「なあ、おっさん、これ食べてもいいかな?」
「やめろジェイ。あとで金を請求されたらどうする」
「そんなん、報酬をもらったら、はした金だろ」
「金持ちの食い物なんて相場がわからねえ。一口で十万は下らないかもしれねえぞ」
俺がぴしゃりと言うと、しぶしぶジェイは手に持っていた缶詰を棚に戻した。よくわからんラベルによくわからん名称が書いてある。金持ちの缶詰だ。俺は興味本位で冷蔵庫を開ける。生物は数えるほどしかない。いつ電気が止まるかわからないこの状況では懸命な判断だろう。
しかし、新鮮なバターに卵、ベーコンが揃っているその様子に、思わず腹の音が響く。こんなもん見たのはいつぶりだろう。そんな俺の様子を、戸口に立ったシェルと警備ロボットのペアがじっと冷たい目で見つめている。居心地が悪くなり、俺は冷蔵庫の扉を閉めて誤魔化すように声に出す。
「それにしても、立派なキッチンだよな」
今、俺とジェイは「事件現場」の調査中だ。メイドのヨシダは「仕事があるので」と、気味の悪いシェルと警備ロボットを残して去っていった。もし妙な動きを見せれば……ジェイは今にもつまみ食いをしそうな勢いだ……引っ捕らえられるに違いねえ。
それにしても、この厨房の広さには驚いた。調理台は全部で十台。この屋敷が通常通り稼働していた頃はさぞ賑やかだったことだろう。ニノミヤ邸の主人……ニノミヤ・カツルは相当な見栄っ張りだったと聞いている。毎週のようにパーティーでもしていたんだろう。
「で、ジェイ、お前はどこから忍び込んだわけ」
「あそこの窓だよ」
ジェイが指差したのは、一番奥の壁に付いている小窓だった。
「ふむ。子供しか通り抜けられなそうな窓だな」
「おうよ。鍵が空いていたんだ」
「空いてた? 不用心だな。あのヨシダが鍵を掛け忘れたなんて考えにくい。ってこたぁ、お前の前に忍び込んだ奴がいるってことか……?」
「いや、外から入り込んだのは私だけだと思うよ。窓には、かなり砂埃が溜まってた。何年も誰も触ってない感じ。誰かが外からこじ開けたんなら、何かしら跡が付いているはずさ」
「じゃあやっぱり鍵の掛け忘れか……」
「それか、中から開けた奴がいるとか」
「中から開ける? なんのために」
「さあ。外に出るため?」
「おいおい、ここでちゃんと意識がある人間はヨシダだけだ。あとはシェルとロボットだけだぜ」
「んなことわかってる、思いつきで言っただけだよ、バーカ」
「うぜえ」
「うるせえ」
「とにかく、ヨシダに鍵のことを聞きに行くぞ」
俺はいまだに野良犬のように食い物の匂いをクンクン嗅いでいるジェイをひっつかんで、キッチンの出口に向かった。
「ん? あの写真、誰だ」
ジェイが引きずられながら、ある一点を指差した。戸口の近く、食器類が仕舞われている棚の上に写真が立てがポツリと置かれている。
手作りのように味のある木枠のフレームに、貝殻がランダムに配置された不恰好な写真立てだ。その中に収まっているのは、男の子の写真だった。
エプロンをして、両手でピースをして、カメラに向かって満面の笑みを浮かべている。何かを作っていたのだろうか。その手やエプロンは、赤や茶色、白色の何かで酷く汚れていた。机には透明のパックやら何やらが乱雑に置かれていて、工作した後のようにも見えた。
俺はじっと写真を見つめて呟く。
「ニノミヤ・カツルの息子だろ。ヨシダがおぼっちゃんって言ってたし」
「はん。どうりでバカ丸出しな面だと思った。なんの苦労も経験してない笑顔をしてやがる」
「へえ、お前の面はどうなんだ? やましいことがあるからゴーグルなんかで顔を隠してるんじゃないのか?」
「これはプライバシーだ。あんたみたいな野蛮なおっさんに乙女の気持ちが分かるか」
「はいはい、わかったよ。じゃあお嬢さん、参りましょうか」
俺はフレームの貝殻をひと撫でして、写真を棚の上に戻した。
ヨシダは3階にいると言っていたが、どの部屋に居るとまでは明言していなかった。結局、しらみつぶしに部屋を一つ一つ開ける羽目になり、ジェイは文句たらたらだ。
「ったく、無駄に広すぎるんだよ! この屋敷には3人と使用人達しか住んでなかったんだろ? こんなに部屋を用意する必要あるかっつーの」
「ま、噂通りの屋敷だな」
「噂?」
「ああ、そうか、お前はパラダイス前の世界を知らないもんな」
「どーゆうことだよ」
「ニノミヤ・カツルといえば、パラダイス計画に深く関わっていた『ミライ・キラキラテック社』のCEOだ」
「しーいーおー」
「社長の右腕ってこと」
「しゃちょー?」
「うーん……会社ってシステムを説明するのが難しいな……つまりだな、ギャングのボスの右腕だったってことだ」
「なるほどな、理解した」
「んで、ニノミヤはかなりの見栄っ張りだった」
かつての自分……弱小出版社のしがない新聞記者として働いていた頃の記憶が、まざまざと蘇ってきた。
「ニノミヤ・ユミっていう女優と結婚したんだが、これがまあ、メディアで『世界一の美女』として持て囃されていた女でな。ニノミヤはその美女の夫としてのポジションが欲しかっただけで、夫婦間に愛はなかったらしい。妻の方も同じく、ニノミヤを愛していたってわけじゃなく、金目当てみたいだ。なにせ顔はよくても演技はからっきしで、自分が満足する金を得られなかったみたいで」
「ふーん、いい関係じゃねえか。ギブアンドテイクだ」
「でも虚しいと俺は思うぜ」
「あんたは妻と子供を愛していたわけ?」
「そりゃ……そうだよ」
「うえ」
顔を赤らめる俺に苦い顔をしたジェイの頭を叩いて、俺は誤魔化すように次のドアの取っ手を掴んだ。乱暴に開いたその瞬間、おかしな光景に一歩後ずさる。
そこは他の部屋とは一風違った。無機質な金属質の壁に、ツルツルに磨き上げられた床。天井には巨大なライトのような……謎の機械が吊り下げられている。
そして、部屋の中央には。
「……なんだ、これ」
「乱暴に扉を開けないでくれますか」
ヨシダの冷たい言葉が部屋に響く。その背後に、2脚の椅子があった。
そこに、二人の人物が腰掛けている。
「ニノミヤ・カツルと、ユミ……」
「は? あの二人が、ギャングのボスとその妻?」
しかし、よくよく見るとその目は虚ろに空を見つめている。やはり意識はパラダイスに転送されているらしい。通常、抜け殻となった肉体はシェルとして再利用されるが、金を上積みしたら手厚く埋葬してくれるサービスも行われていたはずだった。ニノミヤ夫妻がそれを利用しなかったはずがない、抜け殻だろうと自身の体を奴隷扱いだなんて、彼らなら耐えられないだろう。
「どうして、ここに彼らの体が?」
「戻ってくるからです。月に一度」
「……は?」
「ニノミヤ様は、『パラダイス』と『現実』を行き来することが出来るのです」
「な、何言ってんだ」
そう言ってから、何もおかしなことはない、と俺は気づいた。彼はパラダイス計画の重要役人だ。『こっち』から意識を転送することが出来るんなら、『あっち』から意識を送る技術があってもおかしくない。
「けど……せっかく天国にいるってのに、どうしてこんなゴミ溜めに戻ってくる必要がある?」
「この屋敷を確認するためです。次元が違っていても、ここはニノミヤ様の所有物。屋敷やコレクションが暴徒たちに奪われていないか、また、自身の肉体がちゃんと存在しているか。それを月に一度、意識を肉体に戻して確認されているんです」
「ふん、おっさんの言ってたこと、なんとなくわかったな。見栄っ張りだったっていう」
ジェイが鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。
「つまりこいつらは、自分の持ち物を他に奪われることが嫌ってだけなんだな? それが重要だろうとそうじゃなかろうと関係なく」
「おいおいジェイ」
その通りだぜ! という言葉を飲み込んで俺はヨシダに擦り寄る。金持ちの機嫌を損ねて報酬がもらえないとか、笑えないだろ。
「えーっと冗談だよ、ヨシダさん……」
「ゴマをすらなくても大丈夫です。お二人に今、意識はありませんから」
「あ、そう。ところで、二人の息子は? 彼の体は取っていないのか?」
「おぼっちゃまはこちらに戻ってくる必要はありませんので、埋葬サービスを利用しました。体は、裏庭の墓地に」
「なるほどね。……ちなみに、直近で意識を肉体に戻したのは?」
ヨシダは眉を潜めて、小声で言った。
「……1週間前です」
「ふーん。ちょうど、キッチンが荒らされた時と同じか」
「お二人がキッチンを荒らしたとでも? 私はあの日、ずっと一緒にいましたが、キッチンには入りませんでした。お二人は使用人の仕事部屋にはあまり興味を示さないので」
「なるほどな。……なんで聡明そうなアンタが、キッチンに監視カメラをつけないかわかった」
俺の言葉に、ヨシダは感情の分からぬ瞳で俺をじっと見つめ返した。
「監視カメラの入手には二人の許可がいるんだろ? 当然事件のあらましを、主人に伝えなきゃならない。そしてキッチンを荒らされているとなりゃあ、いくら興味のない使用人の部屋だろうと、あの業突く張りな二人には我慢ならないことだ。当然彼らはこっちの世界に居座ることとなる。アンタはそれが嫌なんだろう」
「何を根拠に?」
「アンタの声色から、アンタがあまりこの夫婦を好きではないということが伝わってきた。俺たちの悪口を制さなかったしな」
「半分当たりで、半分違います」
「おや、そうかい」
「確かに個人的な感情では、私はお二人を快くは思っておりません。私が事件についてご主人様に報告したくないのは、ここをクビになることを恐れているからです。毎週キッチンを荒らされ、おまけにジェイさんの侵入まで許したとなれば、ご主人様は相当お怒りになるに違いありません。私は、ここを離れたら、もう行く当てがないんです」
「まー外は地獄だし、当然だよなー」
ジェイの声が遠くから聞こえてきて、俺は振り返った。
「お前……何やってんだ」
「ううぅ、もふもふキュルキュルで、かぁいいねぇ」
ジェイは部屋のすみにしゃがんで、何やら黒い物体をこねくり回していた。いつも生意気な口調がとろとろに溶けていてキモイ。
「ヨシダさん、あの黒いモフモフは何だ?」
「飼い猫のヨルです。おぼっちゃまの飼っていた猫で……」
「随分大人しいな。あんなに吸われてるのに」
「シェルですから」
ジェイはモフモフに顔を埋めてスゥーと息を吸い、ゲホゲホと咳き込んでやがる。
「は? 猫が、シェル?」
「おぼっちゃまが連れて行くと聞かなかったんです。なのでヨルの意識は今、パラダイスに。抜け殻は、特に指定されなかったので、埋めませんでした。カツル様もユミ様も、この猫の存在すら忘れていると思います」
「ふむ、なるほどな。まあ、だいたいわかった。ありがとな」
「……あなたは、不思議な人ですね」
ヨシダは俺を観察するように、俺の顔をみた。
「飄々としているようで、いつも何かを観察している目をしている」
「まあ、性だよ。昔、新聞記者してたからさ。今じゃ、しがない商店街のオヤジさ」
「商店街……この近くの?」
「そうだ」
「昔、この町が正常だった頃は、よく行っていました。あそこの……」
「果物屋だろう」
「……どうしてそれを?」
「性ってやつだよ」
俺が言うと、ヨシダは初めて小さく笑った。
「あなたなら、この事件を解決してくれそうな気がします」
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