男は軽くため息を吐きながら、手にしていたナイフを光の下に翳す。俺の言葉が気に食わないのか、そっけない表情を浮かべていた。終始にこやかな顔をしていたのが嘘のようだった。覗き見るようにナイフを見た後、ぼそっと呟く。
「だから言ってるでしょ。僕は“優秀”だって」
元々身動きは取れなかった。わずかな遊びがあるとはいえ、ほとんど自由は利かない。“死にかけていた“と言われたように、体全身の倦怠感がひどく、ダルかった。それでも少しずつ回復している兆候があった。数分前より、今の方が断然。
「違和感」を感じたのは、男が翳していたナイフとは別の手。
——なんだ、…あれ
ドクンッ
瞳孔が開く。喉の奥が急速に乾いていく。背中に悪寒のようなものが走って、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚があった。男が左手に持っているもの。“それ”が何かを、すぐには理解できなかった。赤黒く、歪な形をしていた。筋のような線がところどころに入っていて、突起している部分が何箇所かある。驚いたのは、それが自発的に“動いていた”ことだ。一定の間隔で伸縮していた。そう、——それはまるで、生きているかのような…
「それ…は…?」
声にならなかった。自分の目にしているものが何か、考える時間が少しあった。ただ、それはほんのわずかな時間に過ぎなかった。俺の体の中で何かが消えている。その違和感に気づくのに、10秒も必要なかった。立っているようで、立っていない。サーっと汗が引いていく感覚と、領域。自分の意図とは裏腹に、目が“止まった”。釘付けになった。男が持っているものをまじまじと見て、それが自分の体の一部であることに気付いたんだ。耳の中から消えた「音」を探すように。何かを無くした感覚を、暗闇の中で探るように。
心…臓…?
「デモンストレーションだ」
男はほくそ笑みながら、手にひらに乗せた「それ」を前に突き出す。血生臭い臭い。間近に迫る鼓動。目には見えない透明な「箱」に入れられたように、その物体はドクンドクンと動いていた。空間から隔絶されたような“断面”があった。体から引きちぎられたような痕じゃなく、ましてや、鋭利な刃物で切られたような痕でもない。物体そのものを丸ごと移動した。印象としてはそれに近かった。ガラスショーケースの中に、そっくりそのまま瞬間移動でもさせたみたいな。
「僕はアンダーテイカーだ。キミたちの目指している、“異能者(アンチ・ヒューマン)”の1人。その意味はわかるでしょ?」
「あんたが…?」
別に不思議なことじゃない。アンダーテイカーと呼ばれる異能者は、年々増え続けている。防衛軍に入る人間の約半数は、特別な力を授けられたものたちだった。保安部の人間がアンダーテイカーであったとしても、さして驚くようなことでもない。問題は、——そう、他にあった。仮に男がアンダーテイカーであったとしても、こんな“能力”、見たことが…
「これはほんのパフォーマンスだ。僕を信じてもらうためのね」
パフォーマンス…だって…?
胸に手を当ててみようにも、繋がれていて動けない。本当に心臓に無くなっているかどうかを、確かめる手段はなかった。ただ確かに、心臓の音は消えていた。俺はアンダーテイカーの候補者で、ただの人間じゃない。常人よりもはるかに感覚は優れている。聴覚、嗅覚、視覚、触覚、——ありとあらゆる器官に優れ、身体能力だって同じだ。だからこそ、違和感を感じた。生きている心地がしなかった。アレが本当に俺のものなら、こうして立っていることも…
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