夜の獣道を、黒狼とつかず離れずの距離でひたすらに歩く。
向こうも多少は気を使ってくれているのか、凛月を置いて先に行くようなことはしないらしい。
「……………………」
「……………………」
さっきから何とも気まずい沈黙が1人と1匹を包み込んでいた。そしてこんな状況であっても、何か話題を探そうと必死に脳みそをフル回転させている凛月。
「あの……」
とりあえず、勇気を出して当たり障りのなさそうなことから聞いてみることにした。
「この音って、何ですか?」
「……この音?」
どうやら、凛月と会話をする意思はあるらしい。
「さっきから笛とか太鼓とか、お祭りみたいな音が」
「ああ、これ」
さして興味もないのか、必要最低限の言葉で黒狼は語る。
「新月の夜はね、たまにこうして騒ぐのよ。隣の山の奴らとかを呼んで」
「は、はぁ」
説明になっているようでなっていない。まるではぐらかされているようだ。
「ごめん。あたし喋るの苦手で」
「あ、そうなんですね。その、ごめんなさい」
「別に。気にしないで」
「はい……」
そして、再び訪れる無言の時間。
凛月も沈黙が辛かっただけで、特段おしゃべりが好きというわけではない。
嫌われているわけではなさそうだということが分かっただけでも充分だった。
「まあ見ればわかるわ。ほら、着いたわよ」
そう言われ顔をあげると、突然周囲を囲んでいた木々がなくなり視界が開けた。
先ほどまでのうっそうとした樹木のかわりに眼前に広がるのは、美しい桔梗の花畑。
その向こうに、立派な茅葺き屋根を持つ、L字型に曲がった独特な形の日本家屋が見えた。
蔦が絡みつき所々が藻に覆われている三角形の屋根。時代劇にでも出てきそうな風貌の巨大な屋敷だった。
その周囲を取り囲んでいるのは、美しい紫の桔梗たち。
まるで昔話の中にでも迷い込んだかのような、幻想的な光景だ。
──だが。
そんなものより目を惹くものたちが、いる。
中庭らしき場所で、巨大な炎がゆらゆらと踊っていた。
比喩ではなく、本当に踊っている。
大きな火の玉を中心に人間のような手足が生え、火花を散らしながらなんとも軽快なステップを踏んでいる。
そしてその周りを、まるでキャンプファイヤーでもするかのように異形の集団が取り囲んでいた。
小さい頃にアニメで見た砂かけ婆や子泣き爺を彷彿とさせる老人たち。
巨大な一つ目と脚をもった、優に2メートルは超えているだろう体躯の樹木。
人参のような高い鼻に、嘴と真っ黒な羽を生やした赤ら顔の天狗らしきもの。
立ち姿は女性そのものだが、人間のそれではなく狐の顔を首に乗せたなにか。
ボロきれのような浴衣を羽織った二足歩行の大狸と小狸。
他にも大小さまざまな人外の者たちが、酒を喉に流し込み、飯をかっ食らい、騒ぎ踊り狂っていた。
「な、なに……これ……」
あまりにも現実離れしたその光景に、凛月はそんな陳腐な言葉を絞り出すのが精いっぱいで、理解と感情が追いつかない。
「こっち。それと、あいつらとはなるべく目を合わせないで」
茫然と立ち尽くす凛月をよそに、特に驚く様子もない黒狼はさっさと先に進んでしまう。
「あ! ま、待って!」
こんな意味不明な空間に一人で取り残されることへの恐怖が、唐突に湧き上がってくる。
見知らぬ場所で母親に置いていかれた子供のように、凛月は必死にその後を追った。
広大な桔梗の花畑をぐるっと回り、たどり着いたのは先ほどの喧騒から少し離れた日本家屋の裏の縁側。
「生吹、連れて来たわよ」
そこに、一人の少女が腰かけていた。
「お、花か? 珍しいな。おまえが表に出てくるとは」
瑞々しい、鈴の音のように透き通った声。だが、同時に得体のしれない何かを感じさせる声。
その声に鼓膜を揺らされるたびに、胸がざわつく。鳥肌が立つ。
「……ただの気まぐれよ」
「ほぉ。ま、そういうことにしておいてやろうかのぉ。カッカッカッ」
「なによその言い方」
「べっつに~? 相変わらず素直じゃないなと思っただけじゃよ?」
「あんたねえ……」
「すまんすまん。悪かったからその牙をしまえ」
ちょっとからかっただけなのになぁとボヤきながら、少女はくつくつと笑いをこらえる。
そうして肩が揺れ着崩れた紺色の着物から、艶やかで線の細い肩が覗く。その肌は陶器のように滑らかで、同時に不気味なほどに白い。偉大な名匠が作りあげた芸術品かと見紛うほどだ。
なぜか、凛月はその艶姿から目が離せない。
「生吹、服はちゃんと着て。この子が困ってる」
「おっと。人間にはわらわのえっちぃ姿は目に毒じゃったか?」
恥じらう様子もなくそう言いながら、これまた妖艶な動きで肌を隠す少女。
仕草のひとつひとつこそ大人びているが、身体の大きさ的には中学生ほどに見える。
だが、恐らく。
「あなたも、妖怪……ですか」
呂律がうまく回らない。目の前で胡坐をかく少女を見てから、身体が石になってしまったかのようだ。
「ふぅむ。まぁそこら辺の有象無象と同じにされては、わらわの沽券に関わるが」
口の端を吊り上げながら、こちらを値踏みする様に見つめる。
「少なくとも、ぬしさまと同じ人間ではないだろうよ。カカッ」
酒を美味そうにあおりながらそう言う少女。
背後の日本家屋と相まって、それはまさに人間離れした美しさだった。
肩口で切りそろえられた、滑らかで絹糸のような濃紫の髪。口元から除く、八重歯と呼ぶにはあまりにもおぞましい牙。切れ長の目に、この世の全てを見透かしていそうな暗い瞳。
そんな作り物のように整った容姿を持つ彼女だが、その美しさよりさらに凛月の目を引くもの。
それは、額から生えた2本の、人間であればあるはずのないものだった。
(ほ、ほんとにいた……)
人は古来から、それを持つ者を
『鬼』
と呼ぶ。
「名を教えてもらおうか、小娘」
その一言で、夢から醒めた。
「あ……えと、久遠凛月と、いいます……」
「ふむ、凛月か。久遠の輩はやたら娘の名前に月を入れたがるのう」
「…………」
もはや生物としての格が違う。
その小さな身体から発せられる気は、隣の黒狼やさっき見た妖怪らしきものたちとは比べ物にならない。
生き物としての本能でそれを感じ取っている凛月は、意識せずとも身体が強張ってしまう。
「む、なんじゃ。緊張でもしておるのか? 月子は毎晩のようにわらわと酒を酌み交わしておったぞ」
「お、おばあちゃんを知ってるんですか?!」
「あ、ああ。もちろん?」
凛月にとっては祖母の存在だけが、突然放り込まれたこの意味不明な状況における救いだった。思わず前のめりになってしまう。
対して凛月の急な変わりように驚いたのか、キョトンとしている鬼の少女。こういう表情は見た目の年齢通り、なんだか子供っぽく見えた。
「ふむ。まぁ月子の話は追々しよう。それより、わらわの自己紹介が先じゃ」
仕切り直すようにそう言うと、少女は持っていた酒を縁側に置き正面から凛月を見据える。
「わらわは生吹。この伊吹山に住む全ての妖の長。そして」
生吹と名乗った少女は、いたずらっこのようにニカっと笑った。
「今日から、ぬしさまの同居人というやつじゃ♪」
明日も更新しますよ〜!!
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