない。何故、この男は寝たきり勇者という蔑称を許容しているのか? 何故その蔑称を、汚名を雪がないのか?
貴族にとっては耐えられない屈辱のはずだ。直ぐにでも訂正させたいはずだ。だが……”違う”。こいつは違う。この男は、今まで見てきた貴族とは決定的に違う。
だが……その”決定的な違い”が分からない。この、ノア・ガルシアという男は……沼だ。それも底のない、どこまでも沈む底なし沼。一度囚われれば、後はもう沈むだけだろう。
ラヴィーネは思う。「知りたい」と。今まで見た事のない男に強く興味を持ったのだ。それに……ノアは先程、「ハービヒトはいつかデカい事をやらかす」と言った。しかし、ラヴィーネにはノアが何かを成すと感じた。
それも、ただ”デカい”だけじゃない。世界全体を巻き込んだ大騒動、ノアはその中心にいるだろう。この男について行けば、”いいもの”が見れるかもしれない。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか」
黙り込んだのを不思議に思ったのか、ノアが話しかけてきた。なんでもないと答え、ラヴィーネはノアについて行く。
―――
さて、どれくらい歩いただろうか? 数十分は歩いたはずだ。もう夕日も隠れつつある。静まり返る森を、後少しで出ようとしたところだった。
パパァン!!
ずれた二発の銃声が鳴り響いた。それと同時に、ノアの顔の直ぐそばにあった木に穴が開き、ラヴィーネの足元に土煙が舞う。
「……杞憂で終わってくれれば、どれだけよかったか。襲撃だ、ラヴィーネ。構えろ」
「武器なんて持っていませんよ?」
「お前元探索者だろ。最低限素手での自衛くらいして見せな」
「やはりバレますか。じゃあ、そちらは排除してくれるのでしょう?」
「当然だ」
流石勇者と言うべきか、突然の襲撃にも冷静さを失う事はなかった。むしろ飽きを感じさせる声色だ。当然と言わんばかりにラヴィーネを見極めたかと思えば、今度目を鋭く細めて敵を探る。
……だが、その必要はなかったようだ。何せ、相手が自ら姿を現してくれたのだから。
「よおよお、寝たきり勇者サマよ。わりぃが死んでもらうぜ。ついでに嬢ちゃんもなぁ!」
「自ら姿を晒すとは……頭が回らんようだな? 奇襲におけるアドバンテージをかなぐり捨てるとはね。それにその顔だ。見た事がある。手配中の黒魔導士……名は、グレゴリー・ロドリゲス」
「ハッ! 雑魚二匹だ。ガチになんざなるわけねーだろ? ってーかよく知ってるなぁ?」
敵は木の上から……正確には、木々から伸びた枝の上に立って現れた。両手に持っているのはフリントロック式の拳銃だろうか? 恐らく先程の銃声を鳴らした大本だろう事を察するのは容易だった。
「そりゃあな。それに……雑魚二匹、ね。んじゃあ後悔するといい。お前は相手の実力を過小評価した事でいなくなる」
「いい度胸じゃねえの、クソ餓鬼。いいぜ、ちったぁ遊んでやるよ」
こうして、襲撃者と寝たきり勇者の戦いが始まった――
二か月も遅れたのマジすんませんでした。次回から戦闘に入ります!
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