「…………」
「…………」
「…………」
夜になれば冒険者たちが浴びるように酒を飲み、吟遊詩人が高らかに歌う食堂。それが今は、沈黙に包まれていた。
それも、ただの沈黙ではない。
食堂を支配しているのは、威圧感のある沈黙だ。そんなものがあってたまるかと、ほんの少し前のアベルなら言うだろう。
そして、現在のアベルは言う。
確かに、ここに存在すると。
冒険者向けの宿は、一階が食堂になっていることがほとんど。アベルの定宿も、この例に漏れない。
夕方過ぎの客が来るには早い時間だったため、料理も酒も頼まず隅の円卓をひとつ占拠しても、迷惑にはならないだろう。
それどころか、他に客はおらず、食堂はアベルたちの貸し切り状態となっている。
「…………」
「…………」
「…………」
もっとも、他に客がいたとしても、最終的には今と同じ状況になったはずだ。
「ええと、そもそも、なんでこんな風に顔を突き合わせているんだ……でしたっけ?」
アベルだって、当事者でなければ、こんなところに近づきたくはないのだから。
「…………」
「…………」
「…………」
エルミア、ルシェル、そしてクラリッサ。
それぞれが目を引くような美人で、それぞれに異なる魅力がある。
しかし、それが三人。しかも牽制し合うように無言でいられると、威圧感がある。否、威圧感しかない。逃げたい。物理的に。それが無理なら、酒に。
『マリーベル! マリーベル!』
アベルは、血の親に念話で助けを求めた。
けれど、返事はない。パスとやらがつながっていないのか、それとも無視されているのか。どちらにしろ、助けが来ないことは確定した。
「……いつまでもこうしていても、埒があきませんわね」
「そうだな」
「そうですね」
アベルの正面に座るクラリッサの言葉に、右隣のエルミアと左隣のルシェルが同時にうなずく。
どうやら、事態が動くようだ。
その先に待つのは、栄光か破滅か。
「アベル、今日もギルドに来なかった理由を教えてもらいますわよ」
機先を制したのは、クラリッサ。
身を乗り出したりはしないが、その分、唇をきゅっと結び、正面からアベルを見据えて逃亡やごまかしを許さない。
早速、アベルは言葉に詰まる。
「あー」
寝てました。
忘れてました。
吸血鬼なんで、夜行性なんです。
などとは言えない。言ったら、どうなるか分からない。
それだけの目力が、クラリッサにはあった。
というよりも、白髪のダークエルフに鋭い視線を向けられると、それだけで怖い。吸血鬼かどうかなど、この際関係ない。
「義兄さんは、体調を崩していたようですよ?」
そこに、ルシェルが助け船を出す。
絶妙なサポート。
ルシェルが、意味ありげに隣のアベルを見やり、にっこりと微笑んだ。
ダンジョンにレストポイントとは、まさにこのことだ。
「私が部屋に来たときも、寝ていましたし」
「そうなんですの? でも、夜、あの店で会ったときは、そんな兆候はなかったですわよ?」
「夜?」
「店で?」
左右のエルフ姉妹が、低い声で繰り返す。
この場合、重要なのは体調の話であって、そこじゃないはず。
そもそも、クラリッサと出会ったのは酒場の前であって、しかも偶然だ。
……とアベルが言えたら、そもそもこんな事態にはなっていなかっただろう。
つい先ほどフォローしてくれたばかりのルシェルまで、アベルへ不審の視線を向ける。
納得の表情を浮かべたのは、エルミアだった。
「では、なにかあったのは、大森林でのことか……」
「大森林ですか?」
「それは、わたくしと別れた後のことですの?」
三対の瞳が、アベルに集まる。
視線に物理的な攻撃力が備わっていたら、アベルは消し飛んでいるはずだ。吸血鬼だろうと関係なく。
「おかしいですね。義兄さんは、娼館で夜遊びをしていたのではないのですか?」
「娼館……」
「夜遊び……?」
多角的に、アベルの行状が晒され追い込まれていく。
娼館に関してのみは、明白に誤解なのだが。
誤解なのだが、エルミアがもの凄く落ち込み、目を伏せている。まるで、泣くのをこらえているかのようだ。
嘘とは言えず、アベルはとてつもないいたたまれなさを感じてしまう。
『マリーベル! マリーベル!』
アベルは、またしても念話で血の親に助けを求めた。
しかし、なにも起こらなかった。
「ふっ、知ってたけどな」
「なんの話ですの?」
「こっちの話だ」
かぶせ気味に答えると、アベルはすっと背筋を伸ばした。
顔を引き締め、腹に力を入れる。
覚悟を決めた。腹をくくった。
「実は、地下でちょっとした発見をした」
嘘を吐いて、ごまかす覚悟を。
「それがなにかは言えないが、相当でかいヤマだ」
発見をしたというか、マリーベルに見つかったというか。
しかし、正直に言うことはできないし、アベルにとって大事件であることに変わりはない。
「やはり、そうでしたの」
目星を付けていた――というよりは、瓢箪から駒が出たようなものだが――クラリッサは、納得顔と訳知り顔をハイブリッドさせた表情でうなずいた。
一緒に、ダークエルフ特有の巨乳も揺れる。
「そういうことなら仕方ありませんが、担当であるわたくしには、ちゃんと伝えておいてもらわないと困りますわね」
「待て待て待て」
「え? え? 一体、なんの話ですか?」
これに慌てたのは、エルフの姉妹。
アベルに関しての知らない情報を披露され、露骨に動揺している。
「アベル、なぜ私が知らない情報を、この受付嬢が握っているんだ? 私が知らない情報を」
「義兄さん、なぜ私の知らない情報が、クラリッサさんに伝わっているんです? 私の知らない情報を」
左右から問い詰められ、アベルは思わず椅子を引いた。滑りの良くない床を椅子の脚が擦る音が食堂に響く。
それを余裕で眺めているクラリッサの姿は、実に優雅だった。こんな状況でなければ、眺めているだけで眼福だったと思えただろう。
「そこは、ほら。冒険者は情報を秘密にするもんだろ? それに、クラリッサにも俺から言ったと言うよりは、嗅ぎつけられたというか……」
「冒険者としてのアベルの一番側にいたのが誰か。それが物を言ったわけですわね」
「いやー、いやー、事実としてはそうだけど。今、言うことじゃなくない? なくなくない?」
アベルはさらに椅子を引く。
エルミアとルシェルが、さらに距離を詰める。
クラリッサは、泰然自若。勝利宣言でも始めそうな雰囲気だ。なんに対する勝利なのかは、アベルには分からないが。
「アベル」
「な、なんだよエルミア」
元とはいえ、妻は妻。
輝くように美しいエルフに詰め寄られ、アベルの声が上擦った。
「……地下になにかがあった。だとしたら、大森林にいたのはなぜだ?」
「それは……」
「待ってください。本当に、義兄さんと大森林で会ったのですか? その、姉さんの妄想ではなく?」
「当たり前だろう。アベルと言葉も交わした。妄想などではない」
「ですが、よく義兄さんが夢に出てくると言っていませんでしたっけ?」
「それは関係ないだろう!?」
とんでもない汚名をかぶせられかけ、エルミアがルシェルの肩を掴んだ。実の妹といえども、これは看過できない。
しかし、実の姉に凄まじい剣幕で迫られても、自称アベルの義妹は冷静だった。
「どうやら本当のようですね。ということはつまり、大森林に攻略のため必要な鍵が存在するということでしょうか……?」
そう誰にともなくつぶやきながら、ルシェルが唇に触れる。
「なるほど。マリーベルというのは、その遺跡絡みですか。そういえば、イスタス神に逆らった、そんな名前の吸血鬼がいたような……」
ルシェルが、真実の前髪に触れかけた。
主神絡みのあれこれが嘘ではなかったらしいと理解し、アベルはぽかんと口を開けてしまった。
この元義妹は、本当に冒険者としての才能に溢れている。
「そうですの? アベル?」
「水くさいではないか。私に言ってくれれば、いくらでも協力したというのに」
「いや、さすがにそれはまずいだろう?」
エルミアの職務放棄に等しい発言に、アベルは我に返った。
せっかく安定した職業を手にしたというのに、それをふいにしてどうするというのか。一体、なんのために別れたのか分からない。
「なにがだ? アベルが名を成せば、私たちも、ほら、な……?」
「え? あ、うん……?」
アベルが冒険者として成功するのと、エルミアとの関係にどんなつながりがあるのか。
いやそれ以前に、エルミアは、なぜ恥ずかしそうに身をくねらせているのか。悔しいくらい、かわいいではないか。
そこに、ルシェルが異を唱える。
「え? なにを言っているんですか? 義兄さんは私とパーティを組むために実績作りをしているんですよね?」
初耳だった。
考えたことすらなかった。
仮にそうだったとして、今のパーティはどうするつもりなのか?
そこへさらに、クラリッサが劇薬を投与する。
「確かに、アベルがギルドマスターになって、わたくしがそのパートナーとなるには、それなりの実績が必要ですわね」
初耳だった。
考えたことすらなかった。
ギルドマスター? 本当になんの話なんだろうか?
「……どういうことですか?」
「なんの話だ?」
「誤解とは、こんなに滑稽で哀しいものですのね」
がたりと椅子を鳴らして立ち上がり、エルミアとルシェルとクラリッサ。同じように美しく、それぞれに異なる美を誇る二人のエルフと一人のダークエルフが顔を突き合わす。
三者一様。
もう、三人は他の二人しか見ていない。
千載一遇。
今しかない。
身を低くし、気配と足音を消し、アベルは逃げ出した。
――まわりこまれることは、なかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!