「もしかして、初めてお越しの方ですか? 見ない顔ですので、よければご案内しますよ」
「えっ。いいんですか!」
親切そうに笑いかけてくれる。
鬼の国って怖いイメージだけど、さっきから親切ばかりで嬉しいなぁ。
「もちろんです。お仕事ですので。こちらへ」
そういって、門を抜けてすぐ右の茂みに入っていく。
「あの、ギルドって向こうじゃないんですか?」
「こちらの方が近いんですよ。ぜひ覚えてくださいね」
わたしは、どこか不安な気持ちを覚えながらも後をついていく。
森に入ると、木々の声が聞こえないシンっとした空気の中で、草の間をぬって奥に進む足音だけが、やけに響いて怖くなってきた。
ちょうど開けた場所に出た時、頭のモヤも開けたみたいに違和感が形になっていく。
やっぱりおかしいよ。さっきは人もいなかったし。方向感覚が掴めなくなってる。
「貴方って本当にトロイわねぇ。こんな簡単に一人になる場所に誘い込まれるなんて」
突然、かけられた声はゾクっとするほど冷たかった。
「えっと、え?」
何かを押さえ込むみたいに急にうずくまって、小刻みに震えている。
どこか痛くしちゃったのかな。
「あの、大丈夫?……ですか?」
「あははは滑稽ね!!……で何それ。少しは自分の心配しなさいよ」
「あ、うん。ありがと?」
「どういたしま……じゃないわ。貴女この状況わかってるの?」
さすがに目を逸らしちゃいけない状況だって思った。
父様から外に出たら警戒を怠らないようにって、いっぱい言われて。
だからここに来るまで、一人にならない様に気をつけてたのに、気が緩んじゃったんだ。
きっと新月派の貴族の人だ。
ちっちゃい頃も何度かさらわれそうになったし、ちょっと外に出ると権力とか、聖女の力とか言うんだもん。
貴族は好きくない。みんなジャガイモになっちゃえばいいんだ。
……わたしも貴族だからジャガイモになっちゃうなぁ。せめて梅干しがいいなぁ。
「ちょっと!なんで口すぼめてるのよ!気持ち悪い」
「えっ。顔に出ちゃってたの……」
「えっ。じゃないわよ。調子狂うわね。いいから早く聖女の思念石をドロップしなさいな」
「わたしニワトリじゃないからそんな卵みたいに産めないよー」
「あっそ。ならミディアムチキンにして取り出してあげるわ」
すごい邪悪なこといってる。なんでレアモンスターみたいに扱われないといけないの。お外怖い。帰りたい。
何で旅しようなんて思ったんだっけ。
聖女って称号に決められた生き方は嫌。
でも、わたしが聖女として生きている意味からもう逃げるのはもっと、苦しい。
わたしの、わたしだけの理由を見つけたい。
――だから。自分の意志で決めた旅は、最期まで自分の足で歩かなきゃ嘘になっちゃう。
「渡さないよっ」
「焦げなさい!」
言霊に乗って炎の念気が高まるのを感じる。ミディアムって言ってたのに焦す気満々だー。
詠唱がないってことはG・Aだよね。
G・Aは《神念》で作られた術式。
だから聖女の加護持ちのわたしに効かないって知ってるはずなのに。
――じゃあこれは囮? 別の攻撃してくるのかな。
何となく、勘だけどそんな気がする。勘は甚だしい力、神様のアドバイスだから、わたしはそれを信じて後ろに跳んで距離をかせぐ。
護らなきゃ!って危機感に従って詠唱する。
「『漫ろ匂ひに酔いしれて 夕に問ひそ誰そ彼 花の護神に依り包』」
詠唱が終わって術を待機させた。
G・Aの炎は、聖女の加護でわたしに届かないけど、視界が塞がる。
――っ!熱の奥から悪寒を感じて、待機させた術式を発動させた。
「月木犀の花護」
わたしの術式が発動すると、あたりには木犀の甘い香りがただよってくる。
炎の幕はわたしに達する前にただの念気に還って無効化されたけど、奥から大きな氷の棘がわたしに飛んできて、びっくり!
護って! びっくりして目を閉じてと念じると、わたしの前に花型の障壁ができて棘はフワッと光の粒に変わった。
木犀の甘い匂いが広がって幸せな気持ちになっていると、木影から出てきた見覚えのある男の子が舌打ちをした。
「ちっ。女の勘は嫌いだ」
「狼雪くん……。また悪口いって、意地悪なんだ〜」
幼馴染の狼雪くんが陰陽師の戦闘衣を着て立っていた。
本気なんだ。本気でやるつもりなんだ。
わたしも、覚悟を決める。まずわたしのレベルじゃ、彼には勝てない。
だから隙を作って何とか人のいる場所まで逃げなきゃ。
「うるさい聖女。今ので眠ってくれれば楽だったものの。とろくさい様に見えて一筋じゃいかないのは相変わらずだな」
「女の子だからって馬鹿にしてると、将来奥さんのお尻の下でぐぇーって泣くことになっちゃうよー」
「茶番はいい。お前には我が雪の華家のための贄になってもらう」
「ちっちゃい頃は仲良かったのに。変わっちゃったね」
「あれは……お前から聖女の思念石を奪う隙を伺っていただけだ」
「わたしが聖女として産まれてなかったら、今も仲良くしてくれた?」
「そもそも関わらなかっただろうな。俺とお前は新月派と満月派で、敵同士だ」
「そっか」
「もう、ここで終わらせよう。こんな無益なことは」
あっ。目が逸れた。彼の感情が一瞬揺らいだのが伝わってきて、わたしは今!って閃きに任せて《神念》を使う。
わたしは信仰の《魂元》に頼って《神念》をいっぱい束ねてG・Aを想起する。
『法術・水の御霊』で水玉を一気に九つ作り出して、二人目掛けてうちはなつ。
重ねて『結界術・朧月』を展開して、わたしの周りは暗雲の結界で囲われて見えなくなる。
すかさず逃げるために駆け出し……あうっ!お鼻っぶつけたっ!
痛くてうずくまると後ろから余裕そうな声が飛んでくる。
「ここに誘い込まれた時点で、逃げ道なんて塞いである。氷牢結界の中で凍えて覚めない夢に惑え」
いたたた。設置型の術式かな。わたしが何か踏んじゃって急に氷の壁ができた。
熱かったり寒かったり忙しい。春なのに。
わたしは氷の壁に触れて目を閉じる。
これはオリジナルの術式だ。《想念》で作られているから加護で無効化できないや。
まだっ!諦めないんだから!
術式を構成している《想念》をよく知って、綻びを探せば術は解ける。
目を閉じて、《心象世界》の次元へと意識を飛ばす。
術式を作る世界観。《心象世界》のなかには、一人部屋が浮かんだ。
寒くてうずくまってる男の子が一人いて、部屋の外からは大人たちの怖い声がする度に、部屋が揺れる。
心臓がびくって跳ねてるみたい。
ひとりぼっちでそれに耐えてる。寂しい。寒い。
わたしはちっちゃい頃の狼雪君に、可愛いお花を渡して大丈夫だよって声をかけてあげる。
「そこまでだ」
っ?!
「あぁっあああっ!!」
いったーーーい!! 手がっ! 手が凍っちゃった!
「この後に及んでまだ小細工とは。芯の強いやつだ」
「ふーーっ!ふーっ!」
心臓がバクバクいってうるさい。急に凍って《心象世界》から引き戻されたからくらくらするっ。
辺りの念気が高まっているのがわかる。術がくる!
「『響け冷狼の音。吹雪け氷雪の……」』
駆ける!わたしは空いている方の手で《想念武装》の小太刀を『詠唱省略』で顕現させながら地を蹴った。
「『きてっ!月鏡刀・琴乃葉月っ』」
言霊を強く唱えて牽制する。なんとか詠唱を止めるために、少しでも心を乱さないと。
わたしが近づくと狼雪君は詠唱を辞めて飛び退る。
あぶなっ!!待機していた女の子が、火炎弾を十数発も飛ばしてくる。さっきの意趣返しかな。
わたしは凍った手の氷と『月木犀の花護』で防いで、ついでに氷も溶かす。
スゴイ勢いのU・Aは、《想念》で練られていて聖女の加護が効かない。
わたしは心の中に意識を向ける。
詠唱で想起した術式『月木犀の花護』の《心象世界》を強く思い描いて、術を維持する。
黄昏を運ぶ甘い風に撫でられて夢心地のなか。
月木犀の木の下で、神様の影を見つけて、甘い気持ちに包まれる心地よさに覚える安心感。
護られているわたし。
「『漫ろ匂ひに酔いしれて 夕に問ひそ誰そ彼 花の護神に依り包』」
すぅーっと、呼吸が深くなる。
吐く息と一緒に、花護は強くなって炎の攻撃を凌いだ。
「『響け冷狼の音。吹雪け氷雪の伊吹。凍える獲物に牙を突き立てろ』」
完成した詠唱もこのまましのいで術を返して逃げきろう。
わたしはもう一度息を吸い込もうとして、止まった。
うそっ!――息が……できないっ?!
そうして気づく。『氷雪の伊吹』の一節で、わたしの術の『風』の《想念》が取られて凍らされちゃったんだ。
詠唱文に出さないように隠していた《想念》だったのに、どうして? これじゃあ風が運んでくる匂いが、花の加護が集まらないよう!
「雪狼術・風牙」
小太刀を杖のように突き出して集めた念気で護心壁を作って、精一杯まもる。
吹雪で手は一瞬で霜焼けるけど、ただよう残り香の花護はかろうじてわたしの身体を護ってくれた。
っ?!肩に衝撃。
攻撃の二段目、氷の牙を象った氷塊を防ぎきれずに、わたしの肩に当たる。
花護で身体を護りながら氷の結界壁まで飛ばされて転がると、わたしの術の護りは切れてしまった。
「あ゛っ!う゛っ!」
氷結界の際まで転がされたわたしの元に、狼雪くんが近づいてくる。
吹雪の中から獲物を見つけた狼が、ゆっくりと近づいてくるのを幻視して、わたしはそっと、祈るように目を閉じた。
あとがき
日本語好きな人向け!詠唱文の解説コーナー
「『漫ろ匂ひに酔いしれて 夕に問ひそ誰そ彼 花の護神に依り包』」
(ふらふらと匂いに酔いながら、夕闇の影に誰か?と問えば、花の護神が寄ってきて、香りに包まれる)
漫ろとは、なんとなく とか 当てもなく 見たいな意味です。
『すずろ』響きが雅ですね。
黄昏の語源は、夕闇の曖昧な人影に「誰そ彼」と問うたことから始まります。
ここで見ているのは、人影ではなく神様の影、つまり御伽世界のことです。
「神様の影」とは、この世界は全て影絵の世界であるという価値観に基づきます。(イデア論(プラトン)や元型論(ユング)と共通認識。)
花の護神に依り包は
「寄り来る」と「〜に依る」という巫女、聖女としての依代の意味と
「によいに包まれる」という情景が架かっています。
総じて
ふらふらと匂いに酔いながら、夕闇の影に誰か?と問えば、花の護神が寄ってきて、香りに包まれる。
といった意味になります。
日本語は美しいですね。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!