わたしは庭園が好き。お庭は人の心の写し鏡だから。
長い歴史を持つわたしの一族はこの月埜木犀宮を受け継いできた。
顔も知らないご先祖さまが残した、見せたかったいくつもの景色をわたしは知っている。
それは魂の残り香。
誰かの愛を花が知っていて、愛をわたしに教えてくれる。
そんな庭園をわたしも愛していた。
だから、見つけてしまったとき、わたしの胸は高鳴った。
祠の奥の隠し扉。そこにあった適正Lv40のダンジョン。
その奥には、誰かが残した魂の風景がきっとある。
わたしは見てみたくなったんだ。
Lv40は大人の証。わたしは16歳で、成人してるけどLv8。
だから今まで、一人前に扱われたことがない。
聖女だから特別に扱われていたって言うのもあると思うんだけど、わたしもそれを良しとして、のんびり好きな庭園で過ごしていた。
他人から大人に見られたいとか、レベルを上げたいって気持ちは、これっぽっちもなかったの。
だけど、あのダンジョンを見つけた時、わたしは自分の心に隠されていた扉も見つけた。
ずっと、見ないふりをしていた外への憧れ。聖女としてのわたしじゃない生き方を選ぼうって、その向こうをみたくなったの。
――春風ふわり。おめかしに使った乙女椿の、慎ましくて甘い匂いが香る。
転送陣からタンッと石畳に降りて、神社の境内に駆け出す。
この一歩。この一歩からわたしは聖女じゃなくて、月乃として歩いて行くんだ。
ずっと、聖女として振る舞って、役割をつとめながら憧れていたお宮の外の世界。
レベルを上げて、もっとスキルを増やして、あの扉の奥のダンジョンに行くの。
すぅーーと、息を吸い込んで胸いっぱいに膨らむ期待を声にする。
「旅に出るよぉーー!いってきまーーすっ」
小高い丘の上にある月埜木犀宮の分宮から見える街並みと、柔らかな青空に、わたしの細い声は溶けてゆく。
視線のさきには、低い瓦屋根の街並みに、高い五重の塔が広い間隔で建っていて、念波塔の役割をしている。
「あ、魂だ」
都市間転送の、定期転送便に乗った霊魂の集まりが、光になって塔から塔へ転送されていく。
その中心にそびえ立つ、大きな大きな世界樹、月の国の中心に向かって、光が飛んでいった。
「わたしも、あれに乗ればいいんだよね。目指すは鬼の国っ!」
国をまたぐ大規模な転送は、世界樹の転送網を使って別の国の世界樹まで飛ぶの。
初めて乗るからすごく楽しみなのと、ちゃんと体の形戻ってくるのか不安なのと、半分半分くらい。
でも、お家の総本宮からこの分宮までちゃんと来れたんだし、大丈夫っ!
わたしは神様に行ってきますってお祈りして、守護獣像のうさちゃんを撫でてから鳥居を抜ける。
目下にあじさい通りの石段。若い葉っぱの茂りだした紫陽花のつやつやが、可愛いくて好き。春って感じ。
「えいっ!」
跳ねた心のまにまに飛ぶ。
ひゅって縮まるお腹。風になびく振袖。落ちていく体。
着地の前に、ゆっくりに落下するようにイメージして〝念気〟を込めて《想念》を紡ぐ。
ふわり袴が空気に膨らむのを、手で抑えて着地する。
また、地面をけって、飛ぶ!って繰り返す。
楽しくて宙で小踊りしてみたりして、あっという間に下まできた。
これくらいなら、もう術式を使わなくてもできるようになったから、お稽古続けてて器用になったなぁって、ちょっと得意気。
神社の鳥居をもう一度抜けて、石畳の竹林通りにでてさっそく困った。
「えっと、どっちだっけ」
街に来るときは、いつもお付きの人が居て、わたしは花とか竹とかばかり見ていたから方向が分からない。
記憶にある草花を目印にしながらお目当ての灯籠をなんとかみつける。
灯籠の形をした転送用のDBiS。ここからいっきに街まで飛ぼう。
DBiSに手をかざすと、水色の仮想ウィンドウに空中に浮かんで、メッセージが出てくる。
『権限 聖女 をオーダーしますか?
オーダー後転送額 1200P→0P』
わたしは慎重に〝いいえ〟を押す。
教会に聖女の使用履歴が残っちゃうと、わたしが別の国に行ったことがバレちゃうから、内緒。
父様から出発前になんども言われた言葉が、耳に残ってる。
『いいね?くれぐれも新月派には気をつけるんだよ。街ではなるべく一人にならないこと。教会にDBiSを繋げないこと』
わたしが八つの頃、聖女の力目当てに新月派の貴族にさらわれて以来、父様は心配を良くする。
あんまりにも心配されるから、わたしは信じてもらえないのかなってさびしくもなった。
頭ではわかってるんだ。わたしが大事だから、護ろうとしてくれてるって。
でも、本当は大丈夫って信じて自由にさせて欲しかったなあ。
「あっ、いけない。ぼーっとしてちゃー」
わたしはDBiSから〝念子通貨〟を支払う。
信仰の《魂元》ボーナスで、600pまで割り引かれた。
システムがどうあってもわたしに優しくて嬉しい。ありがたいなぁ。
転送陣が起動して白くなっていく意識の中で、そう思って笑った。
えっと、五重の塔はどっちかな?
転送されて、方向感覚がよくわからなくなったわたしは屋根まで飛んで、目印を探すことにした。
すると。
「おーい譲ちゃん!街中で空を飛ぶのは辞めたほうがいいぜ!」
おじさんが声をかけてきてわたしは降りる。
「え、悪いことしちゃった?」
「いや、見えちゃうだろおパンツがよ」
お、おぱ??……あっ!
「えっち!」
確かに袴はヒザ丈だけど、スパッツ履いてるから平気だもん!
「ガハハ!ワリィ!りんごやるよ!」
差し出された、変な形の赤い果実。
「りんごに見えないようそれー。食べたら眠って起きれなくなっちゃいそう」
ポコーンッ!と軽快な音。お店の奥から美人な女将さんが出てきて、おじさんを叩く。
あんまりにも叩くのが様になってたから、光ってる頭が木魚に見えてきて、クスって笑っちゃった。
「いでっえ」
「ったくあんたって奴は若い子に見栄なくちょっかい出すんじゃないよ!」
釣り上がった狐目の目尻が、ひゅっと下がってわたしに笑いかけてくる。
なんて変わり身のはやさ!
「悪かったねうちのバカが変なこと言って。この店は不揃いリンゴ売ってんのさ。毒なんか入っちゃないからお食べ」
そう言うと女将さんは、変な形のりんごにナイフを入れて器用に剥いていく。
ひと切れ自分で食べて、ウィンクして見せてくれた。
「いただきまーす」
一口食べると、シャリって音が口の中で弾けて、甘い果汁とりんごの透明な香りが、いっぱいに広がる!
美味しくてうるっと涙が溢れてくる。
「んーっ!美味ひいっ!宝石みたい!」
甘い蜜!キラキラの実!春なのに旬のりんごみたいに生き生きしてる!
「あっはは!嬉しいこと言ってくれるね!こいつらは苦労して育ってきた分、中身が詰まってんのさ。お嬢ちゃんの言うとおり、自然の宝石さね」
店の前には生き生きしてる赤い何かが売れ残ってた。
それを見て女将さんは、美味しいけど売れないのよねぇと、独りごちる。
だって、りんごに見えないもん。食べたら起きれなくなりそうって思ったし。
でも中身は美味しいから、なんだかもったいないなぁ。
わたしは、行き交う人を見て、これからやろうとすることの勇気を、深呼吸で吸い込む。
もう一切れりんごをいただいて、胸に溢れてくる幸せを街頭で叫んだ。
「おいっしいぃーー!」
詠唱の時みたいに念気を込めて言霊に《想念》を乗せた。
あんまり大きな声じゃなかったけど、わたしの声は透き通って喧騒の中に言霊を届ける。
何人か振り向いた人がいて、すかさずわたしはお皿を差し出す。
「食べてみて!宝石みたいですごく美味しいの!」
何人かの人がりんごを摘んで、口々に「うまい!」
とか「ほんとだ!宝石のようだ!」とか、無言でしゃくしゃく食べてたりして、人溜まりができてくる。
女将さんを見ると、驚いて、それからニヤッと不敵に笑った。
なんか、スイッチ入ったのかな。悪い顔してる。
「さぁさぁ宝石りんごお買い得だよぉ!値段は安い!味は上手い!春でも新鮮なりんごはいかがっすかー!」
それからは、お客さんがたくさん来た。
わたしは〝生活術式〟を使って手とリンゴを水で清める。変な形のりんごに苦戦しながら試食用を剥いて、お皿に並べた。
生命力にあふれたりんごは実が詰まってて、触ると元気が出てくる。
女将さんと親父さんは声を張って「宝石みたいなりんご」を何度も推していった。
わたしの作った言霊の《想念》に意乗り合わせる。
それは〝詠唱連結〟と同じ念気の使い方だった。
それも、随分前にわたしが放った言霊を、途切れないように二人で掛け合って繋いでる。
ぴったりの呼吸。むかしは冒険者とかしてたのかなぁ。
良かったね!ってりんごに笑いかけると、艶のなかに優しい微笑みが見えた。
それから小一時間くらいで、お店のりんごは売り切れる。
「やぁー譲ちゃんのおかげで今日の分は売り切れた!まるで空から舞い降りた聖女様みたいだなガハハハ!」
「せ、聖女じゃないデスヨー」
「今代の聖女様は箱入り娘なんだからこんな街中にいるわけ無いでしょうが!」
「……何にもしてくれない聖女さまって、嫌い?」
「何言ってんのさ!祈りは届いているから街も人も賑わっているでしょ!見てみな」
行き交う人が自分のやることを知っている。
目に意思が宿っている。お互いに気を使ってぶつからないように譲り合って歩く姿。
落し物を拾って届けようとしたり、迷子の子供を抱き上げたり。
優しい世界。
わたしは、お祈りの時間が好き。
静かで、深くて、世界の優しさに触れて、神様にありがとうって言う時間が好き。
わたしの好きが、みんなを幸せにしているんだなって思ったら胸の中がぽかぽかして目頭が熱くなる。
それだけでも、外に出てよかったなって思えた。
「あら!どうしたんだい!あの馬鹿の言ったことがそんな嫌だったかい!」
「んえぇ?!すまねぇそんなつもりは……」
「違う、違うの。ただね、なんかこの光景がありがたいなって、そう思って」
今まで周りから、引きこもって、ぐーたらぐーな聖女って思われてると思ってた。
だから、どこかでこんなに幸せで良いのかなって思ってた。
今は、魂が好きだって感じることをもっと愛していいんだなって。
そう思えて、それが嬉しいんだ。
「もう大丈夫!素敵な景色を教えてくれてありがとう!」
「オレっちらこそありがとな!また買いにおいで!」
「わたし旅に出るの!だから帰ってきたらまた来るね」
「ほんとうかい。小さいのに偉いねぇ!」
「背はちっちゃいけど、これでも16よ!」
「あらやだ!そのなりで成人してたのね!尊いわねぇ……。これは旅の選別に持っておいき」
わたしは、〝変な形の宝石リンゴ〟と〝女将さんサンドイッチ〟それと〝上質なリンゴ酒〟を貰った。
「ありがとっ!」
女将さんの手をきゅって握ってお礼する。
「『忘却』」
式句を唱えると、贈り物の形は世界に忘れられて光の粒になる。
そのまま指輪型DBiSのアイテムストレージに、《想念化》した情報をしまった。
「行ってくるね!」
わたしは定期便の時間を忘れていたから急いで走る。
お店が小さくなっても、二人は手を振ってくれた。わたしも振り返す。ここからは、もう振り返らない。
それは旅が終わってからのお愉しみ。
赤いリンゴを見るたびに、今日の温かい気持ちを想い出してまた笑う日々を思い浮かべながら、わたしは世界樹に向けて駈け出した。
世界樹とわたしと赤い果実より。
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