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第九話

公開日時: 2021年6月10日(木) 20:38
文字数:2,301



人間、誰しも「不得意」を持っている


運動が不得意


料理が不得意


まあそれはあくまで趣味程度のもので


不得意というのならしなければいいだけだ。


でも


誰でも出来るようなことが不得意だった場合はそうはいかない


「出来て当たり前」ができない人間は


社会から置いてけぼりをくらう


不得意でもやらなければならない場合があって


不得意を強要されてしまう


そこから逃げれば社会のはみ出し者になる。


社会から置いてけぼりにされた者が


もう一度社会に飛び込むためには


人の不得意に手を差し伸べることのできる


ただただ純粋な優しさを持った人間と出会うこと以外にない。










2ヶ月で7キロ体重が減った。


バイトに行く朝を迎えるだけで吐き気がして


震えながら自転車をこいだ


レジの前に立つ時は人の3倍大きな声を出すと決めては客の目も見れず黙ってお釣りを渡した


もうとっくに逃げ出してもおかしくはなかった


それでもギリギリのところで踏みとどまったのには理由がある


いつでもどんな朝でも笑顔で


「おはようございます」


どれだけ失敗をしてもどれだけ仕事が遅くても笑顔で


「お疲れ様です」


この人はおかしい。


この人の優しさは恐怖すら覚える。


何度となく疑った


笑顔の裏には必ず「自分にとってのリターン」が潜んでいて


人前で笑顔でいることはそれを得たいが為のいわば「我慢」だ


仕事を潤滑にやり過ごすためのただの道具


そんな優しさはすぐに枯渇する


いつかどこかで枯渇するはずだと思っていた


しかし


矢真さんの笑顔が枯れることはない


偽物じゃなかった。




なぜ自分はこんなにも苦しいのか


それを解き明かしたくて


「苦しい」という感情を分解してみたことがある


そしたら自分の欠点がポロポロ出てくる


「苦しい」は


今まで見て見ぬフリをしてきた“欠点”の集合体


それを分解するということは自分の弱みと向き合うということ


自分の弱みを見るのが嫌で


隠すようにまた「苦しい」という形に組み立て直して放置しておく


そうすれば益々「苦しい」は大きくなって更に苦しくなる


人と接すると「苦しい」は勝手に分解される。


否が応でも自分の欠点を見ることになる


ポロポロ、ポロポロ、


そこらじゅうに散らばった自分の欠点を大慌てで拾い集める姿なんか誰にも見られたくない


だから誰も近づけないようにしたのに


この人は踏み込んでくる


こぼれ落ちた欠点を一緒に拾ってくれる


そして持っててくれる


ポロポロ崩れ落ちた欠点はどんどん矢真さんに回収されて


「苦しい」は形を成さなくなった。


たった2ヶ月の出来事とは思えない


すごく辛くて長かったはずなのに


気づけば自分は変わっていた










人前で何か行動するだけで「見られている」感じがしていた


何か行動を取る度に


何か声を発する度に


採点されているようで怖かった


“他人がいる空間”というだけで自分は殻に閉じこもってしまう


矢真さんはそのテリトリーを広げてくれた


職場が段々自分の居場所になっていった


仕事で分からないことがあれば必ず矢真さんに聞く


他の人に教えてもらうのは怖い


ただの人だから。


人は怖い。


でも矢真さんは怖くない。


一つテリトリーが広がれば関わる人も当然増える


どうすればいいか分からなかった


喋りかけられても引きつって気持ち悪い


ヘラヘラした


いかにも気を使ってますというような愛想笑いしか出来なかった


林野と居る時の自分とギャップがありすぎてたまらなく嫌になる


林野と他人


その間に矢真さんが居る


本物の自分と偽物の自分を矢真さんは引っ付けてくれる


自然体で不愛想な自分と


不自然に偽の愛嬌を振りまく自分


その中間でとどまることは変なことではない


そう思えるようになった


どっちつかずではなく


バランスの取れた新しい自分で


少しずつ、少しずつ、人に慣れていった


矢真さんが自分の居場所も立ち位置も与えてくれた


きっと出会ってなければバイトなんて初日で辞めていたんだろうなと振り返って思う


ここの店はエプロンの着用を強要している


エプロンなんか付けたことがない。


勤務初日


エプロンのどこに体を通せばいいのか分からずに戸惑っていると矢真さんが


慣れた手つきでエプロンに付いているヒモで輪っかを作ってストンと首にかけてくれた


両手を上げてすっぽりと人に服を着させてもらったような恥ずかしさを感じたことを思い出す


そんなところから始まっている。


今から積年の恨み晴らせると思うとつい感慨深くなってしまった


視界がゲーセンに戻ってくる


今、全く同じゲーム画面を見ているが


両替したての100円玉を握りしめて戦略的撤退をカマしたあの日とは違う


自信を持って今ここに立っている


もう負ける気がしない


この2ヶ月で変わったのは人間性だけだと思うなよ


オレは手に入れた


お前が現れない間に。


コンボをミスって、煽られる。


飛びを落とせず、煽られる。


散々林野にやられた


歯茎の奥まで埋まってしまうんじゃないかというくらい歯を食いしばって学んだ


悔しさを持ち帰り怒りで目を真っ赤に染めながら解析した


トレモで、何が悪かったかを。


ゲーム機


ストリートファイター 4


専用コントローラー


稼いだ金で心から欲しいものを手に入れることができたから強くなれた


あらためて矢真さんに感謝する。


バイト先はゲーセンに近いところを選んだ


金が貯まるまでお世話になるつもりだったから。


でも通い続けたゲーセンにお前は中々姿を現さなかった


ゲームを買い揃えた後も定期的に通って本当によかったよ


やっと見つけた。


失った100円玉の数だけオレの心には憎しみが刻まれている


覚えているか?


あの時


涼しい顔でオレのことを視界の端の方で黙認したことを。


二度とあんな目はさせない


今日、必ず後悔させてやる


オレが今つまんでいるこの100円玉は


タダで稼いだ金じゃない


お前に使うのは今日で最後だ





「砕け散れっ!」









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