「…あ…だめッ…」
それから、どれだけ時間が経ったのかはわからない。ベットが軋む音は、一晩中続いた。俺は獣みたいに腰を動かし続けてた。訳もわからず、ただ壊れた時計の針のように。自分が自分じゃないみたいだった。酒が入ってたっていうのもあるかもしれないが、意識は不思議とハッキリしてた。だからなおさら、変な感じだった。得体の知れない力に引き寄せられていく感じ。体の奥から、言い表せられないほどに湧き上がる熱量。
やるせ無い気持ちと、どうしようもない欲望がない混ぜになって、
それで…
パンッ
パンッ
気がつけば夜が明けていた。
カーテン越しに差し込む光が、濡れたシーツの上にこぼれ落ちてきた。
…そうだ
彼女の名前はなんて言うんだったっけ…
遠ざかる意識と、——記憶。
一体今何時であるかもわからないまま、マラソンで走り切った後のように、ベットの上に倒れ込んだ。
出すもの出してしまったような感じだった。なにもかも、遠ざかっていくかのような——
*
「いい加減目を覚ましたらどうだい?キミの裸を見るのも、もう飽き飽きしてるんだけど」
…う
誰かの声がして、頭痛のする頭を押さえ込むようにゆっくりと瞼を開けた。なんだってこんな頭が…。っていうか、どこだ、ここは…?
ジャラジャラッ
身動きが取れず、音のする方向へ目を遣った。天井からぶら下げられた鉄の鎖。巨大な動物を拘束するのかっていうくらいに太い金属が、がっちりと俺の両手首を掴んでいた。多少の“遊び”はあった。肘を曲げたり、肩に力を入れたりするくらいは。
「…誰…だ?」
驚いたのは、その状況だけじゃなかった。牢獄のような無機質な部屋に、椅子が1つ。照明は少なく、薄暗い。自分の身に起こっている状況が理解できなかった。目の前には見知らぬ男がいる。中性的な顔立ちに、細身の体。見た感じ近い年代だなって思った。けど、同じ学校の生徒じゃない。礼装のような整った服装と、パーマがかったクシャクシャの髪。同じ学校の生徒なら制服を着てるはずだ。学校の紋章だってスーツに入ってるはず。もちろん生徒だからって、制服を着なければいけない訳じゃない。プライベートで着る服装に制限はない。そのルールを知らないわけじゃなかった。目の前の男が誰であるにせよ、“学校の生徒じゃない”と決めつけるには、あまりにも早計だった。ただ、直感的にそう思ったのには、理由があった。ズキズキする頭の奥で、ぼんやりと浮かび上がる輪郭があった。あの黒い上着と、ネクタイ。どこかで…
「…やれやれ。ようやく目が覚めたか。今の気分はどうだい?」
「気分…?」
「何が何だかって感じの顔だね。この指は何本に見える?」
「3…本?」
「正解だ。じゃあ、次の質問にいくよ。キミの名前は?」
…俺?
俺の名前…
そんなの、考えなくてもわかることだった。直ぐに答えようとは思った。反射的に口を動かそうとする自分がいて、——反面、声が思うように出てこなかった。訳もわからない息苦しさが、喉の奥から込み上げてきて…
「…俺は、…あれ…?」
「…はぁ、思ったより重症だな。これは一度解剖した方が早いか?…いや、そうなると手続きやら何やらでめんどくさいか。まあいい。キミは今“治療中”で、絶対安静の状況にある。それと同時に、重要な“被害者“でもあってね。今から僕の聞くことに簡潔に答えてほしい。昨日、キミは何をしていた?」
…昨日?
昨日は、確か…
記憶がこんがらがっている。自分が何者かはわかっているつもりだった。わからないのはこの場所と、目の前にいる「誰か」だけ。思考を巡らせようと頭の中をつっつく。昨日”何をしていた“か。直ぐには思い出せなかった。色とか景色とか、そういう漠然とした心象さえフィルターがかかったようにぼやけていた。学校があって、友達に会って、授業を受けて…それで…
具体的な日時、時間。
何もかもが宛てのない砂漠のように、ハッキリした「線」を届けなかった。シンプルに考えようとはしていた。それでも…
「オーケー。じゃあ、彼女に見覚えは?」
目の前にぶら下げられた一枚の写真。そこに映っていたのは、見覚えのある少女だった。
ピンクのアッシュに、金色の髪。髪の色に似た綺麗な瞳は、どこか冷たい印象さえあった。垢抜けた外見とは裏腹に、氷のように冷ややかな視線が、写真の中の存在感を深めている。物静かで、力強く、わずかな“たるみ”さえそこには無い。どこまでも清楚で、美しい表情(かおつき)をしていた。誰も寄せ付けないほどの強烈な印象の内側には、ライオンのような気高さがあった。誰もが“憧れていた”。「学園のアイドル」だった。“アイドル”という派手やかな肩書きとは対極にある、気品に溢れた少女。
獅童あやめ。
…そうだ。
彼女は確か…、商業科の…
「彼女がどうかしたのか…?」
「昨日の夜のことは何も?」
「…なにも」
「覚えてない方が、人生にとって良いこともある。単刀直入に話そう。キミは“ペルソナ(異常磁気物質)“と接触した。この意味はわかるかい?」
ペルソナ。
その言葉の意味を、俺は瞬時に理解できた。それと同時に、“そんなわけない”と思えた。記憶が飛んでたっていうのもあるけど、それがどれだけ深刻なことかを、痛いほど身に沁みていたからだ。俺の家族は、ペルソナに殺された。「ペルソナ」っていうのは、この地球に棲みつくようになった怪物たちのことだ。呼び名は国によってばらつきがある。“エッグモンスター”であったり、“ソウルハント”であったり、“デスゲイズ“であったり。
ヤツらがどんな生き物かは、痛いほどわかっていた。俺がアンダーテイカーになろうと思ったのも、奴らを駆逐しようと思ったのも、——全部。
「今回キミが接触したペルソナは、現在行方不明だ。僕が到着した時はもぬけの殻だった。感謝しなよ。こうして“治療”していなければ、キミは今頃あの世だったんだから」
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