「来るよ」
吹っ飛ばされた風香の後を追うように、地面が“動く”。一歩、——二歩。乾いた音が弦を弾くように「トットッ」と振動する。靴底と地面が擦れる音。そのタッチは軽快で、確かな振音を届けていた。
風香は咄嗟にガードの構えを取った。“敵が近づいてくる”。その気配を察知していたからだ。体勢が崩れたままの風香の前に、泡ぶくような空気の“変遷“が走った。
ドドドドッ——!
右と左。強く握りしめられた拳が、眼前に降り注ぐ。何もない空間から波が持ち上がる。その波の一つ一つは立体的な膨らみを掴み、空間と空間の繋ぎ目を“解いていく”。
水たまりの上に雨が落ちるように。また、穏やかな水面を揺らす波紋のように。
眼前に迫る無数の拳。その根本には、空気の乱れが泡粒のようにプクプクと膨らんでいた。丸い輪郭を帯びながら膨張し、プチプチと弾けていく。両手を使い、がっちりとガードの姿勢を取る。急所を避け、安全圏へと離脱するためだ。しかし、目の前で躍動する相手の攻撃は、風香の逃げ道を無くすように横に広く展開されていた。一つ一つの威力は低いものの、その軌道の接着点は左右に動けるスペースを塞いでいる。顔面へのヒットを避ける。顎にモロにくらえば、意識が飛ぶ可能性だってある。「有効打」の決め手となる一撃は、競技者の“受けるダメージ”に深く結びついていた。どれだけ綺麗な一撃を与えられたとしても、相手にダメージが無ければ無効扱いとなる。逆に攻撃が不可抗力のものであっても、ダメージがあると認められれば「有効」になる。風香は最新の注意を払いつつ、ダメージを抑えるための姿勢を取った。亀のように腕を畳みながら、かつ、後ろへのスペースを探りつつ。
ダンッ
右膝を利用し、上体を傾けたまま立ち上がる。いくつかの拳がボディへとヒットしていたが、そこまでのダメージはなかった。相手はガードの隙間を狙って攻撃を続けていた。が、風香の両手はがっちりと固定されたまま、微動だにしなかった。攻撃を受けつつ敵との距離を測る。殻に籠った上半身とは裏腹に、下半身はバックステップへのスペースを作る。左足は捻りながら斜交いに傾いていた。地面と接着する指。その内側を押し込むように、体全身を内転させた。
相手の攻撃の斜線。その「正面」にあったのは、無数の“侵入経路”だった。上から下へと繰り出してくる攻撃もあれば、アッパーカット気味に下から持ち上がってくるものもあった。特質すべきはその「数」だった。一つや二つではなく、異なるタイミング、——異なる角度から風香の体を狙う軌道がある。まるで大勢の人が風香に向かって手を伸ばしているようでもあった。一つ一つが不規則で、生きているかのような。
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