ある日の夕暮れ。
終業直後。
スタッフルームにて。
クロカミと営業は、残業に追われていた。
「……」
「……」
モチベーションの上がらない作業。
特に意見を交わす必要性のない課題。
所内に一般の人々はおらず、待合室の灯りは落ちて…………以下略。
とどのつまり。
二人の残業は、小話五つを挟んでも終わっていなかったのである。
「……んあー、つっかれたー!」
単調な作業ばかりで退屈してしまったのだろう。
舟漕ぎをして、大きく伸びをして。
凝り固まった肩をほぐしながら、クロカミは相方に話しかけた。
「ねぇ」
「なんでしょうか」
「この残業さ、ちゃんと労働として記録されてるんだよね?」
「……」
「残業代、ちゃんと出るんだよね?」
「……」
営業は顔を上げなかった。
ただし。
パクッと口を開くと、当たり前のことのように彼は「残酷なリアル」を吐き捨てる。
こんな風に。
「……出るわけないだろ」
「え」
「今俺たちがやってる仕事は、単なる書類作成だ。
そりゃ文字の書き過ぎで腱鞘炎にはなるかもだが、難易度自体は高くない。
家でもできるくらいだ」
「ってことは……?」
「領主から言われてるだろ?
――『簡単な仕事は、なるべく持ち帰ってやれ』ってさ」
クロカミは悲鳴を上げる。
「ナニソレェ!
じゃあ、まさかこれ労働時間にカウントされないの!?」
「……そういうもんだろ。サービス残業って」
ごんっ。
机に頭を打ち付け、動かなくなるクロカミ。
全身で絶望を表現するその姿を横目に、営業は机の端へと手を伸ばす。
そこにあったのは、菓子類の詰まった小さなバスケット。
鹿肉ジャーキーや木の実の焼き菓子など、若者の小腹を満たすのに最適な食べ物が常備されたそれは、休憩時間になると毎日職員たちによって蹂躙されていた。
そして、この法則は日の落ちた現時刻においても有効らしい。
旨味の凝縮されたジャーキーを一本、営業は掴み取った。
「まぁ、今さら悲観することもないだろ」
肉をしゃぶりながら、彼は言う。
「なんたって、あのクソ領主がオーナーなんだぜ?
あのヤローが無駄に金をバラまくわけがない」
「……むー、納得いかないなー」
突っ伏したまま、クロカミは不平不満を垂れる。
「もうさー。この書類の束とか全部、ヤギにでも食べさせちゃわない?」
「そうしたら無限地獄から晴れて解放。お前は心置きなく酒が飲める、ってか?」
「いえす」
馬鹿正直な答えだった。
そして、アルコールを中心とした思考回路であることを露呈する答えだった。
やっぱり顔を上げず、自分の作業をしながら、呆れたように営業は言った。
「――言っとくが、いくらヤギでもインクは消化できないからな?」
「…………あ」
「バカなこと言ってないで仕事しろ、仕事」
中略。
及び、会話再開。
クロカミの一言で、また静寂は破られる。
「ねぇ」
「なんでしょうか」
「しりとりしない?」
「……なんで?」
営業は聞き返す。
「なんで脈なしのお前と、ゲームしなきゃなんないんだよ」
この営業の発言。
それが余りに異常だったせいだろう。
クロカミはドン引きしていた。
「……え、君にとってゲームって『お近づきになる手段』でしかないの?」
道端に落ちたゴミを見るような目を営業に向け、彼女はゴミをゴミと呼ぶ。
「え、君って実はキモいね。ゲスだね。人生やり直した方がいいね」
「ひどい言い方だな」営業は肩を竦める。「別にゲームの捉え方なんて、人それぞれだろーが」
「でもさ。
しりとりって、タダの暇つぶしでしょ。それ以外の用途ってあるの?」
「その娘の趣味、嗜好、普段触れるもの、通勤ルート、人物関係。
そういうのを割り出すのに使えるだろ。
まさか……使わないのか?」
「……ストーカー適性100点ですね、あなた」
「ねぇ、なんでさっきから敬語なの? なんか距離を感じるんだけど」
独りで勝手に肌寒さを感じている営業を他所にして、一方的にクロカミはしりとりを開始した。
「じゃ、私から行くよ」
菓子入りバスケットに手を突っ込みながら、クロカミは最初の一言目を口にした。
「クッキー」
「キー・ストラップ」営業は答えた。
「プ……プール」
「ルーペ・ストラップ」営業は答えた。
「プ……プロペラ」
「ランジェリー・ストラップ」無表情で、営業は答えた。
「まーた下ネタ……プ、プだよね。プ、プ……プリン…………っ、アラモード!」
「ドリアン・ストラップ」
「―――ちょっと、それズルくない!?」
いい加減、堪忍袋の緒が切れたらしい。
やる気が全く感じられない営業の回答に、クロカミは紛糾した。
「さっきからストラップしか言ってないじゃん!!
それズルいよ!」
「別にいいだろ。作戦の範疇なんだから」
何食わぬ顔で、営業はしれッと言ってみせる。
「それが嫌ならもう少し頭使ってみたらどうだ? 妨害してみろよ、ほら?」
「頭の問題じゃないでしょ!
なんでもかんでもストラップ付けられたら、こっちからすれば堪ったもんじゃないの!
勝負にならないよ!!」
「そりゃお前、四六時中同じ職場で働いてるやつのことなんて、今さら知りたいと思わないだろ。
お前に欲情できない以上、俺が本気になるわけがない」
「~~って、まだその自論引き摺ってたの。
これだから、キャバクラ通いの似非王子はキモいんだ」
「でも言い換えれば俺は、『キャバクラに通えるだけお金を稼いでる』ってことだな。
いわゆる成功者だ。
……ってなわけで誉め言葉、どうもごちそうさま」
「あー、なんか腹立ってきたなー」
クロカミは指の関節を鳴らした。
「……殴っていい?」
「ダメに決まってるだろ」
すぐさま営業は防御姿勢を取る。
「殺す気か」
長机を挟んでの攻防戦。
クロカミの一撃を持って、営業が屠られる未来は目に見えていた。
しかし、今は仕事中。
頭の体操程度であればまだオーナーに目を瞑ってもらえるだろうが、騒ぎを起こすのはNG。
ましてや乱闘など論外だ。
その辺りの常識だけは、クロカミの中にもあったらしい。
振り上げた拳を下ろして、彼女は小さくため息を吐いた。
「……だいたいさ」クロカミは言った。「ドリアン・ストラップって、何よ」
「なんだ、知らなかったのか?」
「知らないよ」
「最近、巷で人気になりかけたまま生産終了した、アクセサリーシリーズのひとつだよ。
テーマは、『人間社会の日陰者』だったかな。
他にも、『腐った大豆』、『動きが奇妙なだけで特に害のない黒光りする虫』、『金ぴかの馬車を税金で買う政治家』とか――色々あるんだぞ」
「そんなの反則だよ…………どうせ『ドリアン』って言った手前、ンで終わっちゃうから『ストラップ』付けただけでしょ?」
「それならお前の『プリン』も怪しかったよな。
『アラモード』付けるのに2秒くらいかかってたぞ」
「……それは言わない約束でしょ」
「約束した覚えはないし、してたとしても関係ない」
「その心は?」
人差し指を立て、営業は言う。
「―――約束は破るものだから、だな」
「そーですね。
労基無視してサビ残を推奨する領主とかいう存在が、それを証明してますもんね」
はー。
長く、深く、落胆の想いを込めて、二人は強めにため息を吐いた。
だが、だからと言って仕事が消えてなくなるはずもなく、机の上には事務手続きの済んでいない書類が山積みになっている。
だからだろうか。
現実逃避に走るように、クロカミは口を開いた。
「ねぇ」
「なんでしょう」
「しりとりしない?」
「……お題は?」
「―――『この世の理不尽について、物申したいこと』」
「おっけ。乗った」
そして。
クロカミは口を開く。
「じゃ、行くよー。
…………『領収書を処理してると、毎回1枚足りない』」
「い。
…………『胃に穴が開く原因、たいていお客さんじゃなくて上司が作る』」
「る。
…………『ルール守らないで狩場荒らした挙句、ケガしたら治療費寄越せっていう奴、いっぺんドブで溺れてしまえ』」
「え。
…………『笑顔はタダですよねとかいう男、三股掛けてるか童貞かのどっちかだと思う』
「う。
…………『嘘のプロフィールを申請書に書くな。あとあと書類作り直すことになって、仕事量三倍増しで詰む』」
「む。
…………『無理は嘘つきの言葉、と誰かが言った。だから次の俺の台詞は、難しい』」
「い。
…………『いつになったら、私たちは帰れるのでしょうか』」
「か。
…………『帰れないと思われます。今日は完徹が確定です』」
「す。
す。
…………『ステーキ食べたい、今すぐに』」
「…………『逃げ出すのなら、俺も協力してやる』」
「…………『留守をバイトちゃんに任せるのは可哀想だから、ここにいる全員で行こうよ』」
「……」
「……」
「…………『用意はできた?』」
「…………『たぶん、ダイジョブ。問題なし』」
「…………『静かに行こう』」
「…………『うん、りょーかい』」
「「…………『いざ、肉の花園へLets’ GO!!』」」
後日。
彼らが領主からこっぴどく叱られたのは、言うまでもないだろう。
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