「鍵はしっかりかけた、ね」
ニノミヤ夫妻が「保存」されている部屋を出て、俺は呟いた。
部屋を出る前にヨシダに聞いたところ、毎夜、すべての鍵の戸締まりは欠かさずしているらしい。ではなぜ、ジェイは鍵の空いた窓からここへ忍び込むことができたのか。
「あたし、犯人わかったよ」
ふいにジェイが口をひらき、俺は思わず奴のちんちくりんな顔を見下ろした。
「はあ?」
「ふん、あたしがただ単にキュルモフ猫ちゃんと遊んでいただけだとでも?」
「遊んでただけだろ」
「うるせえ。とにかく、犯人はあのモフモフちゃんだ」
「ヨルか」
「そーだよ」
「証拠は」
「手出せ」
俺が反応する前に、ジェイは乱暴に俺の手をつかみあげた。握手をするように手の平を合わせる。子供特有のフニフニした感触とともに、ざらっとした違和感が俺の肌を伝う。
「この感触は……砂か」
「そ。あのキュルモフちゃん……ヨルは黒猫だから触るまで気づかなかったが、相当汚れていた。細かい砂でな。こりゃ、お屋敷で大事に飼われていた猫の汚れ方じゃない。ヨルは外へ出たんだ」
「しかし、ヨルはシェルだぜ。どうやって自分の意思で外へ出たってんだ? 人間のように『シェル可動首輪』もつけてないんだぞ」
「それは、野生のボンノーってやつだ」
「本能な」
「……ホンノーは、意識に宿るんじゃない。肉体に宿るものだろ。だから、ヨルの意識はパラダイスに間違いなくあるが、残された肉体が求めたんだ。外にでて自由に野ねずみを狩る、本来の生き方をさ」
「まあ、確かにそれっぽい理屈だな。お前にしては上出来だ」
「お前にしては、って何だよ。だいたい、あたしの何を知ってるんだよ、おっさん」
「それもそうだな、お前の言うとおりだ」
ぷんと顔を背けるジェイに、俺は小さく笑いかけた。
「俺はお前のことを何も知らねえ。今の『本能と意識の違い』だって、誰かに聞いた知識だろ。ちゃんと覚えてるってこたぁ、大切な誰かに教えてもらった知識だ」
「……どーでもいいだろ、そんなこと。あたしとあんたは他人なんだから」
「そうだな。金を山分けしたらそれでサヨナラだ」
俺はそう言って廊下を歩き出す。背後からジェイが慌ててこちらを追いかけながら言った。
「おい、これからどうするんだ」
「行くところがある」
「どこに」
「商店街だ。確かめたいことがある」
「確かめるって……なにを」
「ジェイ、お前の推理は半分合っていて、半分間違っている」
「はあ? 犯人が分かったっての?」
「おうよ」
「な」
「お前も俺のコト何も知らねぇだろ? ただの小汚いおっさんじゃない」
立ち尽くすジェイに、俺は振り返ってにやりと笑った。
「俺は腕の良い『ナンデモ屋』だからな」
「おう、デモヤじゃねえか。最近とんと見かけなかったな」
「ミシマヤも元気そうで」
肩にライフルを下げた大男……ミシマヤは相変わらずの大声で言った。つるつるにそり上げた頭が太陽の下で自慢げに光っている。
「今日は何用だ? そうだ、アンタにぴったりな散弾銃が手に入ってな……どれ、試しに一発」
「いや、今日は武器を買いに来たわけじゃないんだ」
そう言いながら、俺はミシマヤの頭上にある看板を見上げた。「武器のミシマヤ」。「武器」の文字は、乱暴に塗られた黒いペンキの上に書かれている。かつて、あの黒いペンキの下に書かれていた言葉を、俺は知っている。
「あんたの所に来た客について聞きたいんだよ」
「客?」
「ああ。長毛種の黒猫なんだが……」
「黒猫ぉ?」
ミシマヤは頭をぼりぼりと掻き、「ああ」、と思い出したように指を鳴らした。
「ああ、来た来た。一週間前、店を閉めようと思ったら変な音が聞こえてな。見たら、黒猫がこの棚をあさってやがったんだ」
ミシマヤは、店の一番隅にある棚をぽんと叩いた。レーザー銃のバッテリーがずらりと並んでいる棚だ。
「やっぱりな……」
「なにがだ?」
「いや、こっちの話だ」
「あれ、お前んちの猫だったのか?」
「いや」
「なら良かった。大事な商品に傷でも付けられちゃたまったもんじゃねえからな。思わず蹴っ飛ばしちまったからよ」
冗談交じりに言うミシマヤに思わず笑った。この店主、顔に見合わない動物好きだ。そんなことをする輩ではないことは俺が一番よく知っている。証拠に、バッテリーの棚の横には、銀色の器にキャットフードの残りかすが入っていた。
と、そこで不穏なオーラを感じ取り、俺は後ろを振り向いた。
「ジェ、ジェイ……」
「よ、よくも……キュルモフちゃんの敵!」
踏み込んでミシマヤに飛びかかるジェイのスカーフを寸でのところでつかみ、なんとかヤツの体を押さえ込んだ。
「おいおい落ち着けって、冗談だろ。ほら、餌付けした跡もあるし」
「ふざけんな、離せ………え? あ、マジだ」
「ったく、この街じゃあ悪態は挨拶と同義だろ。そんなんじゃ残り15年、生きてけねえぞ」
「うるせー!」
ぎゃあぎゃあとわめく俺とジェイの様子を見ながら、ミシマヤがとまどったように言った。
「えっと、デモヤ。そのガキは……」
「あ? ああ……今受けてる案件を一緒に担当してるんだ。ジェイっていう」
「なるほどな。いや、なんか、懐かしくて見とれちまった」
「は?」
「アンタがガキと一緒にいる様子にだよ。ほら、お前もよく、娘とこの店に来てただろ」
そう言いながら、ミシマヤはヨルが漁っていたという棚を見つめた。
「娘の誕生日には絶対にこの棚にあるイチゴを、アンタは必ずひとパック買って帰ってった」
「……そうだな」
「アイちゃんも生きていれば、きっとこんな風に」
ジェイを見ながらそう呟いたミシマヤは急に言葉を飲み込んで、小さく首降った。
「……悪い。つい口が滑った。変なことを思い出させたな」
「いいんだ」
俺は棚を見つめながら、呟くように返した。かつてはイチゴが並んでいたボロボロの棚。その傷の一つ一つ変わらないのに、中に並んだ品物だけが違う。「武器のミシマヤ」、そのつぶされた黒いペンキの下で眠る二文字、「果物」は静かに眠ったまま、きっと二度と姿を表すことはないだろう。
「俺はただ、目的のために金を稼ぐ」
「デモヤ……」
「『殺された娘』に対して父親ができるのは、たった一つだけだからな」
「……そうか」
ミシマヤに別れをつげて、俺は歩き出す。ジェイが数歩送れて跡をついてくる気配がする。
「……おっさん、さっきの話って……」
「何だ?」
「アンタが金を稼ぐ理由って、もしかして、復讐……」
そのとき、女の怒鳴り声とともにガラスが割れる音が響いた、すさまじいビンタの音に、半裸の男が泣きべそを掻きながらボロ屋を飛び出して逃げていく。その騒音に、ジェイの声はかき消された。
「何か言ったか?」
「い、や。何でもない」
「そうか。それじゃあ、ヨシダの所に戻るぞ」
「それってつまり」
「ああ。すべての証拠は出そろった」
タバコの煙を吐き出して、俺は小さく息を吸う。商店街の濁った空気の中に、かつての甘酸っぱいフルーツの香りがかすかに香った気がしたが……感傷に浸る俺の記憶が見せた幻であることは明白だった。
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