『片隅に生きる人々(短縮バージョン)』

フォールドシステム未発動編
伊集院アケミ
伊集院アケミ

エピローグ「創作への道」

公開日時: 2024年12月5日(木) 20:52
文字数:1,535

 あれからしばらくたったが、ガサのニュースが新聞で報道されることはなかった。金融庁は面子を大事にするところだから、僕を取り逃した事実をマスコミに流さなかったことは十分にあり得る。だが、あの日の出来事は確かに存在したはずだ。何故なら箱は今も僕の手元にあるし、爆弾の話も本当だったからだ。


 箱の中には一通の手紙と、爆発物の仕掛けられたノートパソコンが入れられていて、電源を入れると、起爆シークエンスが発動するようになっていた。一度起動すると解除は不可能で、起動から二分後に爆発すると、その手紙には書いてあった。

 

 その装置を作ったのは、あの夜、運転席に座っていた女だった。「自分の作った爆弾を、自分で処理するとは思わなかった」と笑いながら、彼女はテキパキと爆弾を外し、全てを持って帰った。元々、赤瀬川さんとは知らぬ仲ではないらしい。


 もっとも彼女は、爆弾が僕の元に運ばれるとは知らなかったし、赤瀬川さんもユキさんの事は何も知らなかった。一歩間違えれば僕が死ぬ企てに彼が加担していたとは思えないから、今回のテストの事を知らなかったのは本当だろう。


 全力さんがしゃべることは二度となかった。居眠りしてる間に、僕は何度も話しかけてみたのだけれど、彼はいつも不機嫌な顔をして目を覚ますだけだった。今となっては、あの日の車内の会話は、興奮状態だった僕が見た、白日夢だった気もする。


 車は無事に金融流れのものを手に入れたが、相場を張る気にはならなかった。口座は監視されているに決まってるからだ。僕は全力さんと共にあちこちをプラプラしながら、無為な日々を二週間ほど過ごした。


 今のところ、僕の人生は何も変わらない。スマホとパソコンを失い、相場が張れなくなってしまっただけだ。ユキさんのテストに合格した時(それは実際には仮合格だった訳だが)、僕はとても嬉しかった。彼女の最後の質問は、「僕がこの箱の伝承者になって、一体何をしたいのか?」というものだったはずだ。


 僕は何と答えたんだっけ?


「もし、僕が箱の伝承者となって、何らかの力を持つことが出来るのだとしたら、僕はその力を、僕の大切な人たちの存在を世に知らしめることに使いたいと思う。良い部分も悪い部分も含めてね。それを出来るのは、きっと僕だけと思うから」


 自分の言葉を思い出した僕は、やるべきことをちゃんとやろうと思った。そして、二週間前に経験したあの不思議な出来事を必死に思い出しながら、なるべく嘘をつかないように、この物語を書いたのだ。


 勿論、この物語はフィクションだし、演出過多な部分もあると思うが、本質としては何も嘘をついていない。この物語を読めば、僕がどんなものを美しいと思い、どんなことを表現したいと思って生きている人間であるかは、ちゃんと伝わるはずだ。


 箱の力が本物なら、この作品がきっと、僕の人生を前に進めてくれるだろう。限られた時間の中で、今の僕が出来ることはすべてやりつくした。この物語を読む人間が、僕らみたいな相場師を色眼鏡で見ることなく、美しいものをちゃんと美しいと判断できる人間であることを、今はただ祈るだけだ。


 物語をここまで書き上げた後、僕は全力さんを両手で抱え上げて、額にアゴ髭をグリグリと擦りつけながら、今もどこかで僕の事を見ているかもしれないユキさんに向かって、こう話しかけた。


「ねえ、ユキさん。とりあえず僕は、最初の一歩を踏み出したよ。多分、これでいいんだよね?」

「いいんじゃないですか?」

「えっ?」


 猫の全力さんから、ユキさんの声で返事が返ってきた。



「私はこう見えて結構忙しいんですよ。貴方が正しいと思う事を、これからもやり続けてください。貴方が道を誤った時には、貴方の心の中の師匠と同じく、ちゃんと叱りに行きますから」


《完》


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート