レベルを上げたい聖女様は、転生ゲーマーの侍賢者と旅をする。

〜ほのぼのレベリング・スローライフ〜
Lucenero L
Lucenero

優しい嘘と、本物の一輪

公開日時: 2021年6月2日(水) 17:24
更新日時: 2021年6月11日(金) 21:27
文字数:3,071

 わたしは目を閉じて、氷の結界に手を伸ばす。

 術式は、人の心がたどり着いた一つの境地。だから、そこに至るまでの過程が、術の中身を作っている。

 心が歩んだ道のりをたどって、優しく解いてあげれば、この結界も解けるはず。

 目を閉じて《心象世界》に入り込んだわたしは、術式を作っている《想念》を手繰たぐる。

 小さい頃の、わたしの知っている臆病で優しい狼雪ろうせつ君が、部屋の隅で膝を抱えていた。



『どうして泣いてるの? 痛いところあるの?』


『寒いんだ。もう感覚がなくなってきたんだ。でも胸の温かいのだけはオレが守ってるんだ』


『そっかぁ。この部屋は寒いから、一緒にあったかいところに出よう。前みたいにお庭で遊ぼう?』


『でも、言うことを聞かないとまた怒られちゃって怖いんだ』



 部屋の外は、うるさかった。はっきりとしない大人の怒鳴り声が響くたびに、部屋の空気が縮こまる。

 これは、小さい頃の狼雪ろうせつ君がそう感じていた、周りの世界に対する感情。

 


『大切な何かを一つだけ守るために、色んなことを我慢してきたんだね』


『そうなんだ。言うことを聞かないとオレは捨てられちゃうから』

 

 この暗くて寒い部屋は、彼にとって唯一の安息の場所なんだって思った。

 結界の要になっているのは、小さい狼雪ろうせつ君の〝怖い〟って気持ち。

 そんな結界を、大事な場所を壊して無理やり出そうとしたら、わたしでも必死で抵抗すると思う。

 じゃあ、どうしたら解けるかな。もっと自然に、外に出たくなるような解き方をしないと。


『いっぱい苦しかったんだね。でも、もう大丈夫だよ。ほら』


 わたしは、部屋の中いっぱいにわたしの大好きな乙女椿の花を咲かせて包み込む。

 部屋の空気は、乙女椿のふわふわして柔らかい花ひらにふれて、温もりを知った。



『冬の頃は硬く閉じた蕾でもね、暖かくなればこんなに綺麗にひらくんだよ』



 大輪の乙女椿の花を一輪、うずくまった彼の胸に当てると、乙女色の優しい光で満たされる。

 うすぐらい部屋の障子が開くと、わたしたちが小さい頃に駆け回った月の宮の庭園が目の前に広がった。



 顔を上げた彼の背中を優しくさすって、『いっておいで』って言うと笑顔を咲かせて子供の狼みたいに、庭園に駆け出していった――



 それを見送った後、ゆっくり、ゆっくり、いつまでも続きます様にって祈りながら、意識を《現象世界》に戻す。

 長いようで、ほんの一瞬の、夢見たいな出来事。時間感覚を少しずつうつつに合わせる。

 

「術、返すね」


 氷の壁は春の日差しに溶かされて、溶けていく。氷属性の念気を水属性にかえて、得意な水の法術を展開する。

 春、雪解けの水が山から流れてくるように、自然ののりに従って特大サイズの『水の御霊』を作り出した。



「『法術・水の大御霊おおみたま』」


 わたしは呟いた。 


 大きな球はゆっくり二人に近づいていく。わたしのレベルじゃこれでも防がれちゃうけど、それでいいの。傷つけたくないし。

 根が優しい狼雪ろうせつ君なら、後ろの女の子を護るために、護障壁シールドを張るはず。

 彼の属性は氷。あの大量の水が凍れば、しばらく追って来れないはずだから、今度こそ逃げよう。



 狼雪ろうせつ君の障壁が完成したのを確認してから、術式の制御を手放すと放水された水は障壁に当たって凍る。

 わたしたちの間には大きな大きな氷の壁ができた。



 よしっ!



 わたしは迷わずに逃げ出して、地面とちゅーをした。

 あれ?痛い。苦い。もう疲れちゃったんだ。



 ……あぁーあーにっがーい。甘煮のお豆が食べたいなぁ。



 ――ちがうちがう!逃げなきゃいけないのは現実からじゃなくて、あの二人からっ!

「お願いっ!力入ってぇ!」

 わたしは足に念気を込めようとペシペシ叩くけど、うまくいかない。



 どうしようって思ったその時、わたしの周りに突然、枝垂れ桜が咲き乱れた。

 あれ?あれ?ここは鬼の国で、鬼の国の桜は蒼白い鬼桜なのに。


 

 その後、キンッという甲高い音がわたしを囲んだ桜のカーテンの向こうから聞こえる。

大きな氷の壁が、斜めに切断されて、上半分が地面に落ちると透明な破裂音と衝撃波が巻き起こる。

 爆風で飛ばされてきた氷のつぶてを、刀一本で全弾切り落とした誰かが、わたしを守ってくれた。



 いっぱい戦ったから、気づいてくれたのかな。

 狼雪ろうせつ君たちの念気の気配が遠ざかっていくのを感じると、わたしは安心して涙がポロポロ流れてきた。



 あ、あれ、おかしーな。泣かないって、決めでだのにぃ。

「ふぅえっっく、ひっく」



涙でにじんで、桜の向こうにいる人影がよく見えない。

 ありがとうって、お礼言わなきゃなのに。

 我慢していた怖かった気持ちがあふれ出して、心のふたが閉まらなくなっちゃった。

 

 

 ヒュッ。風切り音のあとに刀がさやを走って、リンっと納められる音が鳴る。

 枝垂れ桜は優しく、そよそよと揺れると次の瞬間には人影も居なくなっていた。

 まるで幻でも見てるみたい。

 


 わたしは泣いた。

 ポロポロ流れてくる涙の雨を、もう止めなくっていいんだって思ったら、雨のふり出す直前のどんよりした心の雲が決壊したみたいに、止まらなくなった。

 ここにくるまで一人で心細かったし、狼雪君たちにいっぱい痛いことされたし、普段のゆっくりした生活を思うとすっごく大変だった。



 わたしが泣くと、桜も揺れて。

桜が綺麗で、また泣けてくる。

心が揺れると桜も揺れる、寄せては返す感情の波。



 キレイな感情の透明なところと、悲しい感情の冷たさとがよく似ていると思った。



 だからね、そのうちなんで泣いてるのかわからなくなって、理由を探したんだ。

 あぁ、桜がキレイだなぁ。誰かの優しさが、とってもキレイに咲いているんだなって思って、泣き止んだわたしは、ただただキレイな夢を見る。



 桜に手を伸ばしてみても、透き通って触れない。


 これは誰かの優しい幻術うそなんだ。


 中身がなくって、空っぽのきれいごと。


 キレイなだけでからっぽだから、わたしの色んな感情の入れ物になってくれたんだね。

 きっと、そういう術式だ。



 そっと手に取った枝垂しだれ桜のひとふさに、ありがとうって《想念》を込める。

 その中の一輪だけ、うそは本物になった。



 わたしは消えちゃいそうな有難いその一輪を、大切にたいせつに術式で包み込む。

 指輪型の旧式DBiSデバイスを起動してアイテムストレージにしまった。


 そのあとは、しばらくぼーーっとして、わたしはキレイな枝垂れ桜になっていられた。




 戦いが終わって辺りの念気がシンシンと落ち着いてくる。そろそろ自然回復が始まりそう。

 わたしは《心象世界》にある自分の身体の霊名型ひながたに意識を集中させて、怪我した部分と照らし合わせる。



 深く呼吸をして静かな念気を身体にこめていくと、傷ついた身体が元の形に戻っていく。

 枝垂れ桜のおかげでリラックスできているから、いつもより自然回復力が上がっているんだ。



「はぁぁ〜きもちいぃ〜」



 霜焼けた手とか、打撲した肩の当たりがじーんと温まって、光の粒が身体を治してくれる。



 身体は治ったけど、服は汚れちゃったし、お化粧も崩れちゃってるだろうし、この格好で人前に出るのは恥ずかしいなぁ。

 リペアーの生活術式があればいいんだけど。

 今のわたしは新式のDBiSデバイス使って、教会と念波をやり取りすると、位置がバレちゃうからダメって言われてるし。

 


 雪の華家だけでも大変なのに、他の貴族にも居場所がばれたらと思うと……。

 とっても怖くって使えないや。



 こんなことなら旧式のDBiSデバイスにもっと生活術式をDLしておけばよかったなぁ。

 

 わたしは砂ぼこりをパパッとはらって、弔者ギルドのシャワー室に向かうことにした。

 ……でもいったい、誰が助けてくれたんだろー。

 桜と涙の向こう側で刀を振るう後ろ姿は、わたしの中でキラキラした憧れになって残った。



 優しい嘘と、本物の一輪より

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