ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十五話 ロートル冒険者、襲撃を受ける

公開日時: 2020年9月6日(日) 00:00
文字数:3,358

 夜明け前に、なんとかアベルは宿へと帰り着いた。


 マリーベルは穴蔵よりましな程度と言っていたが、完全フリーパスな洞窟とは違い、部屋に入るには主人をたたき起こす必要があった。


 迷惑料として50Rラーシアほどの銀貨を握らせ――結果として、アベル自身の罪悪感を軽減させる効果もあった――着替えもせずベッドに倒れ込む。


「なんか、すげー働いた気がするぜ……」

「うむ。現金収入は、馬券だけじゃがな」

「言うなって」


 なぜ、人は太陽を直視しないのか。


 眩しすぎて、目が潰れてしまうから。


 なぜ、アベルは現実を直視しないのか。


 そんなことをしたら、様々な物に押しつぶされてしまうから。


 本質的に両者に違いはなく、人間である以上は仕方がないことなのである。


「もう、日が昇る。我ら吸血鬼ヴァンパイアにとっては休息の時じゃ」

「ああ。遠慮なく寝かせてもらう……ぜ……」


 自然と、まぶたが落ちる。

 アベルは抵抗せず、意識と体を闇へと手放す。


「まあ、相変わらず思考がクズっぽいのはあれじゃが」

「その一言、別に要らなかったよな!?」


 アベルが夢の国へ旅立ったのは、それから少ししてからのことだった。





「んっ、ああ、あああ……」


 うめきとうなりの中間ぐらいの声をあげつつ、アベルの意識が浮上していった。


 同時に、記憶の整理が行われていく。


 ここは、いつもの宿。

 大森林から帰って、夜明け頃、眠りについた。

 ランド・ドレイクを一蹴し。

 いい酒を飲んで。

 競技場では大穴を当て。

 日の光を浴びて気絶した。


 それも、全部、吸血鬼ヴァンパイアになったせいであり、お陰。


 そう。吸血鬼ヴァンパイアに。


 そこまで思い出したアベルは、現実に立ち返って跳ね起き……たりはしなかった。


 もちろん重要だが、今さらどうしようもない。


 少なくとも、安眠を打破する理由にはならない。ならないのだ。


 決意を新たにしたアベルが、肩からずり落ちていた毛布を引っ張る。


 けれど、なにかに引っかかっているのか、毛布は動かない。まるで、誰かが邪魔をしているかのよう。


 心当たりが、一人だけあった。


「マリーベル、いたずらは止めろよ……」

「マリーベルさんとは、どなたですか?」


 ぴしりと、アベルの動きと部屋の空気が固まった。


「姉さんは、知っている女性なのでしょうか?」


 温暖なファルヴァニアにもかかわらず、アベルは背筋に寒気を感じる。怖くて目が開けられない。

 それだけ、彼女――ルシェルの声には迫力があった。


「えー。あー。ええと……なんだこのシチュエーション」


 答えれば死、沈黙は地獄。


 それよりはましだと、意を決してまぶたを開けると……。


「ねえ、義兄さん? どうなんです?」


 そこには、いつもの明るさをどこかへ置き忘れてしまった元義妹がいた。


 エルミアとは姉妹だけあってよく似ているが、こういうところは違う。作り物のように空虚で美しい顔でアベルを見下ろしているルシェルは、とても危い感覚がした。


「ルシェルの笑顔がどこかに落ちているのなら、俺はそれを拾って君に届けたいと思う」


 起き抜けだからか。

 脈絡もない言葉がアベルの口から漏れた。


 虚を突かれたように肩口で切り揃えた金髪が揺れ、ルシェルが息を止める。


「……もう。義兄さんったら、いきなり大胆ですね」

「物事は常に相対的だ」

「つまり、口説かせた私が悪いって言うんですか? ますます、ずるいですね」


 非難めいた内容だが、ルシェルの機嫌は春を迎えた雪山のように回復していった。


 その間に、アベルは毛布の中や部屋の隅々へと視線を向ける。


 マリーベルは、どこにもいなかった。消えられるということだったので、本体――あるはずだ――の下に戻っているのだろう。


 とりあえず、人形を抱きながら寝ているという風評被害は避けられた。


 その点は安心だが、根本的な解決には至らない。


「それで、ルシェル。なんで、俺の部屋に入ってきたんだ?」

「もちろん、宿のご主人に部屋の鍵を開けてもらってですよ。《解錠ノック》の呪文なんて使っていません」

「それはどうやってであって、理由になってないよな!? というか、わざと論点ずらしてるよな!?」


 ぺろっと舌を出して、はにかむルシェル。

 明らかに、このやり取りを期待し、楽しんでいた。


「理由は、シンプルです。義兄さんの様子がおかしいという、もっぱらの噂なので様子を見にですね」

「一般的には、それを流言飛語っていうんだぞ」


 様子がおかしい。

 なるほど。その通りだ。


 その自覚があるにもかかわらず、アベルは否定した。臆面もなく。


「ええ、そうみたいです。単に、夜遊びが過ぎただけのようですね」


 ルシェルは、あっさりと矛を収めた。まさかアベルが吸血鬼ヴァンパイアになったなどと、想像するはずもない。

 マリーベルという名も、娼婦かなにかだと解釈したようだ。


「その程度は、男の人の甲斐性というものでしょうし」


 妙に理解があるルシェルに違和感を憶えつつも、アベルはこの流れに乗るしかなかった。


「そうそう。そういうもんだ。それよりも、俺なんかの部屋に来たら、ルシェルこそ噂になるぞ。俺と一緒の部屋にいたなんて噂が流れたら、恥ずかしいだろ」

「噂ではなく、この場合は事実になりません?」

「ルシェルこそ、もっとヤバイから、帰ったほうがいいという結論になりません?」

「なりません」

「そっかー」


 どうあっても帰ってくれないらしい。


 今はまだ大丈夫だが、なにかの拍子に、血が欲しくなってしまうかもしれない。ルシェルには、早めに出ていってもらわなくてはならないのに。


 そこまで考えたアベルは、思わず苦笑した。


 自分から出て行くという発想のない自分に。


「じゃあ、俺は下で飯でも食ってくるかな」


 ようやくアベルはベッドから立ち上がった。


 ルシェルが部屋を出て行かないのなら、こっちからいなくなればいい。まったく簡単だ。


 けれどそれは、遅きに失した。


「アベル、入らせてもらうぞ」


 ノックの音が続き、ドアノブが回る。


 なにかに期待するかのような表情で、しかし、遠慮なく足を踏み入れたのはエルミア。アベルの元妻にして、ルシェルの実の姉。


 彼女の視点では、元夫と実の妹が密会しているように見えただろう。


 もはや赤の他人であるはずの二人が、だ。


 ゆえに、声音も自然ときつく、強ばる。


「ルシェル、なぜアベルの部屋にいるんだ?」


 エルミアが、妹へ鋭い視線を向けながら聞く。いや、問い質した。

 新緑を思わせる鮮やかな瞳には力強い光が宿り、ごまかしを許さない。


 一方、ルシェルも負けていない。


 なにも悪いことはしていないと、堂々と反論する。


「義兄さんが体調を崩しているという話を聞いたので、様子を見に来ました」


 様子がおかしいという噂を、そう表現するのか。

 アベルは、思わず感心してしまった。


 そうすることしか、できずにいた。


 事情を聞きに行くとは言っていたけど、来るのが早すぎないか?


 などとは、口が裂けても言えない。こう、雰囲気的なあれで。


「姉さんこそ、義兄さんになんの用事なんです?」

「森林衛士としての職務だ。アベルから事情を聴取する必要がある」

「なるほど、仕事ですね。お仕事。ご苦労様です」


 ルシェルの言葉は、ただ確認をしただけ。そのはず。他意はない。絶対に。


 にもかかわらず、部屋へ冷気が吹き込んできた。


 おかしい。


 おかしいが、安宿の一室で、エルフの美人姉妹が視線をぶつけ合う状況に変わりはない。


 その中心にいるアベルは、『なぜ俺の部屋にいるんだって質問、俺がルシェルにしたのと同じやつだなぁ』と、引き続き現実逃避していた。

 もっとも、間に入ったとしても、二人からは、「アベルは黙っていて」、「義兄さんは黙っていてください」と言われるだけなので、妥当な判断ではあるのだが。


 そう。妥当な判断ではあるのだが、悪化は防げても、解決には寄与しない。


「アベル! もしかして、まだ寝ていますの!? 今日こそは、ちゃんとギルドに――」


 そうしているうちに、三人目――白髪のダークエルフ受付嬢が、床を踏みならして登場した。


「クラリッサまで……」


 諦念が、アベルの胸を支配する。

 あの夜、全身にみなぎっていた全能感はどこへ行ってしまったのか。


「義兄さんには、ひとつ、正直にお話をしてもらう必要があるみたいですね」

「アベルは、私と二人きりで話しをするんだぞ?」

「ふふふ。なるほど、そういうことですわね」


 三者三様の思惑が、狭い部屋に渦巻く。


 そう。三者だ。


 四人目――アベルの意思は、残念ながらかき消されてどこかへ行ってしまった。

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