『片隅に生きる人々(短縮バージョン)』

フォールドシステム未発動編
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第四話「最後の質問」

公開日時: 2024年12月5日(木) 20:52
文字数:3,891

「購入希望者の人となりを審査するのが私の仕事です。念のために申し上げますと、この面談は、我々が既に調べあげたことを確認するための作業にすぎません」


 僕が黙り込んでいると、彼女はそう言って話を進めた。


「権力に執着がないことは、箱の所有者としてはむしろ望ましい事です。ですが、もし貴方が所有者に選ばれたとしても、箱の秘密を絶対に他人に明かしてはなりません」

「何故ですか?」

「貴方の身の安全のためです」


 箱の秘密の漏洩は、所有権剥奪の可能性を高めると、彼女は僕に警告した。一千万もの大金を払って、箱を奪われてはたまらない。ここは素直に同意しておいたほうがいいだろう。


「分かりました。秘密を守ることについては、お約束いたします」

「では、所有権の譲渡後も、箱の没収の可能性があるという事は、ご承知いただけますね?」

「はい」


 権力の譲渡に問題がないのであれば、その秘密を洩らさない限り、箱を没収される事は無いはずだ。そもそも、どんな過酷な条件であろうと、今の僕には『受け入れる』以外の選択肢はない。師匠の遺品かもしれないあの箱を、誰かに渡すわけにはいかないのだ。


「これまでのやり取りに、特に問題はありません。次の質問の返答次第で、箱の所有者は貴方になります。逆に言えば、もし購入を取りやめたいと思うなら、今が最後のチャンスです。本当に購入でよろしいですか?」


 言葉こそ警告の形だが、彼女は、僕に箱を所有させたがっているように思える。ならば何も遠慮することはない。正直にいこう。


「相場師は人間のクズですが、絶対にやらないことが一つだけあります」

「なんですか?」

「一度成立した契約を、絶対になかったことにはしない事です。その一点においてのみ、僕は彼らを尊敬しています。平気で約束を反故にする堅気の方が、よっぽど怖いと僕は思ってる。僕らは、トレードが商売ですからね」

「そうですね」


 僕の返事に苦笑しながら、彼女はそう答えた。最初は冷たさしか感じなかった彼女に、僕は少しずつ好意を感じつつある自分に気づいた。



「では、最後の質問です。貴方が望もうと望むまいと、箱の力は必ず貴方に権力をもたらします。貴方はこの箱の所有者となって、一体何をしたいのですか?」


 僕は権力を得る事には興味がない。師匠の遺品を手元に置いておきたいだけだ。それでも敢えてこの問いがあるという事は、その気持ちだけでは、所有者たる資格がないという事だろう。


「その答えを明かす前に、少し昔話をしても構いませんか? でないと、回答が真実であることを、信用して頂けないと思いますので」

「どうぞ。この質問が一番大事ですので」

「ありがとうございます。ところで、もう一つお願いなのですが、貴女のお名前を教えていただけませんか? 偽名でも構いませんので」

「では、源五郎丸 洋子ひろこでお願いします」

「げ……げんごろうまる?」

「私の本名です。清和源氏の流れをくむ由緒ある苗字ですが、何か問題がありますか?」

「はあ……」


 ウソをつくにもほどがあるだろうと僕は思った。似たような名前の、ドラフト一位選手が昔いたのを、僕は知っていたのだ。


「冗談です。もし名前が必要ということであれば、私のことは、ユキとお呼びください」

「もしかして、ユキさんは阪神ファンだったりしますか?」

「いえ、オリックスです。今年は優勝しましたよ。ちなみに、日本シリーズの相手はヤクルトです」

「どこか別の世界線のお話ですよね?」

「この世界線でのお話です。今シーズンは、仰木監督の教え子たちがいい仕事をしましたよね」


 この人はひどい嘘つきだと思ったのだが、後で調べてみたらマジだったので、僕は少し反省した。苗字の話も本当だったのかもしれない。「村山二世」と呼ばれ、将来を嘱望された彼は、結局一度も一軍に上がる事のないまま、引退したのだが。


「話を元に戻しましょう。ユキさんは、僕と師匠の馴れ初めについてはご存じですか?」

「貴方が、剣乃氏の最晩年の側近であったことは承知しています。ですが、その馴れ初めについては、まったく知りません」

「では、質問に答える前に、その話を少しさせてください」

「わかりました」


 ここからが勝負だ。久しぶりに師匠の夢を見て、こんな話を持ち掛けられている事には、きっと何か意味があるはずだと僕は思った。


「僕が師匠に師事するようになったのは、僕がニッパチ屋に預けてしまったお金を、彼が取り返してくれたことがきっかけです。ニッパチ商法というのはご存じですか?」

「いえ、存じません」

「では、信用取引はどうですか?」

「それは分かります。証券会社からお金を借りて、株を買う事ですよね」

「その通りです。まだ、店頭でしか株が買えなかった時代、信用口座は地場の証券会社でも五百万、大手だと二千万は持ってないと開設できないものでした」


 勿論、お金を持ってるだけじゃダメで、現物取引で実績を積み重ねてからじゃないと開設してもらえなかった。文字通りあれは、【信用】口座だったのだ。


「株取引に熟知した人間でないと、開設できなかったという事ですね?」

「その通りです。取引の方はともかく、当時、学生だった自分には、五百万の金を用意することは不可能でした」



「それは理解できます。ところで、その話とニッパチ商法には、どんな関係があるのですか?」

「ニッパチ屋は、信用取引みたいなものを商売にしてるんです」

「みたいなもの?」

「ええ、購入代金の二割を現金で入金すれば、残りの八割をニッパチ屋が融資して、彼らの口座で代わりに買ってくれるんですよ」

「真っ当な金利であれば、特に問題のない行為のように思えますが、どこに問題があるのですか?」

「僕も最初はそう思いました。問題は、ニッパチ屋の大半が、実際には株を買ってないってことです」

「意味がよく分かりませんが」

「買ったことになってますが、実際には買ってないんです。お手製の売買報告書は、ちゃんと来るんですけどね」


 そう言って僕は、昔を思い出して笑った。ユキさんはまだピンと来てないのか、何も返事をしなかった。


「要するに、ニッパチ屋っていうのは、入金されたお金を全部呑んでしまうんです。彼らはお金を預かった後、危ない株をどんどん勧めて、客が全部すっ飛ばすまで、ずっとそれを続けます」


「実際には売買しないから、入金されたお金は、そのまま彼らの手元に残るという事ですか?」

「その通りです。勿論、表向きには買ったことにして、金利はちゃんと取るんですけどね」

「それは、ひどい商売ですね」

「騙された僕が言うのもなんですが、僕はそれほどひどいとは思いません。何故なら、ニッパチ屋は銘柄を勧めるだけで、どのタイミングで売買するのかは、客の方で決められるからです」


 自分で裏を取ることもなく、情報に飛びついて株を買う人間は、結局いつか破滅する。その金が詐欺師の手元に残るか、僕のような悪党の元に来るかだけの違いだ。


「なるほど。でも、売買を自分で決められるなら、勝つ人だってたまには居るんじゃないでしょうか?」

「おっしゃる通りです。当時の僕がまさにそうでした」

 

 ユキさんはやはり、頭の良い女性だと思った。普通の人間ならば、何故僕がそれほどひどくないという結論に至ったのか、直ぐには理解できない。


「ですが彼らは、いくら勝ったところで、プラスのうちは絶対に返金しません。担当者が辞めてしまったとか、大物本尊が玉仕込みしてる株があるから、今のうちに買った方が良いとか言ってね」


 ユキさんは少し考えた後、こう答えた。


「結局のところ、相当に負けが込むまでは、取引を継続させるという事ですよね?」

「その通りです。ですがこれも、そんな業者を使う方が悪いと思います」

「何故ですか?」

「計算してみてください。相場の世界では、ストップ安でも売れないなんてことがザラにあります。五倍のレバレッジで株を買う奴なんて、その時点で頭がおかしいですよ」


 ストップ安のパーセンテージは価格帯によって異なるが、最低でも十四%はある。低位株だと三十%以上の事もザラだ。ストップ安を一回でも喰らったら、全財産が飛んでしまう。


「仕手株でも掴んで、二日連続でストップ安になれば、実際には買ってない株で借金をこさえて、ヤクザに追い込みをかけられることになります。呑まれるだけで済んだ人間はまだマシです」

「確かにそうですね」


 入金された金は全部呑んでるから、回収できなくてもニッパチ屋は損をしない。いくらかでも回収してきたら、半分ヤクザに渡したって大儲けだ。そういう阿漕あこぎな商売が、昔は当たり前に存在したのである。


「何と言って良いのか分かりませんが、想像以上にひどい業界のようですね」

「はい。まだネットが普及してなかった頃とはいえ、恐ろしい話です」


 今となっては笑い話だが、僕もその被害者の一人だった。持ち金をすべて預けてしまった後、ニッパチ屋の実態を知った僕は、顔面蒼白だったのだ。


「百万といえば、当時の僕にとっては大金です。まったく遊ばずに八ヶ月も塾講師を続けて、ようやく溜めた金でしたからね。勉強代として勝ち分は諦めるとしても、元本だけはどうしても回収したかった」

「どうして、警察に相談しなかったんですか?」


 ユキさんは、不思議そうな声で僕に尋ねた。


「勿論、警察にもいきました。だけど、たかだか百万の話だし、ニッパチ屋が株を買ってないことを証明できないと詐欺にはならないといって、まるで相手にされませんでした」

「それから、どうなったんですか?」

「僕は必死になって、色んな人に相談しました。その話が回りに回って、大学の先輩である剣乃さんが、話を聞いてくれることになった訳です」


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