ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十六話 ロートル冒険者、振り回される

公開日時: 2020年9月6日(日) 06:00
文字数:3,816

「…………」

「…………」

「…………」


 夜になれば冒険者たちが浴びるように酒を飲み、吟遊詩人バードが高らかに歌う食堂。それが今は、沈黙に包まれていた。


 それも、ただの沈黙ではない。


 食堂を支配しているのは、威圧感のある沈黙だ。そんなものがあってたまるかと、ほんの少し前のアベルなら言うだろう。


 そして、現在のアベルは言う。


 確かに、ここに存在すると。


 冒険者向けの宿は、一階が食堂になっていることがほとんど。アベルの定宿も、この例に漏れない。

 夕方過ぎの客が来るには早い時間だったため、料理も酒も頼まず隅の円卓をひとつ占拠しても、迷惑にはならないだろう。

 それどころか、他に客はおらず、食堂はアベルたちの貸し切り状態となっている。


「…………」

「…………」

「…………」


 もっとも、他に客がいたとしても、最終的には今と同じ状況になったはずだ。


「ええと、そもそも、なんでこんな風に顔を突き合わせているんだ……でしたっけ?」


 アベルだって、当事者でなければ、こんなところに近づきたくはないのだから。


「…………」

「…………」

「…………」


 エルミア、ルシェル、そしてクラリッサ。


 それぞれが目を引くような美人で、それぞれに異なる魅力がある。


 しかし、それが三人。しかも牽制し合うように無言でいられると、威圧感がある。否、威圧感しかない。逃げたい。物理的に。それが無理なら、酒に。


『マリーベル! マリーベル!』


 アベルは、血の親に念話で助けを求めた。

 けれど、返事はない。パスとやらがつながっていないのか、それとも無視されているのか。どちらにしろ、助けが来ないことは確定した。


「……いつまでもこうしていても、埒があきませんわね」

「そうだな」

「そうですね」


 アベルの正面に座るクラリッサの言葉に、右隣のエルミアと左隣のルシェルが同時にうなずく。


 どうやら、事態が動くようだ。


 その先に待つのは、栄光か破滅か。


「アベル、今日もギルドに来なかった理由を教えてもらいますわよ」


 機先を制したのは、クラリッサ。

 身を乗り出したりはしないが、その分、唇をきゅっと結び、正面からアベルを見据えて逃亡やごまかしを許さない。


 早速、アベルは言葉に詰まる。


「あー」


 寝てました。

 忘れてました。

 吸血鬼ヴァンパイアなんで、夜行性なんです。


 などとは言えない。言ったら、どうなるか分からない。


 それだけの目力が、クラリッサにはあった。


 というよりも、白髪のダークエルフに鋭い視線を向けられると、それだけで怖い。吸血鬼ヴァンパイアかどうかなど、この際関係ない。


「義兄さんは、体調を崩していたようですよ?」


 そこに、ルシェルが助け船を出す。

 絶妙なサポート。

 ルシェルが、意味ありげに隣のアベルを見やり、にっこりと微笑んだ。


 ダンジョンにレストポイントとは、まさにこのことだ。


「私が部屋に来たときも、寝ていましたし」

「そうなんですの? でも、夜、あの店で会ったときは、そんな兆候はなかったですわよ?」

「夜?」

「店で?」


 左右のエルフ姉妹が、低い声で繰り返す。

 この場合、重要なのは体調の話であって、そこじゃないはず。

 そもそも、クラリッサと出会ったのは酒場の前であって、しかも偶然だ。


 ……とアベルが言えたら、そもそもこんな事態にはなっていなかっただろう。


 つい先ほどフォローしてくれたばかりのルシェルまで、アベルへ不審の視線を向ける。


 納得の表情を浮かべたのは、エルミアだった。


「では、なにかあったのは、大森林でのことか……」

「大森林ですか?」

「それは、わたくしと別れた後のことですの?」


 三対の瞳が、アベルに集まる。

 視線に物理的な攻撃力が備わっていたら、アベルは消し飛んでいるはずだ。吸血鬼ヴァンパイアだろうと関係なく。


「おかしいですね。義兄さんは、娼館で夜遊びをしていたのではないのですか?」

「娼館……」

「夜遊び……?」


 多角的に、アベルの行状が晒され追い込まれていく。

 娼館に関してのみは、明白に誤解なのだが。


 誤解なのだが、エルミアがもの凄く落ち込み、目を伏せている。まるで、泣くのをこらえているかのようだ。


 嘘とは言えず、アベルはとてつもないいたたまれなさを感じてしまう。


『マリーベル! マリーベル!』


 アベルは、またしても念話で血の親に助けを求めた。

 しかし、なにも起こらなかった。


「ふっ、知ってたけどな」

「なんの話ですの?」

「こっちの話だ」


 かぶせ気味に答えると、アベルはすっと背筋を伸ばした。


 顔を引き締め、腹に力を入れる。


 覚悟を決めた。腹をくくった。


「実は、地下でちょっとした発見をした」


 嘘を吐いて、ごまかす覚悟を。


「それがなにかは言えないが、相当でかいヤマだ」


 発見をしたというか、マリーベルに見つかったというか。

 しかし、正直に言うことはできないし、アベルにとって大事件であることに変わりはない。


「やはり、そうでしたの」


 目星を付けていた――というよりは、瓢箪から駒が出たようなものだが――クラリッサは、納得顔と訳知り顔をハイブリッドさせた表情でうなずいた。

 一緒に、ダークエルフ特有の巨乳も揺れる。


「そういうことなら仕方ありませんが、担当であるわたくしには、ちゃんと伝えておいてもらわないと困りますわね」

「待て待て待て」

「え? え? 一体、なんの話ですか?」


 これに慌てたのは、エルフの姉妹。

 アベルに関しての知らない情報を披露され、露骨に動揺している。


「アベル、なぜ私が知らない情報を、この受付嬢が握っているんだ? 私が知らない情報を」

「義兄さん、なぜ私の知らない情報が、クラリッサさんに伝わっているんです? 私の知らない情報を」


 左右から問い詰められ、アベルは思わず椅子を引いた。滑りの良くない床を椅子の脚が擦る音が食堂に響く。


 それを余裕で眺めているクラリッサの姿は、実に優雅だった。こんな状況でなければ、眺めているだけで眼福だったと思えただろう。


「そこは、ほら。冒険者は情報を秘密にするもんだろ? それに、クラリッサにも俺から言ったと言うよりは、嗅ぎつけられたというか……」

「冒険者としてのアベルの一番側にいたのが誰か。それが物を言ったわけですわね」

「いやー、いやー、事実としてはそうだけど。今、言うことじゃなくない? なくなくない?」


 アベルはさらに椅子を引く。


 エルミアとルシェルが、さらに距離を詰める。


 クラリッサは、泰然自若。勝利宣言でも始めそうな雰囲気だ。なんに対する勝利なのかは、アベルには分からないが。


「アベル」

「な、なんだよエルミア」


 元とはいえ、妻は妻。

 輝くように美しいエルフに詰め寄られ、アベルの声が上擦った。


「……地下になにかがあった。だとしたら、大森林にいたのはなぜだ?」

「それは……」

「待ってください。本当に、義兄さんと大森林で会ったのですか? その、姉さんの妄想ではなく?」

「当たり前だろう。アベルと言葉も交わした。妄想などではない」

「ですが、よく義兄さんが夢に出てくると言っていませんでしたっけ?」

「それは関係ないだろう!?」


 とんでもない汚名をかぶせられかけ、エルミアがルシェルの肩を掴んだ。実の妹といえども、これは看過できない。

 しかし、実の姉に凄まじい剣幕で迫られても、自称アベルの義妹は冷静だった。


「どうやら本当のようですね。ということはつまり、大森林に攻略のため必要な鍵が存在するということでしょうか……?」


 そう誰にともなくつぶやきながら、ルシェルが唇に触れる。


「なるほど。マリーベルというのは、その遺跡絡みですか。そういえば、イスタス神に逆らった、そんな名前の吸血鬼ヴァンパイアがいたような……」


 ルシェルが、真実の前髪に触れかけた。


 主神絡みのあれこれが嘘ではなかったらしいと理解し、アベルはぽかんと口を開けてしまった。

 この元義妹は、本当に冒険者としての才能に溢れている。


「そうですの? アベル?」

「水くさいではないか。私に言ってくれれば、いくらでも協力したというのに」

「いや、さすがにそれはまずいだろう?」


 エルミアの職務放棄に等しい発言に、アベルは我に返った。

 せっかく安定した職業を手にしたというのに、それをふいにしてどうするというのか。一体、なんのために別れたのか分からない。


「なにがだ? アベルが名を成せば、私たちも、ほら、な……?」

「え? あ、うん……?」


 アベルが冒険者として成功するのと、エルミアとの関係にどんなつながりがあるのか。

 いやそれ以前に、エルミアは、なぜ恥ずかしそうに身をくねらせているのか。悔しいくらい、かわいいではないか。


 そこに、ルシェルが異を唱える。


「え? なにを言っているんですか? 義兄さんは私とパーティを組むために実績作りをしているんですよね?」


 初耳だった。

 考えたことすらなかった。


 仮にそうだったとして、今のパーティはどうするつもりなのか?


 そこへさらに、クラリッサが劇薬を投与する。


「確かに、アベルがギルドマスターになって、わたくしがそのパートナーとなるには、それなりの実績が必要ですわね」


 初耳だった。

 考えたことすらなかった。


 ギルドマスター? 本当になんの話なんだろうか?


「……どういうことですか?」

「なんの話だ?」

「誤解とは、こんなに滑稽で哀しいものですのね」


 がたりと椅子を鳴らして立ち上がり、エルミアとルシェルとクラリッサ。同じように美しく、それぞれに異なる美を誇る二人のエルフと一人のダークエルフが顔を突き合わす。


 三者一様。

 もう、三人は他の二人しか見ていない。


 千載一遇。

 今しかない。


 身を低くし、気配と足音を消し、アベルは逃げ出した。


 ――まわりこまれることは、なかった。

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