アベルとクラリッサが、謎の襲撃者に反撃を加えていた頃。
館に残ったエルミアは、森の中で体を動かしていた。
「アベルは、すごいな」
愛用の弓を手に、エルフのホームグラウンドである森を走る。
下生えは踏みつぶさず、風のように。
枝に飛び乗り、たわませることなく木から木へ。
その途中、空想上の獲物を狙い、弓を引き絞った。
いずれも、ほれぼれするような。エルフのイメージそのまま。いや、それ以上の動き。美しく、可憐ですらある。
しかし、エルミアは途中で、何度も首を傾げていた。
理由は、シンプル。動きが、あまりにも過敏すぎる。
少しでも力を入れると、思いもよらず加速してしまう。今も、飛び下りるはずの枝を遥かに越え、その先の木に飛び移ってしまった。
性能の良すぎる肉体を扱いきれず、そのミスを、性能の良すぎる肉体が無理矢理カバーする。体を動かすことには、それなりに自信があったエルミアにとっては悔しいの一言。
弓も、簡単に引けてしまい、調子が狂う。
吸血鬼になっただけで、これだ。アベルが使っている《剛力》という血制を使用したら、どうなることか。
森を駆け抜けたエルミアが、館の前に戻って来る。
「まだ何日も住んでいないのに、帰ってきた気がするな」
スヴァルトホルムの館と呼ばれていた、今はエルミアたちの家。
手に入れるまで紆余曲折はあったが、すっかり我が家になっていた。
それは恐らく、アベルが一緒だからだろう。
アベルがいればどんなあばら屋でも構わないし、逆に、いなければどんな豪壮な屋敷でも魂の入っていない人形のようなもの。どんなに似ていても、決して本物ではない。
水袋の中身を飲み干し、エルミアは軽く汗を拭いた。
運動した後の水の美味しさは、吸血鬼になっても変わらない。それは、嬉しい発見だった。
「やはり、アベルはすごいな」
水袋を投げ捨て、もう一度、先ほどと同じ言葉を紡いだ。
自分の体を、思い通りに制御する。
当たり前に思えるが、その実、難しいのは言うまでもない。根本から別物に変わってしまえば、なおさらだ。
しかし、アベルからこの手の苦労を聞いた憶えはなかった。実際、特になにも苦労はしなかったのだろう。
才能の差か。さすが、アベルだ。
「私も、負けないようにしなくてはな」
改めて決意した、そのとき。
「お、おう。エルミアか」
「エルミアさん、もう、外に出て大丈夫ですのね」
次元門を通って、アベルとクラリッサが姿を現した。
前触れのない出現に、エルミアは少しだけ驚くが、謝罪と感謝が先だ。
「ああ。二人とも、心配をかけて――」
しかし、その途中で、エルミアの森を思わせる瞳が鋭く光った。
「――アベル、誰と戦ったのだ?」
「分かりますの?」
「鋭いな。まあ、元々、隠すつもりはないからいいけどよ」
「ルシェルたちも、呼んでこよう」
「ああ。応接間に頼む」
厳しい表情でうなずき、エルミアは先に館へ戻っていった。
どうやら、しっかり馴染ませてからとはいかないようだった。
「街中で襲われるとはな……」
「ファルヴァニアでは、滅多にないことですね」
アベルとクラリッサから話を聞いて、エルフの姉妹が厳しい表情を浮かべた。
根底にあるのは、問答無用で攻撃をしてきた襲撃者への怒り。倫理的にも、そして、アベルを傷つけたことも、到底許容できるものではなかった。
クラリッサは、今になって恐怖を憶えたのか。応接室のソファにアベルと並んで座りながら、指を絡めていた。
エルミアもルシェルも、それに気付いていたがなにも言わない。
気持ちは理解できたし、その程度で咎めるほど狭量ではない。
「そういえば、ボルトを持ってきたんだったか……」
懐から射られたボルトを取り出し、まじまじと見つめるアベル。
ボルト自体はなんの変哲もないものだが、鏃に違和感というべきか。引っかかるものがあった。
「これは、錬金術銀の鏃ですね」
「ああ……。確かに、そうだな」
常備まではしていないが、アベルも過去に使用したことはある。
吸血鬼や、ワーウルフを代表とするワークリーチャーなどは、銀の武器でしか傷つかない……というわけではないが、通常の鉄製の武器には耐性を有している。
そういった、厄介なモンスターに対抗するため、錬金術師に依頼し、特殊な銀コートを武器に施してもらう。
もしくは、そういった武器が店で販売されている場合もある。
「ということは、アベルが吸血鬼だと知って攻撃してきたわけだな」
銀という武器には向かない素材にも関わらず、使用感に違いはほとんどない。その分、かなり高価だ。
「そうなるか。錬金術銀でコートした武器を普段使いするメリットは、ほとんどねえからな」
「う~ん。それだけではなさそうです」
「まだ、なにかあるのか?」
「微かに、魔力……いえ、源素力を感じますね」
源素力と聞いて、アベルが微妙に嫌そうな顔をする。
地水火風光闇。吸血鬼に呪いを与えた存在。ならば、退治するのにその力を借りるのも道理。
「って、ことは……」
可能性を排除していった末に、残ったものがどんなに信じられないものでも、それが真実。
「相手は、吸血鬼狩人ってやつになるのか……?」
イスタス神群により、吸血鬼や他の悪の存在が駆逐され数百年。
存在が噂されてはいたし、マリーベルも口にしていたが、まさか実在していたとは。自分で口にしながら、アベルは信じられなかった。
しかし、他ならぬ吸血鬼の先達が、それを肯定する。
『やつらは執念深い』
『知ってるのかよ』
『ダンピールが狩人をやっている場合もある』
『ダンピール?』
『吸血鬼と人間のハーフブラッド』
ダンピールの寿命は分からないが、同じ程度生きるのならば、可能性はさらに上がる。
スーシャとの念話の内容を、アベルは皆に伝えた。
「本職ですから、私たち魔術師魔法を感知できるように、彼らにも、こちらの存在を知る方法があるのかもしれません」
「そいつは厄介だな……」
相手が人間だという点が、一番厄介だ。
なにせ、モンスターと違って勝手に殺したら処罰される可能性がある。
「さすがに、別の次元にあるこの館までやってこれるとは思いませんが……」
「ファルヴァニア側の住居も、知られていないはずですわ」
クラリッサの言葉に、エルミアはうなずいた。
「やはり、一撃食らわせたのは大きいな」
「でも、言ってはなんですが、逃げられましたわよ?」
「舐められたら終わり。狩りの基本だ」
この場合、どちらが狩人でどちらが獲物なのか。
それに、狩りなら途中で諦めるという選択肢だってあるだろう。
「ですが、相手がなにがなんでもとなったら、どうなりますの?」
「その時は、どちらが死ぬまでやるしかない」
そういう意味でも、一撃食らわせたのは正解だ。
極々当たり前のことを言うかのように、エルミアは繰り返した。
「もしかしたら、マリーベルもアイツに狙われて……?」
ふとした思いつきを口にしただけだが、アベルの中で、次第に信憑性を増していった。
「可能性はありそうだが……」
だとしたら、アベルを襲った理由も変わってくる。
そして、今後の方針も、また。
「マリーベルを探すべきなのか? 先に、狩人をどうにかすべきなのか? でも、マリーベルが消えたのが、狩人と別口だと、単に時間を浪費するだけに……?」
解けないパズルを前に、苦悩するアベル。
その苦悩の原因が、エルミアには。そして、ルシェルにもクラリッサにも理解できた。
期せずして、三人の視線が交差する。
アベルを中心に複雑な関係の彼女たちだったが、それだけで思いは伝わった。
「アベル。私に、いや、私たちにいい考えがある」
反対されることは分かっている。
だから、きちんと説明し、理解を得なければならない。
その気持ちは、ルシェルもクラリッサも同じだったようだ。打ち合わせなどなにもしていないのに、三人はひとつになる。
「きっと、これが最善手ですわ」
「私たちの本気を、義兄さんなら分かってくれると信じています」
「ええと……?」
戸惑うアベルを、エルミアは見つめる。
「私たちが、囮になる」
そして、自信満々に、そう言い切った。
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