ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十八話 ロートル冒険者、飛び込む

公開日時: 2020年9月20日(日) 12:00
文字数:2,911

 足りているか、足りていないか。


 どちらかと言えば、血は足りていた。


 出発するときにクラリッサからもらっていたし、そもそも、血制ディシプリンで消費もしていない。


 だから、エルミアから血を吸う必要はない……とはいえない。


 命血アルケーを補充する余地は確かに存在しているし、この先困難があることは確定しているのだから、血はいくらでも必要だ。


 この点では、エルミアの言う通り。


 では、なぜアベルは戸惑っているのか。


「エルミア……。いいのか……?」


 それが、元妻からの初めての誘いだったからだ。


「どうせなら、初めては花嫁になってから――」

「花嫁じゃないですよ。血の花嫁ブラッド・ブライドですからね!」


 姉に場を譲ったはずのルシェルが、間違えないでくださいと、外野から抗議。分かっているのかいないのか。クルィクも吼えて追随する。


 そちらをちらりと見やったエルミアは、訂正しつつ続ける。


「初めては、血の花嫁ブラッド・ブライドになってからと思っていたのは事実だ」

「だったら――」

「だが、悔しいではないか」


 そう言って、エルミアはアベルに抱きついた。


「おおふ? 一体、なにが始まるです!?」


 ローティア外野の反応など気にせず、アベルの胸に顔を埋めながら、エルミアはぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「別に焦る必要はない」

「ああ」

「これが最後というわけでもない」

「それは約束する」

「私だけ仲間外れというわけではない」

「もちろんだ」


 顔を上げたエルミアの笹穂型の耳は、真っ赤に色づいていた。


「だが、自分が抑えられなかったのだ」


 血を吸って欲しいという願いと、断られるかも知れないという憂慮。

 それがない交ぜになった瞳で、エルミアはアベルをじっと見つめる。


「だから、ルシェルではなく、私の血を吸って欲しい」


 哀願。


「なんで、血を吸われるのを競っているです?」

「ふっ。驚いたか? 余も、この点だけはアベルを認めねばならぬ。この点だけはな」

「なんで、そこだけそこまで強調する必要があるのです?」


 決して他人からは理解されないだろうが、エルミアは真剣だった。


 それを無下にするほど、アベルは冷淡ではない。


「もう、了解は取らないぜ?」


 エルミアを抱き寄せ、背伸びをさせ、アベルは首筋に顔を埋めた。牙が疼く。こうまでされて、我慢ができるはずがない。


 男らしいアベルの強引さに、エルミアの胸が高鳴った。


 これでも、元夫婦だ。

 人目のあるところでではないが、今より大胆なことをしたことはある。当然だ。


 だから、新鮮な驚きというわけではない。


 熾火のように、炎は出ていなかった。そんな二人が、一気に燃え上がった。

 例えるなら、そんな状態。


「アベル……」


 名を呼ばれても、アベルは返事をしない。

 先ほど了解を取らないと言ったとおり、アベルは疼く牙を伸ばして、エルミアの白いうなじへ突き立て――ようとした、寸前。


「……すまない、アベル」


 当のエルミアから、拒絶された。

 アベルの腕の中から身をよじって出ると、エルミアは自分でも信じられないという顔を浮かべている。


「……エル?」

「すまない。私のわがままだった。どの程度効果があるか分からない私の血よりも、ルシェルの血を吸ったほうが確実だろう」

「あ、はい? 私ですか?」


 突然名前を呼ばれたルシェルは、驚きながらも、アベルへととっと足音を立てて近寄っていった。


「姉の代わりに妹を手込めにするなんて、義兄さんもやりますね!」

「いや、別にショックとか受けてないんで、気にしなくて大丈夫だぞ?」


 確かに、ショックというわけではない。

 吸血鬼ヴァンパイアの牙を忌避するのは、当然のこと。


 むしろ、エルミアの急激な心境の変化のほうが心配だ。しかし、確かめるには時間が足りない。戻ってから、ちゃんと話し合う必要がある。


 そのつもりはなかったが、これは絶対に死ねない。


 改めて、そう決意しつつ、アベルはルシェルから血を吸った。





 次元航行船プレインクラフトは、内部まで黒かった。


「スティールツリーという、鉄の強度を持つ木で作られているですよ」

「その木の色が黒ってことか」


 コフィンローゼスを担いだアベルが、ローティアの先導を受けて船内の通路を進んでいる。

 船の中だというのに、エレメンタル・リアクターが暴走している様子は感じられない。変わっていることと言えば、斜めになっていて、上り坂のようになっている程度だ。


「今はまだ次元隔壁が働いているので、こっちに影響はないのですよ」

「よく分からないけど、館でクルィクと遊んでも、ファルヴァニアの家に影響が出ないようなものか」


 つながってはいるが、閉ざされている。


 その状況は理解したが、そんな備えがあるということは、エレメンタル・リアクターというマジックアイテムの危険度を示しているのではないか。


 そんなことを考えていると、ローティアが止まった。両開きの、3メートル程度はある大きな扉の前で。


「この先が、エレメンタル・リアクターになります。アベルさん、準備はよろしいですか」

「ああ。大丈夫だ」


 エルミアとルシェル。それに、マリーベルとクルィクは船の外。

 ここにいるのは、ローティアとコフィンローゼス――スーシャだけ。そして、この先、一緒に行くのもスーシャだけだった。


 当初、アベルはコフィンローゼスだけ持って行くつもりだった。


『それでは性能を完全に発揮できない ご主人様が危険』

『だからって、一緒に行って共倒れなんてしたら目も当てられねえだろ』


 しかし、スーシャが反対した。


『違う 一緒に行って一緒に生き残る そのため』


 真剣で真摯。

 普段とは違う。というよりも初めてのスーシャに、アベルは折れた。


 どちらにしろ、スーシャが自分で出てきてくれないと、どうしようもないのだ。


 そして、表面上は普段通りのエルミアに、少しだけ心配そうなルシェル。いつも通りのマリーベルを残して、次元航行船プレインクラフトに乗り込んだ。


 寂しそうに遠吠えするクルィクに最も後ろ髪が引かれたのは、誰にも言えない秘密だ。


「アベルさん、よろしくお願いします」

「ああ。任せてくれ」


 ローティアが大きな扉を開くが、その向こうには虹色の光が渦巻いているだけだった。

 館に行くときの扉と同じで、アベルはむしろ安心する。


「アウェイク」


 コフィンローゼスが起動し、茨の鎖がアベルの腕に絡みつく。


「エルミアたちをよろしくな」


 そう言い残して、アベルは次元門ゲートに飛び込んだ。


 軽い酩酊感。

 その程度であれば、慣れっこだ。


 即座に復活したアベルの目の前には、だだっ広い空間が広がっていた。床はあるようだが、天井も壁も見えない。


 その空虚な空間に吹いているのは、砂礫の混じった、熱風の嵐。


 扉の周辺だけは、安全が確保されているようで直接の影響は受けないが、轟音と熱は感じられる。


 恐る恐る風へ手を伸ばすと、あっさりと指先が切れて血が舞った。事前に、ルシェルから呪文をかけてもらっているのに。


「やべえな、これ」


 傷は浅い。一瞬で治った。もう、痛みもない。

 しかし、これが続くかと思うと……。


『ご主人様すごい先が楽しみすぎ』

『……始めて、スーシャのこと尊敬しかけたぜ』

『それ結局尊敬してない ご主人様どういうこと』


 アベルは説明しない。

 説明しなくても、自明だからだ。


『ただ、頼りになるなとは思ったぜ。素直に』

『大いに頼ってご主人様』


 コフィンローゼスを前面に押し立て、アベルは源素の渦動へと飛び出した。

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